特集記事「1F事故 10周年に当たって」(3)新検査制度から始まる原子力安全の変革
公開日:(一財)発電設備技術検査協会
爾見 豊 Yutaka SHIKAMI
(3)新検査制度から始まる原子力安全の変革
1.はじめに
見通しの悪い路地の運転では、車は制限速度よりも減速して走る。運転者は制限速度基準を守ることに加えて、飛び出しがあっても止まれるかなど、安全そのものを意識して運転を行っている。これさえ守れば安全であるという具体的な基準を策定することは現実的でないため、基準を守らせるだけでなく、達成したい安全そのものを意識させる方法により効果的に安全を達成している例である。
原子力発電所の安全基準の多くは「事故」によるリスクを十分に低く抑制できるように設定されているが、具体的な基準の遵守だけで安全を達成することは難しい。福島第一原子力発電所事故では事故当時の安全基準より高い津波が発生し事故に至った。基準が不十分だったことに加え、発電所において基準適合に偏った活動が行われたことも原因であった。
その後、津波に関する基準はより適切なものに改正されたものの、基準適合だけでは安全確保上不十分である可能性は小さいながらも残っている。基準適合に加えて達成したい安全を関係者が意識して活動に生かすことが効果的・効率的な安全達成に役立つ。
事故後には、新規制基準が策定されただけでなく、安全そのものを意識した活動を促す仕組みの導入も始まっている。その一例が原子力規制検査制度であり、原子力発電所の幅広い活動において「安全を意識した活動」を促すことで、多くの活動に変化が生じ始めている。
以下では安全を意識した活動への変革という視点で、新検査制度の意味について考えてみる。
2.安全を意識した活動と新検査制度
2.1 安全を意識した活動とは何か
発電所の機器の保全を例に安全を意識した活動を考えてみる。保全に関連する基準では機器の重要度に応じて「最高の信頼性」等を要求している。発電所の保全にあたっては、これを具体的な基準、例えば、「機器Aは 2年毎に分解点検する」のように具体化し遵守している。保全員には、現状の保全により機器が「最高の信頼性」要求を満たしているか、さらにその上位の目的である安全を達成しているかを判断することは難しい。 2年に 1回分解するといった具体的な基準への適合だけを目標に保全等の活動を実施すると、安全のために本来必要となる活動に対して抜けや無駄のある効果の小さい活動が誘導されてしまう。
「安全を意識した保全活動」では、まず、安全上、対象機器の故障率がいくら以下になれば十分なのかを意識し、保全によりこの目標が達成できているかを監視し、保全プログラムに反映する。これにより初めて、個々の保全員は知識や経験を生かして過不足の小さい効果的・効率的な保全を工夫して実行できる。
規制基準策定、運転操作など事故リスク抑制に関係する多くの活動において、保全同様に目標とする安全レベルと活動の関係を認識することで、関係者は自らの活動の過不足に気づき、安全達成のためにより効果的な活動へと改善していくことができる。
2.2 安全を意識した活動のための前準備
各活動の関係者に広く安全を意識してもらうには、①目標とする安全レベル、②具体化した目標、③活動の結果が安全に与えた影響を評価する手段、という3つの前準備が必要となる。
①は安全目標と呼ばれ、「原子力発電所から受ける死亡リスクの合計が、それ以外の交通事故などによる死亡リスクに比べて十分小さい(例えば 0.1%以下)」等が用いられる。意識すべき安全とは安全目標を確実に満たすことを意味し、安全規制や安全確保活動は安全目標を効果的に達成するべく実施される。
実務の改善を行うには安全目標だけでは一般的過ぎて利用しづらいため、より具体的な目標に置き換える必要がある。米国の場合、炉心損傷頻度(CDF)や大規模早期放出頻度( LERF)の閾値が用いられ、性能目標と呼ばれている。
最後に、自らの活動によってどの程度 CDF等が改善(劣化)したのかを評価するツールとしての確率論的リスク評価(PRA)の整備が必要となる。保全の場合、保全後の機器の故障率を調べ、保全が原因の故障により CDFがどれだけ上昇したかを評価により知ることで、保全内容の追加や削除による改善が可能となる。
