原子力分野における地震PSAと最近の出来事
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原子力分野における地震PSAと最近の出来事 高田 毅士 _
1.はじめに
筆者の関係する原子力耐震分野において最近の大きな出来事は3つある。ひとつ目は、2006年9月に、25年近く前に策定され長い間実機プラントの耐震設計に使われてきた耐震設計審査指針が改訂されたことである。二つ目は、筆者が(財)原子力発電技術機構(NUPEC、現在の(独)原子力安全基盤機構(JNES)の前身)時代から確率論的地震PSAプロジェクトに参画してきたが、2007年9月に日本原子力学会のオーソライズを経て「学会標準、原子力発電所の地震を起因とした確率論的安全評価実施基準:2007」が刊行されたことである。三つ目は2007年7月16日に新潟地方を襲った新潟県中越沖地震による東京電力柏崎刈羽原子力発電所の被害であり、設計用基準地震動S2を大幅に上回った地震動が観測され、7基あるプラントにおいて安全系を含むAクラス施設は無被害だったものの、Cクラス設備はかなりの被害を被った。
これらの3つの互いに独立した出来事が1年という短い期間に起こり、原子力発電所の耐震問題を根本から考えさせられることになったのは、我が国の原子力耐震の歴史において特記すべきことと言わざるを得ない。この原子力耐震の激動の時期に居合わせた我々としては、これらの出来事をうまく結びつけ、この難題を解決してゆかねばならない使命を担っているように感じる。
本記事は、筆者が長年関わってきた原子力耐震分野において、改訂審査指針のねらい、確率論的安全評価の特徴、そして誰もが真摯に受け止めなければならない大地震による被害について、3つをつなぎ合わせながら(未だ頭の中ですっきりと関連づけられていないが)、原子力施設の耐震安全性について議論を展開し、そこから新たな解決の糸口を見いだそうとしたものである。
図1 原子力耐震分野における最近の出来事
2.発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針の改訂の概要
原子力施設の耐震設計審査指針1)(旧指針)は1981年に施行された。原子力施設の安全設計の基本的考え方「原子力施設の放射線による被ばくから、個人・社会・環境を守ること」を踏まえて、施設に要求される基本性能、すなわち、放射線被ばく防止に関して、「原子炉を止める、冷やす、放射性物質を閉じ込める」必要があることが記されている2)。続いて、それらを担保するために施設の耐震設計の目的が以下のように謳われている3)。
(1) 大地震に遭遇した場合にも、一般公衆および従事者等に過度の放射線被ばくを与えないようにする。
(2) 修理が困難な部分および破損した場合に公衆の安全を損なう部分に対しては十分な強度と信頼性を保有させる。
この基本精神は、改訂指針4)においても受け継がれている。以下には指針改訂の背景について記す。1981年以降の地震学および地震工学に関する新たな知見の蓄積や耐震設計技術の進歩は著しく、特に1995年の兵庫県南部地震に関する調査研究の成果等を通じて、断層の活動様式、地震動特性、構造物の耐震性等に係わる貴重な知見が得られており、原子力安全委員会は、原子力施設の耐震安全性を一層向上させるために指針を全面的に改定することとし、2001年7月に特別な分科会を設置した。さらに、1995年の兵庫県南部地震に加えて、近年、設計用地震動を上回るような記録が女川や志賀発電所で観測された事実に対して、一般公衆、社会、原子力反対派への適切な説明が求められるようになったことは見逃せない。旧指針においては、設計用最強、設計用限界地震から策定される基準地震動S1, S2を導入し、それを超える地震動はあり得ないという「絶対安全」の考え方に基づいて耐震設計されてきたのであるから、基準地震動を超える事実があれば、その説明が要求されるのは当然のことである。おそらく、耐震安全性に関する説明がしづらくなってききたことが指針改訂の一番のドライヴィングフォースであったと推察する。
こうした背景の下、2001年7月から約5年間、分科会にて議論を費やし2006年9月に新耐震設計審査指針4)が決着をみた。この間50回余に及ぶ分科会が開催された。分科会での専門委員の公開発言録5)により、分科会でどのような議論がなされ、専門委員の意見がどのように収束していったか克明に記録されている。指針改訂のプロセスの透明性がこのように確保されていることは、我が国も米国並みに情報開示が進んできた証しであり大変好ましいことと思う。
