人間機械系におけるヒューマンエラー
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1. はじめに
科学技術の急速な進展に伴い,人間が社会の福祉便益のために発明した機械システムは益々大規模化・複雑化し,システムの安全管理面で人間機械系でのヒューマンエラーの問題が浮上してきた.とくに原子力,電力系統等社会の基盤を支えるエネルギー技術では,安全と信頼性の維持向上はなによりも優先され、とくにヒューマンエラーを防止する人的要因対策は,今日の世界的な重要課題となっている.何故ヒューマンエラーが問題になるのか、その一例として米国と日本での原子力発電のトラブルでのヒューマンエラー寄与率を 表1 に示す1).
表1 原子力発電プラントの故障・事故におけるヒューマンエラー寄与率の比較
プラント作業の区別 ヒューマンエラーの寄与率
保守,校正,試験 42~65%
通常時運転 8~30%
異常時運転,事故時運転 1~8%
表1より,通常時運転でのヒューマンエラーは保守作業時のそれより少ないし,異常時・事故時運転では大変少ない.しかし,プラント保守時のヒューマンエラーは,プラント運転時の操作失敗に繋がるし,まして異常時・事故時の運転失敗の根本原因にもなることは銘記すべきである.また,例え,事故時・緊急時運転ューマンエラーが極めて少ないとしても,もし運転員がそのときに致命的な操作失敗を犯したなら,プラント内部だけでなく周辺環境にも重大な影響が及ぶ可能性がある.だから保守作業にヒューマンエラーが多いことは原子力発電の安全性,信頼性維持の上でゆゆしい問題なのである.
「過ちを犯す,それは人間の性だ」,ということわざもあるように,人のエラーを根絶することは大変難しい.しかし,人間機械系の中でのヒューマンエラーの基本的な特性を理解すれば,ヒューマンエラーの発生を防止し,また,例えヒューマンエラーが起こってもその影響を軽減することができる.
2. ヒューマンエラーの3つの観点
私たちは日常生活で,ヒューマンエラーと言う言葉を様々な見方,意味で用いている.人間を対象にする心理学でも同様である.ここでは人間機械系での議論に限定するため,ヒューマンエラーを「ヒューマンエラーとは,規範としての望ましく正しい行為に照らして,それから逸脱する人間の行為である」と定義しておく.しかし,このように定義しても,心理学の3つの異なった学派、行動主義心理学,認知心理学,組織心理学によって3つの異なったヒューマンエラーの見方がある.
これらの3つの異なったヒューマンエラーの見方を,表2に対比する.この表では,人間の行動を見る理論的枠組みと人間の行動を取り扱う上での力点,ヒューマンエラーを見る視点とそれに基づくヒューマンエラーの分類について,3つの心理学の流派を対比している.
表2 マンマシンシステムの人間要素とヒューマン・エラーの見方
行動主義心理学 認知心理学 組織心理学
理論的枠組みと人間行動を見る力点 機械の運動のように,外から観察できる人間の行為だけを対象とする 人の行動の意図を形成する内面過程に注目する 集団としての社会が個々の人の行為に影響を及ぼすことに注目する
ヒューマンエラーの視点 観察できる人間の行為を基準となる正しい行為に比較し,成功しているか,失敗しているかに分類する 何故そうしようと意思決定したかに注目する 実際の人の行為に影響を与える動機に注目する
ヒューマンエラーの分類 なすべきことをしない(オミッション)と余計なことをする(コミッション)に分ける 意図の形成は正しかったが実際は思ったようにしていない(スリップとラプス)と意図の形成が誤っていた(ミステーク)に分ける 情報処理上の誤り(過誤)と良くない動機による行為(違反)に分ける
3. 人間の行動モードとその特性
機械を操作する人間の行動モードは,ヒューマンエラーの形式に大きな影響を与えるが,人間の行動モードの見方も,表1に示したヒューマンエラーの見方の相違で異なる.認知心理学では,タスクの習熟度によって異なる内面的な認知処理のモードに注目し,一方,組織心理学では,人間の行動を制御するモードが人間を取り巻く環境・文脈によって変えられることに注目する.以下,双方の人間の行動モードの見方を個々に説明する.
3.1 運転員の3つの認知行動モード
インタフェースにおける人間の認知行動は,操作者の習熟度によってその認知行動モードが異なり,それに応じてヒューマン・エラーの特性も変わる.J.Rasmussenは,「習熟度の相違でインタフェースの提示情報の見え方がsignal,sign,symbolの3つのいずれかとして知覚され,その後の認知行動は知覚のパタンに応じて行動モードが異なる」として,無意識的な反射行動であるスキルベース行動,意識的だがパタン化されたルールベース行動,意識的で抽象的論理的思考を行う知識ベース行動の3つに分類した2).図1にJ.Rasmussenによる運転員の3つの行動モデルを示す.