2.3新検査制度と安全を意識した活動
原子力規制検査では米国 ROPと同じく CDF等を用いた性能目標への影響の程度を用いて、事故に関係する検査対象の選定、検査指摘事項の重要度決定、指摘の重要度に応じた程度の再発防止対策が取られる。例えば保全不良で機器が故障した状態を検査で見つけた場合、故障によって増加した CDFの大きさ ( Δ CDF)を PRAで評価し、その大きさに応じた程度の対応が事業者に要求される。事業者は負担の大きい対応を取らないでよいように、安全影響が大きい問題が発生しないように活動を見直そうとする。この結果、目標とする安全レベルをより効果的・効率的に達成する活動へと改善が進むことになる。
安全を意識した活動を誘導する検査制度の導入により、多くの活動が安全の達成に対して今までよりも効果的・効率的になるという質的な変化が、原子力発電所の各所で徐々に、そして確実に始まっている。
3.原子力規制検査導入の効果と課題
3.1 規制、事業者、国民に関係する効果
新検査制度は、 CDF等の性能目標の利用により、関係者に安全を具体的に意識させ、より効果的・効率的な活動へと誘導することで様々な効果をもたらす。規制当局は重要な安全劣化の発見にリソースを集中し、重要度に応じた是正を事業者に要求することで、同じ検査時間の中で、より多くの重要な劣化を是正させ、より高い安全レベルを達成させることが可能となる。事業者も、規制検査の変化と同じく安全上重要な劣化を発見、是正し、将来の発生を予防することに焦点を当てた活動へと移行することで、限られたリソースで、より高い安全レベルを達成・維持することが可能となる。
また、安全上の効果が小さい運用上の制約、例えば保安規定に定められた最長運転期間 13カ月といった運用制限が安全に与える効果の大きさを評価する手段を得たことで、将来、安全上効果の小さい制約を緩和し運用の柔軟性や経済的なメリットを獲得できる可能性も広がる。
国民にとっては、「原子力発電所の安全レベルが上がる」こと、そして不要な活動が減ることで最終的には何らかの形で国民が負担することになる「発電や規制のコストが下がる」ことの2つが直接的なメリットとなる。また、原子力安全に強い関心を持っている人にとっては、検査指摘事項の重要度が国民の受けるリスクを元に客観的に示されるため、原子力発電所の運用状況がより透明性を持って確認できるという間接的なメリットもあり、これも社会が長期的に原子力発電と共存し、その便益を受け続けていく上で重要な点である。
3.2 原子力規制検査の課題
原子力規制検査では ROPと同様に、事故に関連した検査分野に PRAを広く適用しているが、現状の PRAにはまだまだ不完全な部分がある。特に日本では地震、津波といった外部事象によるリスクが米国より相対的に大きく、この部分の評価が難しいことがプラントの CDF総量の算出を困難にしている。事故関連の検査の中には地震・津波以外にも、臨界事象、使用済み燃料プール冷却など、元々 PRAが適用できない分野があり、 PRAに代わる仕組みが必要となる。
新検査制度では、このように PRAが適用困難な分野には、 PRAよりは客観性や精度が劣る場合があるものの、別の重要度判断の仕組みを適用している。最も汎用的な例が「定性的評価」と呼ばれる仕組みであり、ここでは、重要度判断が複数の専門家の裁量に大幅に委ねられる。ROPでも同様の定性的評価のルールがあるが、その適用は PRA等の方法が利用できない場合に強く限定されている。日本でも、できるだけ PRA等を使った上で、どうしても適用が困難な分野に限って次善策として他の方法を適用するという運用が望まれる。
このような別ルールにより安全目標への影響の大きさを合理的に判断する際には、深層防護の劣化の程度などの PRA以外の要素を工夫して利用する必要がある。その検討を通した知識の集積が将来の PRAモデル発展の礎となり得る。まず可能な分野から PRAを用いた判断を適用し、次に適用が困難な分野がどこなのかを認識し、そして PRAに変わる評価方法を工夫することにより、将来 PRAをより広い範囲に適用できる環境が整っていく。