耐震指針の改訂内容について以下に示す。まず、旧指針の基本方針は以下の通りである。
「(旧指針)1.基本方針 発電用原子炉施設は想定されるいかなる地震力に対してもこれが大きな事故の誘因とならないよう十分な耐震性を有していなければならない。また、建物・構築物は原則として剛構造とするとともに、重要な建物・構造物は岩盤に支持させなければならない。(下線は著者による)」
この基本方針に対して、以下の4項目が新指針では改訂された。
1) 施設の供用期間中に極めて稀であるが発生する可能性のある地震動(基準地震動Ss)による地震力に対して、安全機能が損なわれない設計であることを要求
2) 「剛構造」、「岩盤支持」の要件の削除
3) 「残余のリスク」の導入
4) 「残余のリスク」を合理的に可能な限り小さくすることを明記
1)においては、地震動の大きさを表すのに、「極めて稀であるが発生する可能性」という頻度的な表現が採用され、旧指針の「想定されるいかなる地震力...」の絶対論的表現と比較すると、大きな基本方針の変更となっている。
次に、2)については、旧指針に比較して、構造形式の拡大として、免震構造等への適用可能性を広げたこと、支持条件として十分な耐震安全性を確保することが可能であれば、「岩盤」に支持させなくてもよいことが謳われており、杭支持や第四紀層への支持といった立地拡大可能性を反映したものとなっている。
3)については、適切な基準地震動を策定したとしても地震学的見地からは、策定した基準地震動を上回る強さの地震動が生起する可能性は極めて低いものの否定できないことから、この可能性を「残余のリスク」という考え方にまとめた。この「残余のリスク」が新しく導入されたことは、1)と関連して「絶対安全」を謳っていた旧耐震指針から、確率論的安全評価や、リスク情報に基づく規制に向かう大きな一歩を踏み出したものと高く評価できる。これらが耐震設計審査指針の基本方針の大きな改訂点である。
この残余のリスクを導入したことにより、耐震設計固有の事情として、設計用地震動を上回る可能性があることや、複数の機器及び系統の同時損傷の可能性があることから、以前の指針に比べると、これらを反映しやすくなっていることが分かる。また、今まで、プラントが安全であるか否かといった二元的な議論ばかりであったが、残余のリスクが導入されたことにより、「安全の程度」を議論できるようになり、説明性が格段に向上したと言える。これらの利点が次章で論ずる地震による確率論的安全評価手法と大いに関係することになる。
実際に、2007年の7月の柏崎刈羽原子力発電所において、設計用基準地震動S2を大巾に上回った地震動が観測されており、設計用地震動を設定した後、「残余のリスク」を異なるアプローチで評価することはプラントの安全性確保に欠かせない要求である。この点において、確率論的アプローチが決定論的なものと相互補完的であることがわかる。また、「残余のリスク」は、安全目標となじみが良い指標となりうることも特記すべき点である。
3. 地震PSA基準
地震PSA(確率論的安全評価:Probabilistic Safety Assessment、米国では、確率論的リスク評価PRA:Probabilistic Risk Assessmentと呼ばれることが多い)は次のように定義されている。地震PSAは、発生の可能性が極めて小さな地震動も含めて、原子力発電所に影響を及ぼすと想定される地震動を対象に、地震動のばらつきや建屋・機器の応答挙動のばらつき、耐力のばらつき等を考慮に入れて、事故シーケンスの発生確率/頻度やその影響を分析し、原子力発電所の耐震安全性を定量評価するものである。
米国での主な内容 日本での主な内容
WASH-1400報告 :1975年
・確率論的手法による原子炉安全研究
ローレンスリバモア研究所 :1978年
・SSMRP法の開発
・ZION法の開発
NUREG-1150報告 :1990年
・BWRピーチボトムの評価
・PWR サリーの評価
IPEEE(外的事象個別プラント評価):1991~2000年
・個別プラント(約40基)の評価
・評価結果をプラント改善の意思決定に利用
RG 1.165(立地・耐震指針) :1997年
・地震PSA成果の耐震指針改訂への反映 2000年
ANS標準の策定/発行 : 2003年
RG 1.200(PSA品質指針) :2004年
・外的事象PSAの組み込み
日本原子力研究所 :1985年開始
・評価手法・評価コード(レベル1)
・BWRモデルプラント評価
原子力発電技術機構 :1994年開始
・原研手法コード導入、手法の高度化
