放射線を“正当に怖がる”社会への課題

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カテゴリ: 第8回
1. 緒言
「ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がりすぎたりするの はやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかし い。」と述べたのは、文学者であり、物理学者であった寺 田寅彦である[1] 。 - 平成23年3月 11 日に起きた東北地方太平洋沖地震を 起因とした福島第一原子力発電所の事故は、莫大な放射 性物質を放出し、その結果、多くの人を不安や恐怖をも たらした。 _ しかし、放射線の人体の影響は量によって大きく異な る。すなわち、多量に浴びると重大な影響があるが、少 量の場合には健康障害は認められていない。そのため、 科学的には、今回の事故による放射線影響を深刻に考え るべき人は限られた人となるが、社会の反応は大きく異 なり、発電所より 200km 以上離れた都心においても、除 染等々が問題となっている(2011年9月末日現在)。この ような状況は、科学技術大国と自負し、かつ、原子力が 電力の 1/3 を担ってきた国として、検討を要する必要があ るのではないだろうか。 1. 本稿では、社会が放射線を“正当に怖がれない”理由 と、“正当に怖がる”ためにどのような課題があるかを整 理したい。
2. “正当に怖がれない”理由
正当に怖がるためには、適切な知識が前提となるが、 放射線の人体への影響について考えるにあたって、不足 していたともわれる知識と情報について、3点指摘する。
2.1 放射線教育の空白日本における放射線教育は、昭和 56年(1981年)の学 習指導要領の改訂の際に削除され、その後約30年の間基 本的には放射線教育がなされない状況となった。それ以 前、義務教育のどの期間にどのような教育がなされてい たかは確認できていないが、平成 24年から復活すること となった中学校でかつての放射線教育が行われていたと 仮定した場合、少なくとも現在 40 歳以下は、放射線教育 を受けていないこととなる[2]。すなわち、40 歳以下は、放射線と放射能の違い、放射 線の単位、自然放射線の存在等々を教わっておらず、場 合によっては、放射線や放射能が原爆と直結した理解の み保持してしまっていることもあり得るであろう。教わ ったからといって、それを覚えているとは限らないが、 今回の事故による人体への影響への不安には、乳幼児の 存在が大きく、その親世代にあたる人々に放射線教育が なされてこなかったことの影響は、決して小さくない。2.2 防護基準による線量限度と被ばく線量限度 -- 放射線については、“防護基準による線量限度”と、過 去の被ばく者(医療、原爆、事故など)への調査研究結 果による“被ばく線量限度”の2つが存在する。防護については、ICRP(国際放射線防護委員会)が担 っており、各国は ICRP の出す防護基準に関する勧告に準 じて国内の基準を定めている。現在の ICRP の防護基準は 1990 年勧告によるものとなっており、以下の様な線量限 度が示されている。◎ 職業被ばく 実効線量:5年間の平均が 20mSv/年かつ 50mSv/年 等価線量:眼の水晶体 150mSv /年皮膚、手先、足先 500mSv /年48◎ 公衆被ばく 実効線量: 1mSv/年 等価線量:眼の水晶体皮膚・どこかにはしきい値が存在するという説。 ・わずかな被ばくは人体に良いという説(ホルミシス効 果)。15mSv / 50mSv /年防護の考え方は、わずかな量の放射線であっても、人 体に悪影響を与えるという考え方(LNT 仮説)に基づい たものである。しかし、その考え方の基となった 1927年 に H.J.マーラー博士の実験は、DNA損傷修復機能を持た ない特殊な細胞をもつショウジョウバエに対して行った 放射線照射し、線量と突然変異の発生が正比例したもの である。そのため、現在ではマーラー博士の実験結果を、 DNA損傷修復機能をもつ人に適用するのは、適切ではな いと言われている[3]。また、ズビグニェフ・ジャヲロフ スキー氏は、ICRP の勧告の背景として ・原爆に対する心理的反応 ・冷戦時の心理戦 ・放射線研究者たちの利害関心 ・政治家たちの利害関心 ・マスメディアの利害関心 等も挙げている[4]。 * 他方、被ばく線量限度については、同じ ICRP が 2007 年勧告で、1 年間の被ばく線量限度を、緊急時には 20~ 100mSv、緊急事故後の普及時には1~20mSv と定めてお り、UNSCEAR(国連科学委員会)も“100mSv以下では 放射線の影響は科学的には認められない。”