4.リスクインフォームド (RI)規制への移行
4.1 米国の RI規制への移行と効果
ROPのように、規制の中にリスクに直接関係する要求を組み込むことで、安全を意識した活動を誘導する規制は RI規制と呼ばれる。要求の例には、リスクそのものを評価して一定以下に抑制することや、リスクの上昇量に応じて是正を行うことなどが含まれる。 RI規制の一例である米国 ROPでは、安全劣化事象の重要度をリスクの大きさに応じて決定し、その重要度に応じた追加措置を要求するなどの要素が制度に組み込まれている。
RI規制は原子力規制検査への適用だけでも 3.1で述べた効果があるが、より広範囲に適用することで、その効果は非常に大きなものとなる。
米国では過去 3~ 40年にわたって検査制度を含む多くの原子力安全規制分野に少しずつ RI規制の適用が拡大してきた。 1979年に米国で発生した TMI事故では、当時の規制では想定してなかった運転操作ミスによる炉心損傷事故が発生し、規制が安全上不十分ではないかとの懸念を関係者に持たせた。そして原子力発電所の安全レベルを体系的に評価し、十分なレベルにあるかを確認するために必要となる PRAの重要性が認識され、 1986には安全目標が定められ、その後 RI規制の適用範囲が少しずつ拡大されていった。
RI規制の拡大は安全性と経済性に図1に示すような大きな効果をもたらした [1] 。当時の PRAで評価できた内部事象に限った結果ではあるが、原子力発電所の平均的な CDFが 80%減少したことは安全上の効果の大きさを強く示唆しており、同時に達成された平均利用率の 70%から 90%への上昇は経済性の改善だけでなく操作や機器信頼性の向上も進んだことを示している。
図1 米国プラントの CDFと利用率の推移
4.2 米国での RI規制拡大の順序が示すもの
米国での RI規制拡大の順序には、今後の日本での RI規制拡大のヒントが含まれている。米国で適用されている主な RI規制の派生関係をまとめたのが図 2である。
1986年の安全目標の策定に始まり、 1995年には PRA政策表明 [2]により「規制が PRAを利用すること、規制強化だけでなく効果の小さい規制の緩和にも利用すること」が宣言された。これにより事業者は経営を圧迫する可能性のある規制強化だけでなく、必要な安全レベルを確実に達成できるならば運用の柔軟性が獲得できる規制緩和を期待できるようになり、経営面からも PRAモデルの整備や PRAを用いた評価のために大きな投資ができる環境が整った。これら2つについては RI規制の前提となるため、日本でも早期に取り組むべきである。
図2 米国の主な RI規制の派生関係
その後米国では、①安全上、コスト上の効果が大きい分野、② PRAの適用に大きな障害のない分野、という2面から見た優先度の順に RI規制が拡大した。
1996年と比較的早期に改正されたのがメンテナンスルール (連邦規則 10CFR50.65)である。メンテナンスルールでは、重要機器の保全を行い、保全作業中のリスクを抑制する方法をとることを要求すると同時に、プラントの運転中に重要機器の保全を行うことを認め、その結果、質の高い保全による計画外停止の減少と、燃料交換停止中に行われる保全量の減少による燃料交換停止期間の短縮により、プラントの平均利用率が 20%近く上昇し、同時に CDFも大きく減少した。運用準備のために多数の保全対象機器の機器故障率データの採取、規制要求を具体化した民間運用ルールの策定など大きな負担があったが、効果の大きさから産業界が積極的に役割を果たした。
1999年には事前認可申請が必要な変更の範囲を定める変更要件 (連邦規則 10CFR50.59)の運用が開始された。事業者が設備の改造等の変更を行う前に規制当局による事前審査が必要となる対象を認可図書の変更の有無で判断する方法から、変更による安全への影響の大きさで判断する方法へと見直した。これにより審査を経ない不用意な変更により安全レベルが低下したり、安全レベルが向上する変更が許認可に長期間を要するために行われなかったりするという問題が減少した。効果や準備に必要な負担はいずれもメンテナンスルールよりも小さかったと考えらえる。
