原子力安全、社会と共に考える -安全と安心-

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カテゴリ: 第14回
1.はじめに
「安心」という定義は難しいが、_豊かで何事もなく 穏やかに毎日を送るのが「安心」というものである”と 言われる。心の平安が「安心」というものであろう。 車や航空機といった_もの”や、飛び降りるとか運転 するとかいった_行為”、また台風や地震などの_事象” には、まず「安全」か否かの問いかけがあり、そのうえ で、「安心」して受け入れる。「安全」をどのように「判 断し、「安心」を担うのは誰なのか、「安全」と「安心」 はどう違うのか、以下に考える。 2.安全とリスク 1)「安全」の尺度 「安全」を測る尺度は何か。「安全とは、危なくないこ と」、また「被害を受ける心配のないこと」、などと定義 される。それは言いかえれば、_被害を受ける可能性” すなわち_リスク”を受容出来るレベルにまで少なくす ることにほかならないのである。十分な安全とは、リス クを人々が日常生活を送る上で意識しない程度の小さな レベル以下にまで抑えることであろう。 「安全」はリスクを尺度として測ることができ、死亡 リスクの可能性、確率として測ることが多い。死亡は被 害の一つの形態であるが、この_被害”を受ける事態に 至るまでには、シナリオがある。このシナリオは科学的 に分析され、それにより事態の進展の可能性、すなわち 確率が算定される。これが、「安全」の定量化である。 例えば、工場での事故であれば、その影響は事故の進 展により工場で働く従業員が受ける被害や周辺の住民、 公衆の健康被害、死亡が想定される。企業の損失、従業 員の被害、周辺住民の被害とそれぞれ、立場により異な るものが、リスクとして推定される。最も重大な影響が 死亡であり、死亡リスクである。一方、それぞれの立場 には、それぞれ異なるベネフィット(便益)があり、様々 にリスク・ベネフィットが評価されている。しかし、死 亡リスクについては、容易にベネフィットとの対比はできない。
含めて住まいを変えない限り難しい。選択できるもので リスクの大きさは、被害規模と発生確率の関係で表さ れ、一般にはその掛け算で与えられる。先に示したよう はない。多くの公害問題についても同様であろう。これ に、安全の対象を、被害の規模で最も重大な影響である を「社会リスク」と言い、社会としてどのようにリスク 死亡とすると、リスクの大きさの大小、すなわち_より を取って行くのか、またどのようにこのリスクに対応す 安全であるか否か”は、発生確率の大きさ、発生の可能 る、すなわちヘッジするのかを考えなければならない。 性が大きいか小さいかで判断できるものと考えられる。 また、公害問題などにおいても、被害を推し量ることは 様々なリスク要因、シナリオに対して、死亡という最も 難しく、簡単には解決されない。現実の被害が及ぶまで 重大な被害を取れば、リスクの比較として、その発生確 は、より「安全」であることへの要望はできても、自ら 率を用いることは有効なものと言えよう。 の判断でリスクを取る、取らない、を判断するには難し 2)社会通念としての死亡リスク られているような事象では、この「リスク」にどの程度 の違いがあるのかを自らで判断して行動する場合が多い。 過去のデータが蓄積されており、事故の発生確率が得 いものがある。「安全」については、リスクを生む側とリ スクを受ける側の「受容可能な安全のレベル」に関する 認識の差異は大きく、「安全」であるか否かの公平な判断 は難しいものとなっている。 _がん”による死亡リスクは年齢により異なるが、30歳 代以降では、男性と女性では、0.1%/0.2%(30歳 代)から2%/1%(50歳代)、5%/1%(60歳代)とそのリ スクは小さくはない。このリスクへの対応で、話題とな った乳がんのリスクを避ける策として乳房そのものを取 り除いてしまう、という俳優がいた。これはリスク回避 を個人の判断で行う決断をしたものの一例である。また、 わが国の交通事故による死亡リスクは、年平均で、最近 では0.01%(10-4)以下である。しかし、誰も車 の運転をやめるわけでもなく、車のないところに転居す るわけでもない。この数値は、近年、安全ベルトの義務 化等規制を厳しくした結果であり、この程度のリスクな らば、車を使うことの便益の方が大きく、人々はこれを 受け入れているとも言える。このあたりの死亡リスクが 受容のリスクレベルのように思われる。ましてや航空機 事故のリスクは、米国国家運輸安全委員会(NTSB)の報 告によれば、さらに一桁小さく、利用する人のリスク、 死亡する確率は0.001%(10-5)である。米国内 の航空会社だけ見れば約2桁程度小さくなるという。飛 行機を利用する、しないで、リスクの選択の判断をする 「社会リスク」を論じる場合には、必ずしも死亡リ スクが最上位に評価される影響となるとは限らない。社 会全体が経済的に成り立たなくなるようでは、人の存在 そのものに意味がなくなる。そこで、社会の存続が優先 される場合もある。どのように社会を成り立たせるか深 い議論をしなければならない。経済的な問題をどこまで 取り込むのかは、これからの課題である。 しかし、そこまでの議論でなくとも、「安全」であるか 否かの判断が容易にできるものであるなら、「リスク」は 別の議論となる。