レベル1,2,3地震PSAへの拡張
・より実機に近いプラントの評価
代表的BWR(タイプ4,5)
代表的PWR(2ループ、4ループ)
・振動台による機器耐力データ整備
他機関での検討
・事業者、サイクル機構
新指針の改訂スケジュールとほぼ同時期に、日本原子力学会の標準委員会・発電炉専門部会の平野光将部会長を主査に、原子力発電所の確率論的安全評価の専門家・技術者が電力業界、アカデミア、メーカー、ゼネコン等から招集され地震PSA分科会が発足し、その傘下に地震ハザード評価作業会、建屋・機器フラジリティ評価作業会、事故シークエンス評価作業会がつくられた。筆者もこの分科会に参画した。そして、地震PSA手順書、正式名称は「原子力発電所の地震を起因とした確率論的安全評価実施基準:2007」6)の作成が始まった。本実施基準は日本原子力学会の専門家の査読を経て2007年9月に刊行され、世界に類を見ない技術標準になったと考えている。
この実施基準策定の背景には、まず、米国では30年前から、我が国では20年前から表1に示すようなPSAに関連するプロジェクトや検討が実施されてきた経緯がある。そんな中、最近の原子力リスクの検討状況が活発化したことが挙げられる。2003年には、原子力安全委員会からリスク情報を活用した原子力安全規制の導入に関する基本方針が公表されたこと、これを受けて原子力安全・保安院は、その具体的検討を開始した。また、安全目標専門部会において、安全目標に関する中間結果が公表され、人の死亡リスク(平均0.01人/年:人の寿命は長くて100年)を超えない数値を目安として原子力安全の目標値を設定すべきとの報告がなされた。さらに、原子力安全委員会における耐震設計審査指針高度化の検討において、設計用地震動を上回る地震動の可能性を考える必要があることが指摘された。これらのことから、リスクという概念がどうしても必要となってきた背景があり、日本原子力学会において地震PSA実施基準策定の機運が高まった。
新しく編纂された原子力学会の地震PSA実施基準には、随所に我が国固有の評価手法や最新の知見が盛り込まれており、具体的かつ実務的な手順書で、使いやすいものとなっている。図2は本基準に示された地震PSAの基本的流れである。
表1に示すように、米国においてもIPEEE(外的事象に対する個別プラント評価:Individual Plant Examination for External Events)の中で、地震PSAの手順が記載されているが、今回の原子力標準では、実際的で詳細な解説が数多くもうけられており、日本以外の地震国が大いに参考にすべき実用書と考えている。
地震PSAは、図2に示すように、地震ハザード評価、建屋・機器フラジリティ評価、事故シーケンス評価を経て、炉心損傷頻度を評価する一連の評価プロセスである。筆者が特に深く関わった地震ハザード評価の部分について、その概要と特徴を以下に紹介する。
地震ハザード評価とは、発電所サイトに将来到来する地震動の大きさとその年超過確率の関係、いわゆる、地震ハザード曲線を求めるものである。このハザード曲線は地震動強さの確率分布を示していることに他ならない。将来の地震動をそれも極めて稀にしか起きないような地震を対象に評価するのであるから大きな不確定性が伴う。不確定性は、偶然的不確定性(Aleatory Uncertainty) と認識論的不確定性(Epistemic Uncertainty)に分類され、できる限り定量的に評価される必要がある。前者は偶然に支配される物理量の変動性を表し、後者は知識や情報が不足していることによって生じる不確定性を表しており、新しい理論や新しいデータ(情報)が追加されると低減してゆく性質を有する。対象とする課題に含まれる不確定性をどちらかの不確定性に分類して評価を実施する。評価は以下の3つの段階がある。
1) 震源のモデル化
2) 地震動伝播のモデル化
3) ハザード曲線の算出
これらの評価の詳細については文献6)に譲ることにし、本解説では特記すべき事項として、専門家の組織的活用方法について触れる。
活断層の諸元、活断層の判別、断層長の決定、活動度の評価など、情報が少ない場合に頼れるものはその分野に精通した専門家の意見である。しかしながら、異なる専門家によって解釈や意見が異なることが少なくなく、特に、傍証となるデータが少なく調査をしてもはっきりしない場合などは専門家の意見に相違が存在することがしばしばある。