図1 運転員の3つの行動モード
ReasonとEmbreyは,この行動モデルをもとに時間的効果を考慮した定性的な運転員行動モデル(GEMSダイナミクスモデル)を提起し,その中で運転員の犯しうるヒューマン・エラーの形態を,①通常監視でのスキルベール過誤(スリップ),②異常時対応でのルールベース,知識ベースの過誤(ミステーク)に分類し,3つの行動モードの特性を表3のように示している3).
表3 3つの行動モードの特性
3.2 行動の制御モード
「急いてはことをし損じる」ということわざがある.同じことをするのでも,時間が十分あればきちんとできても時間がないと慌ててしまう.タスクを実行する際の時間的な余裕度が最も運転員の行動に影響を与える.しかし時間的余裕がすべてではない.Hollnagelは,時間的余裕以外の要因として,人的タスクを取り巻く要求と負荷,物理的環境,組織・社会環境などを挙げ、これらの文脈によって人が行動する際の制御モードが変わるとして,戦略的制御モード,戦術的制御モード,機会主義的モード,混乱状態モードに分類している4).これらの制御モードの意味と文脈の特性との関係を表4に示す.
表4 行動の制御モードとその特性
4. ヒューマンエラーの図式
4.1 観察されるヒューマンエラーを内面的な認知処理機構から説明する分類図式
行動主義心理学と認知心理学のヒューマンエラーの見方を組み合わせると,ヒューマン・エラーには,①エラーの原因,②エラーを犯す人の行為を事象として捉える,③観察できる失敗という形での行為の結果に注目する,の3つの側面がある.これは時間的な因果関係から見たものだが,とくに人間の行為をその結果からみると,正しく実行された行為,そうでない行為,の二つに分けられる.そして後者の行為は時間的に正しくない実行結果が直ちに顕在するか,あるいは潜在化するかで,さらに①エラーが検出されて回復された行為,②エラーが検出されても許容される行為,③エラーが検出されて回復されない行為,④エラーが検出されない行為,に分けられる.
以上のような目に見える結果としてのエラーをもたらす人の,内面的な行動機構やそれに影響を与える環境要因に着目して,ヒューマン・エラーの構造を図式化すると,図2のようになる.なお,図2はもとはJ.Rasmussenの提起した図式2に,筆者が人間のパフォーマンスを計測し,分析するための測度を付加したものである.図2には顕在化したエラーの表面形態,内面の認知処理段階でのマルファンクションの機構,それらに影響を及ぼす諸要因を整理するとともに,インタフェースの性能評価に多用される代表的な人的要因の指標を示した.
4.2 システム安全から見たヒューマンエラーの分類図式
システムの安全管理から眺めると,4.1での外面的な観察から,オミッションないしコミッションに分類するヒューマンエラーを,人の内面的な認知処理の誤り機構に帰結させる見方より,むしろ人によって結果としてシステムに不安全な行為が加えられたか否か,それは意図的にしているのか,いやそうではなくて,自分はちゃんとする積もりだったのに結果として不安全な行為をしてしまっていたのか,を考える方が大事である.
組織心理学者のJ.Reasonは,4.1での分類では,人が不安全な行為を行う上での動機の良し悪しまでは考えていない,と考えた.そして,不安全な行為を意図的行為か,意図しない行為かの観点で分類すべきと考えて,図3のようなヒューマンエラーの分類図式を提唱している5).図3では,不安全な行為を,意図しない行為,意図的行為に分けて,4.1でのヒューマンエラーの分類である,スリップとラプスは,意図しない行為だが,ミステークは意図的行為だ,としている.そして,これらは過誤であり,認知エラー,すなわち内面的な情報処理過程の誤りであって,社会規範に違反する積もりでやったわけでない.一方,意図的行為として,人は社会規範に反することを知りながら,わざとする違反行為も,社会的文脈では随分行われている,と考えた.
なお,図3の右側の4つのボックスには,4つのヒューマンエラーである,スリップ,ラプス,ミステーク,違反の具体的な行いを例示している.
さらにReasonは,過誤をもたらす状況要因と,違反をもたらす状況とを,それぞれ表5と表6にリストアップしている.表5での各項目の括弧内の数字は,それぞれの状況要因がない場合のヒューマンエラー率を増加させる乗数を示したものである.つまりこの表中の上位の状況要因が多くあればあるほど,それだけヒューマンエラーを起こしやすい.これらの過誤は,認知エラーであるから,基本的にはインタフェースの改善でヒューマンエラー対策を講じることが可能である.
