3.11東日本大震災時の女川でのグッドプラクティス

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カテゴリ: 解説記事
1. 震災概要 女川原子力発電所は宮城県牡鹿半島に位置し、1 号機 から 3 号機の定格電気出力の合計が 2,174MW の発電所 である。 2011 年 3 月 11 日(金)14 時 46 分頃に発生した東 北地方太平洋沖地震(震源地 三陸沖約 130km、深さ約 24km)は、マグニチュード 9.0 という日本国内史上最大 を観測した。女川原子力発電所の立地する宮城県牡鹿郡 た。しかし、この火災は原子炉自体の制御には影響を及 ぼさず、原子炉水位は原子炉隔離時冷却系で、原子炉圧 力は逃がし安全弁で制御が続けられた。サプレッション プールの冷却も残留熱除去系で行われ、3 月 12 日 0 時 58 分に冷温停止に至った。 2 号機は、原子炉起動開始直後であったため、自動停 止後ただちに冷温停止状態にあることを確認した。しか し、その後に襲来した津波により、原子炉建屋付属棟地 下階に海水が流入し、原子炉補機冷却系(以下、RCW) 解説記事 女川町での観測震度は震度 6 弱(宮城県内最大震度 7) であった。 この時、女川原子力発電所 1 号機の原子炉建屋地下 2 階に設置された地震計は、最大加速度 567.5 ガル(水平 方向)を観測した。 また、この地震に伴い津波が襲来し、女川原子力発電 所では同日 15 時 29 分に最高約 13m の津波水位を観測 した。 地震発生時、1 号機と 3 号機は定格熱出力一定運転中、 2 号機は第 11 回定期検査中で同日 14 時に原子炉を起動 したばかりで、原子炉出力上昇中であった。地震による 震度 6 弱の揺れで、全号機とも地震加速度大の信号によ り原子炉は設計通り自動停止し、これに伴い、1 号機と 2 号機の非常用ディーゼル発電機(以下、非常用 D/G) 計 5 台が自動起動した。5 回線ある外部電源(275kV 系 4 回線、66kV 系 1 回線)のうち 275kV 系 1 回線が利用 可能であったため、自動起動した非常用 D/G は待機状 態を維持した。なお、3 号機の非常用 D/G は外部電源が 全て喪失した際に自動起動する設計となっている。 1 号機は、14 時 55 分に地震による揺れの影響により 起動用変圧器が停止したが、非常用 D/G からの電力供 給が開始され、非常用機器への電源が確保された。14 時 57 分には、タービン建屋地下 1 階にある常用系の高 圧電源盤の遮断器内で火災が発生し、火災警報が発報し (B)系と高圧炉心スプレイ補機冷却系(以下、HPCW 系) の機能が喪失した。これにより、非常用 D/G(B)、非 常用 D/G(H)が停止したが、RCW(A)系は正常に稼 働しており、もう 1 台の非常用 D/G(A)の機能は維持 された。 3 号機は、津波によりタービン補機冷却海水系ポンプ と循環水ポンプが自動停止したものの、RCW 系は正常 に運転を続けた。タービン補機冷却海水系ポンプ等の自 動停止は、原子炉自体の制御には影響を及ぼさず、原子 炉水位は原子炉隔離時冷却系で、原子炉圧力は主蒸気逃 がし安全弁で制御が続けられた。サプレッションプール の冷却も残留熱除去系で行われ、3 月 12 日 1 時 17 分に 冷温停止に至った。(図 1 参照) 図1 地震発生後のプラントの状況 保全学 Vol.15-3 (2016) 2. 過去に学ぶ (1) 津波 (869 貞観津波 ・ 1611 慶長津波等) a. 津波襲来の蓋然性の認識 当社は、三陸海岸の南側に位置する女川町に原子力発 電所を設置するにあたり、1970 年ごろの女川 1 号機の 建設計画立案当初から、大きな地震の後には必ず津波が 襲来するとの認識があり、その意識は連綿と組織の中で 受け継がれてきた。 