こうした場合に、敢えて一つの考え方・意見に収束させるのではなく、異なる意見を共存させたままで評価してゆく方法があり、ロジックツリーによる方法と呼ばれている。この方法では、図3に示すように、複数の扱いの違いや意見の違いを分岐として表したロジックツリーを策定し、それぞれの分岐には専門家が主観的に決める重みが付与されることになる。
これらのロジックツリーが構築できれば、それぞれの分岐の組み合わせ方に応じた分だけのハザード評価を実施することになり、結果として莫大な本数のハザード曲線が評価される。ハザード曲線がばらつくことは評価に関する認識論的不確定性が存在することを反映している。
次に、専門家の意見の抽出方法も決して容易なことではないが、米国のSSHAC(Senior Seismic Hazard Analysis Committee)が提案する方法が現在のところ有効でかつ実用的な方法であり、本基準においても採用されている。表2は、SSHACのレポート7)に記載された専門家の意見抽出方法であり、対象とする課題の重大さ、複雑さ、等に応じて複数の実施レベルが用意されている。表中のTIあるいはTFIは、技術的まとめ役を表し、複数の専門家の意見を公正に抽出し、意見の集約を円滑にする役目を持つ専門家である。また、コミュニティ分布とは、対象とする課題を扱う特定専門分野に属する専門家集団の意見分布を指し、客観的で偏りのない方法で専門家の意見の抽出と集約を実施することになる。
地震PSA基準では、対象サイトが与えられた後、まず、感度解析、専門家へのアンケートなどを併用して、重大な課題の特定を行い、TIを中心とする意見交換の会合を開くなどして、ロジックツリーをより適切なものにしてゆくプロセスが提案されている。専門家の意見の抽出と集約の手法は、不確定な課題を取り扱う有効で説明性の高い手法であり、ハザード評価に限らず、広範な問題に適用できる可能性を秘めている。
表2 ロジックツリーの検討レベル7)
検討レベル 課題の程度 検討方法
レベル1 ハザードへの影響度が小さい場合 TIが文献レビュー、経験に基づきモデルを評価し、コミュニティ分布を見積もる
レベル2 ハザードに影響、意見の違いがある場合 TIがモデル提案者や関連の専門家と接触し、見解や根拠を聞き、コミュニティ分布を見積もる
レベル3 ハザードに最も影響、意見の違いがあり複雑な場合 TIがモデル提案者や関連の専門家を一堂に集めて討論を持ち、提案の改善、絞り込みを行って、コミュニティ分布を見積もる
レベル4 同上(注) TFIが専門家パネルを組織し、議論の焦点を絞る。各評価者のコミュニティ分布の見積もりを引き出し集約する。
TI(Technical Integrator)/ TFI(Technical Facilitator/Integrator)
技術的まとめ役 (注)より組織的に実施する場合
4. 改訂指針と中越沖地震による被害
過去の耐震規定の改訂の歴史を考えると、大きな地震被害を受ける度に耐震規定の改訂がなされている。建築基準法を考えると、1968年の十勝沖地震によりコンクリート建物の耐震規定が、1979年の宮城県沖地震後には新耐震規定に粘り強さの規定が付け加えられた。また、1995年の兵庫県南部地震は2000年の基準法の性能規定化とも大いに関わりのあるイベントでもあった。原子力分野においても、今回の中越沖地震によるプラント被害を踏まえて、旧・新指針の点検を実施する必要がある。
中越沖地震によるプラント被害は既にいろいろなところで報告されており、また、原子力耐震に詳しい専門家から見た旧指針の評価もいつくか報道されている。鈴木8)によると、耐震重要度の低い設備と地盤に被害が集中したが、旧指針から導入された重要度分類に応じた日本の耐震設計法の優秀性が実証されたとしている。また、家村9)においては、プラントが安全に停止したことは、地震国日本の耐震技術の高さを示すものである。しかしながら、実際に生じた地震動を推定することは大きな不確定性があることも指摘している。
このように、耐震分野の専門家は中越沖地震によるプラント被害を極めて冷静に観察し、旧指針が適切に機能したことを指摘している。安全設計の基本は正しく守られ、「想定外」の地震外力に対しても、プラント全体が安全停止できたことは技術者にとって大きな誇りである。しかし、今後の反省点として、旧指針が目標とした性能の考え方、大地震後のプラントとしての修復性や復旧容易性が現時点において最も深刻なものとなっており、今後じっくりと検討してゆく必要があろう。このことは、安全確保は勿論であるが、耐震設計の目標は安全確保のみに限らないことを示唆している。また、一般公衆に対する説明責任も指摘されている。これについては、「残余のリスク」の考え方が説明性を向上させると期待できるが、「リスク」をいかに分かりやすく伝えて一般公衆に理解してもらうか大きな課題がある。