一般に、リスク評価においては、上述 の交通事故、航空機事故の例にみられるように、死亡と 言う損害の発生の可能性が10-4から10-5程度のリス ク値を境界として安全か否かを意識することなく、「安 全」と判断しているようである。従って、これが社会通 念での「安全」に対する一つの判断基準と言うこともで きると前述した。この社会通念での「安全」が確保され ると、リスクとベネフィットは同じレベルで対比ができ るようになり、ベネフィットと対比してリスクを受け入 れるか否かの判断に供する議論ができるようになる。 人もいるが、多くはリスクを感じずに飛行機を利用して 3.安全と安心の相関 いると言える。この程度の死亡の発生確率が、「社会通念」 として受け入れられるリスクの大きさと言えるのではな いか。 1)相関図 安全、安心を軸に、安全、安心の位置づけを考える。 図1はその関係を示す。横軸に安全、縦軸に安心を取り、 3)社会リスクとは何か 各象限の意味を考えると以下のようになる。 自分で、そのリスクを取るか否かの、取捨選択を判断 できないリスクと言うものがある。多くの天災に対して は、好むと好まざるとに限らず突然やってくるものと一 般には考えるもので、自らそれを避けることは、海外を - 298 - 第I象限: 不安全であることを知らず「虚の安心」 状態 第II象限: 不安全を認識している、「真の不安」の 状態 第III象限: 安全を理解するが、「疑の不安」の状態 第IV象限: 安全を認識し、信頼している「真の安心」 の状態 第一の壁(安全の壁):不安全の状態から安全へ移行す るには、「安全の壁」がある 第二の壁(安心の壁):不安の状態から安心へ移行する には、「安心の壁」 がある 先に挙げた交通事故やがんの問題など多くの事象は、 図1に示される各象限に分類される。一般には、安全で あれば安心し(第IV象限)、不安全であれば不安に思う(第 II象限)ように分類される。不安全であれば、まず安全 になるように様々に手を打ち、安心しようとするのが通 常である。 しかし、多くの場合は、第I象限であらわされる状態、 すなわち、安全について客観的な評価をすることもなく、 不安全な状況にいても安心していることがままある。明 確に安全だと評価し、認識しているわけではなく、特に 問題が露見しない限り、安心して毎日を送っていると いうのが実情であろう。実際に安全な場合(第IV象限) が多いが、必ずしも安全ではない場合(第I象限)も多 いのである。最近は、道を歩いていても、ベンチに座っ ていても、ましてや安全と思われる建物の中のくつろげ る空間にいても、突然車が飛び込んできて、認識もせず に死に至ってしまうことが起きている。安全の軸はリス クである。安全はリスクで定量化できる。リスクが大き ければ不安全、リスクが小さければ安全となる。しきい 値となる第一の壁は、個人では人によってまちまちであ るが、社会では「社会通念」として安全の限界が与えら れる。リスクは、人の死やけが、財産の損失など様々な 負の事象が、どれくらいの確率で起きる可能性があるの か、その集合である。何事もなければ第I象限にいても、 リスクを認識せずに安心の日々を送るのがいいのだが、 往々にして事故はこの状態で起きている。不安全な状態 にいるなら不安に思い、安全になるように改善しようと するものであるが、多くの人は不安全を認識することな く、第I象限を思いもよらず選択してしまっていること があるのである。不利益がなければ、すなわちリスクが 顕在化しないのならば、不安全であることをあえて認識 したくはないのが本音であろう。しかし、こういう状態 においてしばしば事故が発生しているのが、実情である。 安心以前に、不安全な状態に目をつむっていてはいけな 図1 「安全」「安心」の相関と安全の壁、安心の壁 - 299 - では、人が死亡するような事故は滅多に起きないもので、 いのではないか、ということである。 真に安全を確保するには、まずこの不安全の認識が必 隕石の落下衝突ほどに起きない事象であることから、そ 須である(このプロセスを図中1で示す)。どの程度の の対策の効果はデータでは検証できず、論理的な評価が 不安全な位置にいるのかを認識した上で、安全確保に向 重要な役割を持つ。東京電力福島第一での事故について けた取り組みを理解し、対策により、どの程度、安全な は、様々に研究がなされ、そこにデータを用いた検証に 状態になったのかを理解することで、真に安心を得るこ よる安心を得る方策が取れず、なかなか真の安心に結び とができる。これが正当な真の安心に向かう道である(図 つかない。引き続き、関係者や国民の間での対話を行い、 中2で示す)。 真の安心を得る方策を模索して行かなければならない。 第II象限にいるのか、第III象限にいるのか、リスクの状 態が理解できなければ、この分別は難しく不安は解消さ れない。どう言う状態を安全というのか、この安全を判 断する目標、基準のコンセンサスを作ることが、まず必 要である。これが第一の壁である。 更に難しい。人の心を定量化するのは難しい。しかし、 安全だと言われたことが、どの程度、安全なのか、一人 一人の頭の中で納得いくものとして理解されること、こ れが安心に向かうプロセスであろう。これが第二の壁で ある。安心は、信頼と言っても過言ではない。安全と言 う組織や個人が、個人や社会から信頼されて初めて、個 人や社会が安心しているというのである。 となる。 