b. 押し波の想定と対策(当初設定、仙台平野津波痕跡調査、 数値シミュレーション適用、 土木学会) 1 号機計画時には、過去の津波に関する文献調査等を 行い、明治以降の気象庁のデータに基づいて想定津波の 高さを約 3m と推定したが、土木工学等の専門家を含む 社内委員会による議論の中で、震源がより南にある貞観 図2 発電所敷地高さの決定経緯 ■仙台平野の遺跡(8箇所, 左図の )の発掘所見お よび条里跡の保全状況から, 藤田新田(海岸から約3km, 標高2.6m)より内陸には 侵入していない。 津波や慶長津波の津波高さが推定津波高さよりも高くな るとの意見があり、敷地高さを海抜約 15m(女川原子力 発電所工事用基準面(以下、O.P.)+14.8m)と決定した。 仙 台 平 野 存在の確認され た里(斜線枠) 存在を推定した里 (白抜き枠) SD-1 ~ SD-3 坪掘り調査地点 簡易土壌観察測線 簡易土壌観察測線 太 平 洋 1 ~ 122 測 点 1 ~ 122 測 点 ■仙台平野の遺跡(8箇所, 左図の )の発掘所見お よび条里跡の保全状況から, 藤田新田(海岸から約3km, 標高2.6m)より内陸には 侵入していない。 ■仙台平野の遺跡(8箇所, 左図の )の発掘所見お よび条里跡の保全状況から, 藤田新田(海岸から約3km, 標高2.6m)より内陸には 侵入していない。 (図 2 参照) 2 号機建設時には、わが国初となった貞観津波の痕跡 調査(図 3 参照)や数値シミュレーションを実施し、津 波の予測評価値を O.P.+9.1m と算出した。これを受け、 発電所敷地前面の法面をコンクリートで強化した法面防 護工を O.P.+9.7m の高さまで設置した。 東北地方太平洋沖地震により、発電所を含む牡鹿 半島は約 1m 沈下して、最大の津波は発電所敷地高さ (O.P.+13.8m)近くまで遡上した。発電所前面の法面は、 津波の第一波だけでなく第二波以降に対しても崩れるこ とはなく、防潮堤としての機能を維持した。(図 4 参照) c. 潮位計 図 4 に示す発電所専用港湾での潮位の推移は実測値で あり、原子力発電所を襲った大津波を捉えた世界初の貴 図3 仙台平野での貞観津波の痕跡調査 (仙台湾) ○○○○ 考古学的所見に基づく 調査地点(遺跡) 条里跡 重なデータである。通常の潮位計の場合、津波により電 源系が水没すると計測不能となるため、電源を内蔵し外 部電源からの給電を受けない水密構造の潮位計を震災の 一年前に設置していた。2010 年当時は、宮城県沖で大 地震が発生する可能性が 90% を超過する [1] と評価され ており、津波が襲来しても潮位が計測可能となるよう、 この計器を設置した。 d. 非常用海水ポンプの押し波 ・ 引き波時の機能確保 非常用海水ポンプは高い敷地で守られたピット構造物 内に押し波の水圧に耐えるように設置するとともに、引 き波時に取水口が露出しても海水が貯留する構造にして 非常用冷却水源を確保している。(図 5 参照) 図4 津波対策 (敷地前面法面のコンクリート防護) 図5 押し波 ・ 引き波時の冷却機能確保 解説記事「3.11 東日本大震災時の女川でのグッドプラクティス」 条里推定線 凡 例 保全学 Vol.15-3 (2016) (2) 地震 (1978 宮城県沖・2005 宮城県沖・2007 中越沖) a. 中央制御室監視制御盤への手摺り棒の設置 1978 年の宮城県沖地震時の県内の火力発電所におい て、揺れのため中央制御盤の操作が極めて困難であった という教訓を踏まえ、中央制御盤に手摺り棒を設置した。 これにより、運転員は,本震だけでなく引き続いて幾度 も襲来した余震を含めた地震時に体を支えることがで き、安定した状態での操作・監視を可能としていた。