2000年には日本の原子力規制検査のモデルにもなった ROPの運用が始まり、運用開始から 20年で検査指摘の数が半減した。是正処置プログラム (CAP)等の事業者活動の焦点が重要な安全劣化の再発防止等にあてられるようになったことなどが背景にある。 ROPは関係者が多く導入準備にも多大な労力がかかったが、 2000年と比較的早い段階から運用を開始している。規制検査は広範囲の事業者活動に影響するという性格上、事業者活動の安全面やコスト面の改善効果が大きいと判断されたことが理由だと考えられる。
5.RI規制を日本にも
RI規制は、目標とするレベルの安全の達成に対して事業者等の活動を効果的な方向へと誘導する。日本では地震・津波という PRAが適用しにくい分野のリスクが大きいため、安全上の効果は米国よりも小さいかもしれないが、それでも十分に大きな効果が期待できる。
主に利用率向上がもたらす経済的な効果は、燃料費が米国より高い日本の方が大きくなる。 2018年度の関西電力資料 [3]によると同社が保有する 661.8万 kWの原子力発電設備の年平均利用率が 1%低下すると火力燃料費が年間 41億円増加する。現在までに新規制基準適合の安全審査を申請した原子力プラント 27基、2759万 kWに換算すると年間 186億円となる。仮に米国同様平均利用率が 70%から 90%に 20%上昇する場合、その効果は年間 3400億円余りとなり、安全性だけでなく経済的にも大きな効果が期待できる。
原子力発電所の運転によるリスクの大幅減少、毎年数千億円の経済的なメリットの両方を同時に得られる規制体系・運用体系への移行を本格的に行うかどうかの分岐点に我々は今立っている。
6.まとめ
基準適合重視の活動から、安全目標を意識し PRAを用いる活動への移行という、安全性、経済性の両方を同時に改善できる手段を我々は持っており、既に原子力規制制度においてその適用が始まっている。国民が原子力発電による便益を将来も受け続けられるかどうかは、検査だけでなく原子力安全規制活動全体が、そして事業者活動全体が、安全目標を意識して最適化されていくかどうかに大きく影響される可能性がある。
我々は、新しく始まった原子力規制検査の運用が、達成すべき安全レベルを意識した活動を行うという本質から逸れないように注意を払うとともに、検査制度以外の分野への RI規制の適用拡大を積極的に推し進めていくべきである。
参考文献
[1]"Safety and Operational Benefits of Risk-Informed Initiative", Electric Power Research Institute, Feb 2008, http://mydocs.epri.com/docs/CorporateDocuments/ SectorPages/Portfolio/Nuclear/Safety_and_Operational_
Bene.ts_1016308.pdf#search=%27safety+and+operation al+bene.ts+of+riskinformed+initiatives%27
[2]"Use of Probabilistic Risk Assessment Methods in Nuclear Regulatory Activities", U.S. Nuclear Regulatory Commission, August 16, 1995, Fed. Regist. 60 (158), https://www.nrc.gov/reading-rm/doc-collections/ commission/policy/60fr42622.pdf
[3]"FACT BOOK 2019 Year ended march 31, 2019", Kansai Electric Power Co., Inc., p26, https://www.kepco. co.jp/corporate/report/factbook/2019/pdf/factbk19.pdf
(2021年 2月 2日)
著者紹介
著者:爾見 豊
所属:発電設備技術検査協会
専門分野:原子力安全規制制度