現在、既存プラントの耐震バックチェック、中越沖地震よる他プラントへの知見の反映など、原子力業界は繁忙状態であるが、今回の地震被害を踏まえて、今までの設計指針の総点検を近いうちに実施すべきである。また、今回の柏崎発電所の「想定外」と言われる観測地震動は、やはり、活褶曲帯における海底活断層の評価が不十分であったことが原因と言わざるを得ない。陸域、海域における断層調査の高度化が課題である。最後に、改訂指針で設計されていればどこまで対応できたかについても、検討の余地が残されていると考える。
5. 地震PSA基準と改訂指針
地震PSA基準の目的は、プラント全体の耐震裕度を評価することである。ここで、全体の裕度を二つに分けて、地震外力に対する設計地震力の持つ余裕と、プラントあるいは建屋・機器コンポーネントの持つ余裕に分離することができる。前者は地震ハザード評価結果と設計用基準地震動のレベルの比較から、後者は建屋・機器フラジリティ曲線と設計許容値の比較から、それぞれ余裕を評価することができる。すなわち、図4に示すように、これら一連の評価においては、サイトにおける地震外力Sを確率分布で表し、それと設計で規定された値sdを比較することにより、地震外力Sがsdを上回る確率を評価でき、その確率をある程度小さくなるようにsdを決めることになる。同様に、建屋・機器の耐力許容値についても、保有耐力Rが許容値rdを下回る確率を一定値以下とすることで耐力側の許容値の持つ余裕を表現することができる。
図4を参照すれば、Pr(sd<S)やPr(R<rd)をバランスよく調整して設定することにより、損傷確率Pr(R<S)を間接的にではあるが、一定値、ここではプラントの安全目標値(PCDF=10-4?10-5/炉年)以下にすることができる。従って、図2に示すS-PSA基準のフローの中間成果物(地震ハザード曲線あるいは建屋・機器フラジリティ曲線)を用いれば、設計段階の裕度を、外力設定時、耐力の許容値設定時に分けて定量的に評価することができる。
改訂指針においては、「残余のリスク」を評価して、それをできる限り小さくすることが明記されているが、これには、ふたつの方法があり得ることを理解すべきである。ひとつは、Pr(sd<S)を小さくする、図4を参考にすれば、sdをできるだけ大きくする(より大きな基準地震動を設定する)ことであり、もうひとつの方法は、Pr(R<rd)をできるだけ小さくする(大きな耐力を有すると考えられ場合にも大きな安全率で除して小さめの許容値とする)ことである。この場合、S-PSA基準における安全性の定量化は、外力の評価、建屋・機器の耐力の評価の両方の余裕度から導かれる、全体としての全余裕度を定量的に評価するものである。
新指針は、この点において、外力側の評価、すなわち、基準地震動Ssを導入することにより改訂されたのであって、後者の建屋・機器の耐力の有する余裕設定については旧来の設計基準のままであることに注意すべきである。これらの設計許容値(許容限界)については、今回の地震被害調査結果との対比で今後時間をかけて議論される必要がある。
図4 外乱の大きさSと建屋・機器耐力Rの関係
6. まとめ
地震PSA基準の刊行、指針の改訂、中越沖地震の発生を関連づけて、同じ耐震問題の中で議論しようと試みた。執筆のための準備期間が足らず、的を射た深い議論が展開できていないが、この3つの同時期の重要な出来事をつなぐ糸口がほんの少しではあるが見えてきたような気がする。課題解決はまだまだ遠い道程であるが、原子力耐震の問題が、「地震PSA基準」、「残余のリスク」、「付与される余裕の定量化」、「説明性の向上」、「専門家の活用」といった新しいキーワードを用いて議論される状況になってきたようである。
(追記)写真1:確率論的地震ハザード評価手法の父として知られる、米国スタンフォード大学のC.A. Cornell博士が、2007年12月、69歳でこの世を去った。米国の地震PSA手法開発の主要人物の一人であり、米国NRCの専門家として大いに貢献した。
参考文献
1) 原子力安全委員会:発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(旧指針)、191981/07/01
2) 原子力安全委員会:平成18年版 原子力安全白書、平成19年7月
3) 大崎順彦、渡部丹 監修:原子炉施設の耐震設計、産業技術出版、1987