東 北地方太平洋沖地震後の運転員への聞取りにおいても、 その有用性は確認されている。(図 6 参照) 事(筋交い)を施した。旧事務棟内設置の什器にも全て 転倒・移動防止策を施して、工事は 2010 年 3 月に完了 した。 旧事務棟は、これらの地震対策により東北地方太平洋 沖地震における震度 6 弱の激しい揺れにおいても機能を 維持し、発電所対策本部として使用することができた。 (図 8 参照) 図6 地震時の姿勢確保 (中央制御盤への手摺り棒設置) b. 設備の耐震裕度向上 2005 年 8 月 16 日に発生した宮城県沖地震を踏まえ、 発電所全体で約 6,600 箇所の機器・配管と排気筒の耐震 裕度向上工事を行った。(図 7 参照) 図7 地震対策 (耐震裕度向上工事) c. 事務本館耐震補強 ・ 免震事務新館新設 2007 年 7 月 16 日に発生した新潟県中越沖地震により 柏崎刈羽原子力発電所の建物が変形して緊急対策室のド アが開かなくなったとの教訓を踏まえ、免震構造の新事 務棟を建設中であった。 さらに、この新事務棟の竣工前に大規模な地震が発生 する可能性を考慮し、旧事務棟(発電所対策本部や各部 署の執務室、計算機室があった事務棟)にも耐震補強工 図8 事務棟の耐震強化工事 (旧棟の筋交い, 免震新棟) 3. 緊急時対応 (1) 本店からの発電所支援 a. 外部対応の本店への一本化 (外部対応業務からの発電所の切り離し) 東北地方太平洋沖地震発生直後に発電所・本店原子力 二重の情報連絡経路により確認しながら、本店が窓口と これは、発電所の緊急対策要員の時間を本店との情報 伝達や打合せに費やすことなく、原子炉の安全を確保す るための方策立案・対応実施を最も情報のある発電所緊 急対策本部の指揮の下で行わせることが、一刻を争う緊 急時に執るべき対応であるとの原子力部長の判断によ る。この結果、発電所では本店などからの外乱により緊 急対策実施を阻害されることなく乗り切ることができ た。 部双方で緊急対策本部が設置され、テレビ会議を繋いで 発電所の状況を確認した。各号機の地震直前の状況を踏 まえ、本店からは、定格熱出力運転中であった 1、3 号 機の確実な炉心冷却と、炉水温度が 100°C未満であった 2 号機を含む全号機の現状確認の報告を指示した。 その後は、発電所からの要請に応じて必要な支援を行 うことを基本とする旨を伝達し、発電所緊急対策本部の 対応状況をテレビ会議のモニタ越しに見守りつつ、発電 所長と原子力部長、発電所技術課長と原子力運営課長の なって外部への情報提供を行うこととした。 なお、通常であれば、報道機関からの問合せが発電所 広報にも届くことになるが、東北地方太平洋沖地震時に は NTT 回線が不通であり、本店・東京支社で応対した。 また、原子力安全・保安院との情報連絡については、本 店から東京支社経由で保安院に伝達されるとともに、現 地保安官は当社保安回線を使って東通原子力発電所の現 地保安官を介して、東京の保安院との情報連絡を行うこ とができたため、大きな混乱を来たさなかったと聞き及 んでいる。 b. 発電所ニーズによる物資のヘリ輸送 発電所員は約 500 名であり、その 3 日分の食料は構内 に備蓄してあった。しかし、構内の協力会社の社員や見 学者の方も考えると食料等は早晩尽きてしまうことが想 定されたことから、発電所からのニーズに基づいて本店 にて生活物資を発電所まで輸送することを検討した。東 北地方太平洋沖地震当日の夕刻から周辺地域の住民の皆 さまが発電所に避難してこられたこともあり、翌 12 日 には約 1800 名の人員が構内に滞在していたため、この 早めの対応は有効であった。 海路・陸路など様々な輸送手段もあったが、沿岸の低 地部は津波により浸水したままであり、海際には瓦礫が 散乱・埋没した状況にあったことから、ヘリコプターに よる輸送を図ることとし、震災当日の夜に、当社関係会 社の東北エアサービスに加え、民間大手の中日本航空の ヘリコプターを調達した。 