との見解を出 している[5] 。著者自身は、多量に浴びると重大な影響がある放射線 の防護において、放射性物質を扱う組織に対し厳しい規 制値を設けることには賛成である。しかし、今回の事故 では、防護基準の被ばく量があることで被ばく線量限度 の意味が誤解される、あるいは、あたかも防護基準によ る線量限度が健康影響のしきい値のように語られてしま う状況が生じ、議論を難しくした。2.3 低線量の影響について* 前節で LNT 仮説について触れたが、低線量、特に 100mSV 以下の人体への影響については、主に以下の 3 つの説がある。・放射線の被ばく線量と影響の間には、しきい値がなく わずかな量で会っても、直線的な関係が成り立つという しきい値無し直線仮説(LNT 仮説)」。- LNT2010 ...... しきい値ホルミシス図1 100mSv をどのように考えるか[6]ホルミシスが注目されるようになったのは、1982 年に 米国保健物理学会誌に発表されたトーマス・D・ラッキー 博士の論文がきっかけである。LNT 仮説と相反す内容の 論文は、当初はさほど注目されなかったが、日本の電力 中央研究所が中心となった新たな調査や実験により、ラ ッキー博士の理論の正しさが証明され、同時に、LNT 仮 説の誤りが明らかになった[7] [8]。しかしながら、対ヒトとしては、宇宙飛行士の健康調 査により発見され、その後は自然放射線量の高いところ などを中心に研究されてきたホルミシス効果を、事故に よる放射線影響を語る際に持ち出すのは、語る側の心理 的にも難しい。そのため、新たな科学的知見であるホル ミシスについて語られることは少なく、結果として低レ ベルの放射線の人体への影響について曖昧な語られ方が 多く見受けられた。3. “正当に怖がる”ための課題正当に怖がるための前提として、今回の事故における 放射線の人体への影響に対する社会の反応において、欠 けていたと思われる放射線に対する知識関係する 3点の 指摘を行った。しかしながら、私のいう“適切な知識”を 持つことは、低レベルの放射線が怖くなくなることを意 味している訳ではない。同じ情報を得ても、それを怖い と思うか否かの判断は、誰に語られるかと、受けての感 性によるものであり、その結果は個々で異なって当然で あろう。だが、放射線についての知識量が違った場合に に、風評被害や母子の関係が現状と同じだったかと言わ れれば、やはり異なり、よりよい状況だったのではない だろうか。49“正当に怖がる”には怖がる対象そのものの知識だけ ではなく、周辺の知識の有無も関係する。放射線以外の リスクの認知は、放射線のリスク評価に大きく影響する であろう。このように考えてくると、放射線を“正当に 怖がる”社会のためには、の放射線を含む科学的教育を 行った上で、2その時々に合わせた必要な知識について 判り易い適切な説明を行い、2さらに最新のものを中心 に幅広い科学的知見を示すことが必要だと考える。科学に携わる者には、是非上記1~3の中で何ができ るかを考え、実行していただきたい。るかを考え、実行していただきたい。参考文献 [1] 近藤 宗平,“人は放射線になぜ弱いか”、講談社ブ [8]ルーバックス、1985; 第3版 1998. [2] 中学生学習指導要領の改訂については、http://www.radi-edu.jp/pages/copyright に詳しい。 中村 仁信、“放射線科医として原発事故放射能漏れ に思うこと」、月刊新医療、2011年7月、 Zbigniew Jaworowski, “Radiation Risk and Ethics““, Physics Today, Vol.52No.9, 1999 日本原子力学会保健物理・環境科学部会、“低レベル 放射線の健康栄養”、日本原子力学会ポジションステ ートメント(解説)、 2009、 http://www.aesj.or.jp/info/ps/AESJ-PS004r1.pdf http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2011/05/12/5859936 よ(財) 放射線影響協会、“放射線の影響がわかる本”、 1996 一般社団法人ホルミシス臨床研究会 HP より http://www.thar.jp/contents/history.html(平成 23 年9月 30 日)50“ “放射線を“正当に怖がる”社会への課題 “ “大場 恭子,Kyoko OBA
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