4) 原子力安全委員会:発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(新指針)、202006/09/01
5) 原子力安全委員会・原子力安全基準・指針専門部会、耐震指針検討分科会、速記録、
6) 日本原子力学会、日本原子力学会標準 原子力発電所の地震を起因とした確率論的安全評価実施基準:2007、2007年9月
7) Senior Seismic Hazard Analysis Committee, “Recommendations for Probabilistic Seismic Hazard Analysis: Guidance on Uncertainty and Use of Experts”, NUREG/CR-6372, SSHAC, 1997
8) 鈴木浩平、編集後記、社団法人日本工学アカデミー広報委員会、EAJ NEWS, NO.119, 2007.12
9) 家村浩和、日本地震工学会誌 NO.7 ,2008
(平成20年5月2日)
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1.はじめに
筆者の関係する原子力耐震分野において最近の大きな出来事は3つある。ひとつ目は、2006年9月に、25年近く前に策定され長い間実機プラントの耐震設計に使われてきた耐震設計審査指針が改訂されたことである。二つ目は、筆者が(財)原子力発電技術機構(NUPEC、現在の(独)原子力安全基盤機構(JNES)の前身)時代から確率論的地震PSAプロジェクトに参画してきたが、2007年9月に日本原子力学会のオーソライズを経て「学会標準、原子力発電所の地震を起因とした確率論的安全評価実施基準:2007」が刊行されたことである。三つ目は2007年7月16日に新潟地方を襲った新潟県中越沖地震による東京電力柏崎刈羽原子力発電所の被害であり、設計用基準地震動S2を大幅に上回った地震動が観測され、7基あるプラントにおいて安全系を含むAクラス施設は無被害だったものの、Cクラス設備はかなりの被害を被った。
これらの3つの互いに独立した出来事が1年という短い期間に起こり、原子力発電所の耐震問題を根本から考えさせられることになったのは、我が国の原子力耐震の歴史において特記すべきことと言わざるを得ない。この原子力耐震の激動の時期に居合わせた我々としては、これらの出来事をうまく結びつけ、この難題を解決してゆかねばならない使命を担っているように感じる。
本記事は、筆者が長年関わってきた原子力耐震分野において、改訂審査指針のねらい、確率論的安全評価の特徴、そして誰もが真摯に受け止めなければならない大地震による被害について、3つをつなぎ合わせながら(未だ頭の中ですっきりと関連づけられていないが)、原子力施設の耐震安全性について議論を展開し、そこから新たな解決の糸口を見いだそうとしたものである。
図1 原子力耐震分野における最近の出来事
2.発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針の改訂の概要
原子力施設の耐震設計審査指針1)(旧指針)は1981年に施行された。原子力施設の安全設計の基本的考え方「原子力施設の放射線による被ばくから、個人・社会・環境を守ること」を踏まえて、施設に要求される基本性能、すなわち、放射線被ばく防止に関して、「原子炉を止める、冷やす、放射性物質を閉じ込める」必要があることが記されている2)。続いて、それらを担保するために施設の耐震設計の目的が以下のように謳われている3)。
(1) 大地震に遭遇した場合にも、一般公衆および従事者等に過度の放射線被ばくを与えないようにする。
(2) 修理が困難な部分および破損した場合に公衆の安全を損なう部分に対しては十分な強度と信頼性を保有させる。
この基本精神は、改訂指針4)においても受け継がれている。以下には指針改訂の背景について記す。1981年以降の地震学および地震工学に関する新たな知見の蓄積や耐震設計技術の進歩は著しく、特に1995年の兵庫県南部地震に関する調査研究の成果等を通じて、断層の活動様式、地震動特性、構造物の耐震性等に係わる貴重な知見が得られており、原子力安全委員会は、原子力施設の耐震安全性を一層向上させるために指針を全面的に改定することとし、2001年7月に特別な分科会を設置した。さらに、1995年の兵庫県南部地震に加えて、近年、設計用地震動を上回るような記録が女川や志賀発電所で観測された事実に対して、一般公衆、社会、原子力反対派への適切な説明が求められるようになったことは見逃せない。旧指針においては、設計用最強、設計用限界地震から策定される基準地震動S1, S2を導入し、それを超える地震動はあり得ないという「絶対安全」の考え方に基づいて耐震設計されてきたのであるから、基準地震動を超える事実があれば、その説明が要求されるのは当然のことである。おそらく、耐震安全性に関する説明がしづらくなってききたことが指針改訂の一番のドライヴィングフォースであったと推察する。