翌12日から15日にかけて、女川発電所構内のヘリポー トへは、のべ 20 回の輸送(当社資材基地がある宮城県 名取市愛島ヘリポートから 8 回、至近の送電設備の保修 拠点である石巻技術センター近くの広渕ヘリポートから 1 回、新潟から 11 回)を、また新潟から愛島への輸送 を 1 回実施した。 このうち、3 月 12 日の大型ヘリによる輸送の空荷と なった帰路では、発電所に避難した周辺住民の中での病 人 1 名と妊婦 1 名を発電所勤務の看護士とともに仙台市 若林区の「陸上自衛隊霞の目飛行場」まで搬送した。そ の後、予め手配してあった救急車により受入れを受諾い ただいた東北大学附属病院まで搬送した。これらは、い ずれも当社と自衛隊・仙台市消防局・東北大学附属病院 との連携の賜物であった。 (2) 現地対応 a. 情報伝達ルートの二重化と 課題毎の個別チームでの調査 ・ 検討、 対処 発電所での対応としては、地震直後に地震加速度大の 信号により全制御棒が炉心に全挿入され原子炉が自動停 止したために、中央制御室において運転手順書に基づい て原子炉の停止操作を行った。 特に、後述する 1 号機での火災と 2 号機での海水浸入 という二つの事象に見舞われた 1・2 号機中央制御室と 発電所緊急対策本部との間の情報連絡についても、本店 と同様に、発電課長(発電直の運転長)と技術課長のルー トに加え、本部長(発電所長)と中央制御室にいた副所 ながら対応を行った。 大地震が発生すると、地震による振れにより建屋内に 粉塵が舞うため、所内様々な箇所で火災報知器が動作し て警報を発し、埃が落ち着くと逐次警報が解除されるが、 1 号機では A 系の常用電源での短絡・地絡によりしゃ断 器が開放した。後に、短絡・地絡に伴う大電流によりケー ブルなどが焼損したことが分かるが、この時点では、原 因を含めて状況は不明であった。 1 号機の火災対応では、現場人員の安全確保を大前提 とした燃焼の有無と原因推定、推定原因を踏まえた消火 方法の策定・準備と消火実施が必要となるが、保修担当 副所長を中心として機械保修課員等 *1 により消火班を 構成して初期消火対応を実施した。現場確認に先立って、 火災発生箇所がタービンの制御油や発電機冷却用水素が 存在するタービン建屋であることを踏まえ、念のため、 発電直員により油貯蔵エリアへの二酸化炭素消火設備の 作動と発電機冷却系への窒素置換を実施しており、空気 ボンベを装着しての現場確認を実施した。 *1: 機械保修のほか、電気保修・総務・放射線管理の各課員およ び委託員(構内協力会社(東北発電工業・東北緑化))が消 防経験者(サイト内に 3 名)の指導のもとで対応 地震から約 40 分後の津波(最大潮位となった津波) の直後に、2 号機では 3 系統(A 系・B 系・H 系)ある 非常用機器の冷却水系のポンプのうち 2 系統のポンプが 停止して機能が失われたため、3 系統に各 1 基ずつある 非常用 D/G のうち 2 系統(B 系・H 系)計 2 基の機能 が失われた。後にこれは、原子炉建屋付属棟の B 系と H 系のエリアに海水が浸入したためであることが分かる が、中央制御室では何故冷却水系ポンプが停止したか状 況確認が必要であると考えた。このため、発電直員を現 当の高さまでの浸水があるとの報告がなされた。2 号機 の起動操作の立会いのために 1・2 号機中央制御室にい た 2 号機原子炉主任技術者から、当該浸水の調査と残る 解説記事「3.11 東日本大震災時の女川でのグッドプラクティス」 長(原子炉主任技術者)の 2 つのルートで状況を確認し 場に派遣したところ、最地下階で何らかの理由により相 保全学 Vol.15-3 (2016) 1 基の非常用 D/G の機能を維持するための対策に加え て、万一非常用 D/G が全台停止した場合の対応策の立 案について指示を出した。 