一方,表6での各項目は,英国での各種産業事故や交通事故の統計から状況要因として摘出されたものであり,順序には意味はない,としている.Reasonは,意図的行為として犯罪的意図で行う行為までは含めていないが,意図的行為には違反を入れている.違反というからには社会的規範の存在を仮定しているのである.そしてとくに悪いと知りながら違反を犯す人の性向にもメスを入れている.勿論,その裏には,社会的規範そのものにも,人に違反を強いるだけの要因がありうることを示唆している.
図2 ヒューマン・エラーの構造の図式
図3 不安全な行為の分類
表5 過誤をもたらす条件
表6 違反をもたらす条件
4. ヒューマン・エラー対策
ヒューマン・エラーを含め一般的にシステムの安全対策を考える場合,システムの状態を望ましくない状況に導く前駆事象(Carrier)に対して,事前予防のためのPreventive barrierと,例えトラブルが発生してもそれが重大な事故へ発展するのを防止するためのProtective barrierの二つの防護策が考えられる.Hollnagelはこのような防護策を,①物理的防壁(壁,フェンス,安全ベルト,安全帽など)②機能的防壁(ブレーキ,インターロック,パスワード,距離をおいて隔離,など)③シンボル的防壁(信号,警報,ラベル,指示,手順書,許可証など)④抽象的防壁(規則,禁止,法律など)の4つに分類している6).そして,これらを効率性,頑健度,導入までの時間,必要な資源量,安全上重要なタスクへの適用性,効果立証の評価のしやすさの観点から分類すると表7のようになる,としている.この表7より,機能的防壁以外は,人間機械系の中で安全上重要でクリテイカルな人的タスクへの適用性は低い.とくに規則,禁止,法律などの導入は,効率性,頑健性,必要な資源量の点で効果が薄く,導入までの時間は短くてもその効果を立証することは難しい.
表7 システム安全への4つの防壁と特性
以上ではシステム安全対策全体として分類したが,とくにヒューマン・エラー対策のあり方についてはJ.Reasonによる不安全な行為の分類をもとに考えることが重要である.図3ではスリップ,ラプス,ミステークのような認知エラーは過誤に一括しており,違反とは区別している.過誤はおもに人の行う情報処理上の問題で,個人レベルで理解可能であり,その対策は,再訓練,作業環境の再設計,記憶の支援,良質な情報提供,知識の向上のようなインタフェースの改善が中心である.一方,違反はおもに人の行動の動機の問題であり,それは社会的文脈の中でのみ理解しうる.J.Reasonは,安全作業の規範に対して,それに違反する行為の及ぼす悪影響を考えてもいないし,予期もしていないで巧く立ち回る行為が関わることが多いとして,その対策には,態度の変容,信念の変容,規範の変容,士気の変容,文化の改善,つまり安全文化を醸成することの重要性を指摘している5).
6.結び
本稿では,人間機械系の中でのヒューマンエラーについて,その心理学的理論の系譜とそれに基づくヒューマンエラー対策の基本的な知識を概説した.なお,違反行為に関わる対策としての,安全文化の醸成は如何にあるべきか,つまり組織事故への対策については話が長くなるので,Reasonによる成書7)を挙げるに留める.
発展する現代技術社会の歴史的傾向として,1回の重大事故発生の背景に29回の軽微な事故,そして約300回のニアミス事故があるという有名なハインリッヒの法則がある.機械システムの運用では,機械は運転期間を経るに従い,部品が摩耗してくるし,人間はときとして操作を誤るのは避けがたい.その現実を理解し,絶えず現実に学ぶ創造的取り組みが求められる.それは,システムの運転保守に関わるすべての人々が知恵を集め,常に人間機械系全体としての品質向上を図る日常活動にかかっている.
参考文献
1)J.Reason & A. Hobbs: Managing Maintenance Error A Practical Guide, Ashgate (2003) Table 1.1 in Page 1.
2)J.Rasmussen: Information Processing and Human-Machine Interaction, An Approach to Cognitive Engineeing, North-Holland (1986).
3)D.E.Embrey & J.Reason: Proc. ANS Int'l Topical Mtg on Advances in Human Factors in Nuclear Power Systems, Knoxville, (1986), p.292.
4)E.Hollnagel: Human Reliability Analysis: Context and Control, Academic Press, London (1993).
5)J.Reason: Human Error, Cambridge University Press (1990).
6)E.Hollnagel: Accident and Barriers, In: ..J.M. Hoc, P.Millot, E. Hollnagel, & P.C. Cacciabue (Eds), Proc. Les Vallenciennes, 28, Presses Universitaires Vallenciennes (1999), pp.175-182.
7)J. Reason: Managing the Risk of Organizational Accidents, Ashgate (1997)
人間機械系におけるヒューマンエラー 吉川 螢和,Hidekazu YOSHIKAWA