安全ではないことを理解して不安な状態になっても、 縦軸が安心の軸であるが、安心の軸を理解するのは、 このそれぞれの壁をどのように乗り越えるのかが課題 4)リスクの理解の現状と壁を超える方策 に、国民と原子力関係者との相互の対話を図る事が有効 である。それにより、関係者間でコンセンサスを得た適 正なリスクに関する目標を設定した上で、リスクを分析 し、評価することが重要である。 の理解に違いがあり、それが齟齬を生んでいる。特に原 子力発電の「リスク」については、個人個人に原子力発 電に対する便益に対する理解、受け入れるリスクの程度 に差があり、合意は難しいが、リスクの定量化の議論は 理解を進めることの一助となりうる。 標を含めたリスクに関する目標の要求である。絶対安全、 リスクゼロは存在しないことを認識した上で、得られる便 益とリスクのバランスを考慮して安全目標として、どのよ カギを握るのが、リスクへの認識である。リスクを基 安全の確保において、不可欠なのは、国民からの安全目 現在は、関係者の間での「リスクとは何か」について 2)第一の壁-安全目標の設定 うなリスクをどれだけに設定すべきか、国民の声を十分に 安全目標には、これが絶対と言うものはない。農薬の 反映して定性的又は定量的な形で要求するところを示すこ 残留基準においても、日本では、例えばジャガイモの残 とが必要である。これは行政の役割でもある。その上で、 留農薬を0.05ppmとしているが、米国では50ppmであり、 事業者は要求を満足するための安全の基準としてのリスク 1000 倍も違う。TPP が運用されるとこれを合わせて行か を設定し、運用する計画を示さなければならない。ここで なければならないなど、国際社会で生きて行くには国際 提示されたリスクが、国民が求める安全目標に合致するも 社会との対話と合意、コンセンサスが求められる。 のであることを説明するのは事業者の役割である。また、 原子力発電でも同じである。安全目標として、何を目 規制機関は国民の負託を受け、国民が求める安全要求に合 標とするのか、国は国民とコンセンサスを得た目標値を 致すべく定めた性能目標及びリスク情報を参考として取り 持つことが必要であろう。 込む規制の体系を構築し、設備が安全の要求を満たしてい その上で、他の基準と同様に、基準をいかに守るか、 るか、事業者の運営が安全にかなうものかを審査、監視す 事業者の姿勢が問われ、それをいかに規制するか原子力 る役割を担っている。その手続きを踏むことで、図1に示 規制委員会の役割とその仕組みが問われる。 す「真の安心」が形成されるものと考える。 3)第二の壁-安心への取り組み 4.「安全」、「安心」の確立 異なり、安全性の証明は論理的なものにならざるを得な い。交通事故や航空機事故は、事故発生の統計を取り、 対策の有効性は常に検証されてきた。しかし原子力発電 原子力発電の場合の安全は、他の産業の安全の確保と の役割を明らかにし、そのための意識共有や協力関係をつ くり、各主体がともにリスクについて意見や情報を集約し、 リスクが重要な軸であり、行政や専門家、事業者、国民 - 300 - 交換し、共有し合うことが不可欠である。 しかし、今や対話だけでは済まない社会の要請がある。 リスク認識の共有化と対策などのマネジメントへの関与で ある。 リスクへの取り組みにおいて、社会のコンセンサスを 形成するための方法は、必ずしも確立されていない。わ が国においては特に、リスクと言う概念への理解が様々 であり、どのようにリスクに取り組めばいいものかの共 通の理解ができていない。対話だけでは、危機に対して 各主体の意識・情報の共有化はできても、具体的な取り 組みとしての成果は生まれない。 リスクは避けて通れるものではない。どこにでもリス クはあり、リスクはなくならない。そのリスクを明らか にして、社会通念として許容できるリスク値まで小さく する対策を取って「安全」を確保し、その上で、安全で あることを論理的に示す対話を図ることで、「安心」を得 る。このように常にリスクに向き合って行かなければな らない。この取り組みを社会で共有することが重要であ る。 (注記) 「がん」のデータは、国立がん研究センター、がん情報 サービスのHP (http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summa ry.html)での_最新のがん統計”を用いた。表示のその 年代以降10年の「がん死亡リスク」を示している。 参考資料 (1)_皆で考える原子力発電のリスクと安全-原子力 発電所が二度と過酷事故を起こさないために-_原子 力政策への提言(第三分冊)、原子力発電所過酷事故防 止検討会編集委員会監修、科学技術国際交流センター、 2017 - 301 - 原子力安全、社会と共に考える -安全と安心- 宮野 廣,Hiroshi MIYANO,村松 健,Ken MURAMATSU,Kazuhiko NOGUCHI,Yoshiyuki NARUMIYA,NARUMIYA JAEA,高田 孝,Takashi TAKATA,牟田 仁,Hitoshi MUTA,Tatsuya ITOI,ITOI MRI,Masaaki MATSUMOTO,MATSUMOTO JANUS,Yoko MATSUNAGA
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