2 号機の浸水対応では、浸水範囲の確認、放射能の有 無、排水準備、健全な A 系冷却水系の機能確保が必要 であり、所長代理を中心として保修課員(機械・電気・ 土木建築)、技術課員、および放射線管理課員と構内協 力会社社員(東北発電工業・鹿島・東北緑化ほか)によ る体制をとった。 加えて、地震時に 1 号機開閉所にある避雷器が異常を 検知したため、1・2 号機起動用変圧器に接続されてい る牡鹿幹線からの受電ができなくなっており、機能を維 持していた松島幹線 2 号線(3 号機開閉所に接続)から の電源供給を含めて、2 号機への電源供給の維持が課題 となった。この対応については、早急な電源供給策の立 案と実施が必要であり、元電気主任技術者であった 2 号 機原子炉主任技術者を中心として保修課員(電気)によ る体制をとった。 発電所緊急対策本部の本部長である発電所長は、各号 機の中央制御室からの課題報告がある都度、状況分析と 対応策立案・実施の責任者を指名して対応体制を明確に するとともに、対応の要点を指示した。 (a) 1 号機タービン建屋火災 (図 9 参照) 火災の発生した常用系高圧電源盤(A)は、原子炉再 循環ポンプなどの常用負荷の電源盤である。吊り下げ設 置型のしゃ断器が地震により大きく揺れたことにより、 しゃ断器の断路部が破損し、接続導体と周囲の構造物が 接触して短絡・地絡が発生した。短絡等により発生した アーク放電の熱により盤内ケーブルの絶縁 被覆が溶け 火災に至ったものと推定される。 視界が遮られてしまう状況であった。そのため、火元の 探索には困難を極めたが、現場を熟知した社員を中心に 現場確認を行ったことで、火元を特定し消火を確認する ことができた。 この対策として、吊り下げ型のしゃ断器を横置き型で 耐震性の高い構造である真空しゃ断器を使用する電源盤 へ更新した。なお、非常用電源盤は震災前に同様の耐震 性の高い構造へ設備更新を終えており、常用の当該電源 盤も 1 号機の至近定検で耐震性を向上させる計画であっ たが、その直前に被災したものであり残念であった。 (b) 2 号機原子炉建屋付属棟海水浸入 (図 10 参照) 原子炉建屋付属棟は放射線管理区域外であり、非常 用系の RCW ポンプや熱交換器が地下階に設置されてい る。津波発生直後の現場確認において、原子炉建屋地 下 3 階の RCW(B)室および HPCW 室に海水が流入し、 RCW ポンプ(B)(D)および HPCW ポンプが浸水して 停止していることが確認された。水位は床上約 2.5m ま で達し、仮設ポンプでの汲み上げを実施した。 なお、原子炉補機冷却海水系(A)系(以下、RSW(A) 系)および RCW(A)系の機能は確保されており、原 子炉の冷却機能に影響はなかった。 図 9 1 号機 常用系高圧電源盤 (A) の焼損 この火災には、所員による自衛消防隊にて対応した。 建屋内は停電しており薄暗い状態に加え、黒い煙により 図 10 2 号機 原子炉建屋付属棟への海水流入 2 号機原子炉建屋付属棟地下階の浸水については、 な RCW(A)系室へ電路等を通じて水が流入したため、 室の排水作業を優先して行った。その際、RCW(A)ポ ンプの周囲を土嚢で囲み、隙間からの浸水も考慮して土 RCW(B)系室および HPCW 室の排水を開始したが、 揚程落差が大きく、単段の仮設ポンプ 1 台では吸い上げ られなかった。そのため、途中に仮設のタンクとポンプ を用意し、2 段方式で汲み上げる方法に変更して、2 台 のポンプの汲み上げバランスをとりながら運転を行っ た。これは現場の状況を踏まえた工夫であった。 排水の最中、稼動中の非常用 D/G(A)の冷却に必要 RCW(A)ポンプの機能を維持するよう、RCW(A)系 嚢を覆うようにシートを張るなど工夫して対応した。 津波は敷地高さを越えなかったものの、屋外の海水ポ ンプピット内の RSW ポンプ(B)エリアに設置した潮 位計の止水処置が不十分であったため、津波により潮位 計の蓋が押し上げられ当該エリアに海水が流入した。こ れにより RSW ポンプ(B)エリアが浸水するとともに、 地下トレンチを通じて RCW(B)室と隣接する HPCW 室に海水が流入したものであった。 この対策として、当該潮位計を取外し、開口部に閉止 板を取り付けた。 (c) 1 ・ 2 号機電源復旧 (図 11 参照) 地震直後は、女川原子力発電所の非常用 D/G はすべ て健全であった。これに対して、送電線による外部電源 は、地震による異常を検知して以下のように松島幹線 2 号線 1 回線を残して停止した。停止した 4 回線のうち、 牡鹿幹線の 2 回線は、使用に耐えることを確認したうえ で、翌日復旧した。 (1) 松島幹線(275kV):1 回線正常、1 回線停止 (2011.3.17 復旧) (2) 牡鹿幹線(275kV):2 回線停止 (2011.3.12 復旧) (3) 塚浜支線(66kV):1 回線停止 (2011.3.26 復旧) その後、津波の襲来により先に述べた通り 2 号機原子 炉付属棟での津波による浸水により、2 号機には 3 台あ る非常用 D/G のうち、B 系・H 系の 2 台が停止した。 総括的に言えば、まず、緊急対応要員の時間を確保す ること、あるいはより重要な課題に対応できるように課 題に軽重を付けることが挙げられる。そのためには、何 よりも判断するための確かな情報を把握することであ り、? 現場の状況を複線的に把握すること により、確度の高い情報に基づいた現状認識と解決の方 向性の指示を行うことが可能となる。 加えて、課題の解決のためには、特定の課題に特定の 人員を充てることが必要となるため、その指示において は、? 「誰が、何を、一番よく知っているか ?」を知って おくこと が重要であり、その人物の特徴と課題の特性を踏まえた 体制構築指示が重要となる。 無論、課題に対処するにあたって、現場を含めて多方 面からの気付きを大切にすべきであることから、 ? 日頃から「無駄な仕事、無駄な努力は決してない」 ことを組織に徹底しておくこと により、自己研鑽に励ませ、 ? 常日頃から、意見や気付きを具申し易い雰囲気作り が大切になる。 最後に、指揮権限者に求められる資質として、 ? 全体把握、公平・冷静、強固な意思 が挙げられることは言うまでもない。 著 者 紹 介 このため、元電気主任技術者で当時 2 号機原子炉主任 技術者であった副所長を中心として電源の信頼性向上策 を検討し、起動用変圧器の健全性を確認したうえで、復 電した牡鹿幹線から受電するに至った。 b. 指揮官として求められる資質 東北地方太平洋沖地震時の緊急対応を通して、現場指 揮官として求められることについて、当時女川原子力発 電所長であった当社渡部孝男副社長など当社関係者の経 験談を踏まえつつ考察した。 図11 女川原子力発電所の外部電源概要 著者 : 若林 利明 所属 : 東北電力株式会社 専門分野 : 機械工学 ・ 破壊力学 ・ 経営工学 解説記事「3.11 東日本大震災時の女川でのグッドプラクティス」 参考文献 [1] 地震調査研究推進本部 海溝型地震(宮城県沖)の 長期評価(2010 年版) (平成 28 年 9 月 21 日) 3.11東日本大震災時の女川でのグッドプラクティス 若林 利明,Toshiaki WAKABAYASHI 3.11東日本大震災時の女川でのグッドプラクティス 若林 利明,Toshiaki WAKABAYASHI
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