こうした背景の下、2001年7月から約5年間、分科会にて議論を費やし2006年9月に新耐震設計審査指針4)が決着をみた。この間50回余に及ぶ分科会が開催された。分科会での専門委員の公開発言録5)により、分科会でどのような議論がなされ、専門委員の意見がどのように収束していったか克明に記録されている。指針改訂のプロセスの透明性がこのように確保されていることは、我が国も米国並みに情報開示が進んできた証しであり大変好ましいことと思う。
耐震指針の改訂内容について以下に示す。まず、旧指針の基本方針は以下の通りである。
「(旧指針)1.基本方針 発電用原子炉施設は想定されるいかなる地震力に対してもこれが大きな事故の誘因とならないよう十分な耐震性を有していなければならない。また、建物・構築物は原則として剛構造とするとともに、重要な建物・構造物は岩盤に支持させなければならない。(下線は著者による)」
この基本方針に対して、以下の4項目が新指針では改訂された。
1) 施設の供用期間中に極めて稀であるが発生する可能性のある地震動(基準地震動Ss)による地震力に対して、安全機能が損なわれない設計であることを要求
2) 「剛構造」、「岩盤支持」の要件の削除
3) 「残余のリスク」の導入
4) 「残余のリスク」を合理的に可能な限り小さくすることを明記
1)においては、地震動の大きさを表すのに、「極めて稀であるが発生する可能性」という頻度的な表現が採用され、旧指針の「想定されるいかなる地震力...」の絶対論的表現と比較すると、大きな基本方針の変更となっている。
次に、2)については、旧指針に比較して、構造形式の拡大として、免震構造等への適用可能性を広げたこと、支持条件として十分な耐震安全性を確保することが可能であれば、「岩盤」に支持させなくてもよいことが謳われており、杭支持や第四紀層への支持といった立地拡大可能性を反映したものとなっている。
3)については、適切な基準地震動を策定したとしても地震学的見地からは、策定した基準地震動を上回る強さの地震動が生起する可能性は極めて低いものの否定できないことから、この可能性を「残余のリスク」という考え方にまとめた。この「残余のリスク」が新しく導入されたことは、1)と関連して「絶対安全」を謳っていた旧耐震指針から、確率論的安全評価や、リスク情報に基づく規制に向かう大きな一歩を踏み出したものと高く評価できる。これらが耐震設計審査指針の基本方針の大きな改訂点である。
この残余のリスクを導入したことにより、耐震設計固有の事情として、設計用地震動を上回る可能性があることや、複数の機器及び系統の同時損傷の可能性があることから、以前の指針に比べると、これらを反映しやすくなっていることが分かる。また、今まで、プラントが安全であるか否かといった二元的な議論ばかりであったが、残余のリスクが導入されたことにより、「安全の程度」を議論できるようになり、説明性が格段に向上したと言える。これらの利点が次章で論ずる地震による確率論的安全評価手法と大いに関係することになる。
実際に、2007年の7月の柏崎刈羽原子力発電所において、設計用基準地震動S2を大巾に上回った地震動が観測されており、設計用地震動を設定した後、「残余のリスク」を異なるアプローチで評価することはプラントの安全性確保に欠かせない要求である。この点において、確率論的アプローチが決定論的なものと相互補完的であることがわかる。また、「残余のリスク」は、安全目標となじみが良い指標となりうることも特記すべき点である。
3. 地震PSA基準
地震PSA(確率論的安全評価:Probabilistic Safety Assessment、米国では、確率論的リスク評価PRA:Probabilistic Risk Assessmentと呼ばれることが多い)は次のように定義されている。地震PSAは、発生の可能性が極めて小さな地震動も含めて、原子力発電所に影響を及ぼすと想定される地震動を対象に、地震動のばらつきや建屋・機器の応答挙動のばらつき、耐力のばらつき等を考慮に入れて、事故シーケンスの発生確率/頻度やその影響を分析し、原子力発電所の耐震安全性を定量評価するものである。
米国での主な内容 日本での主な内容
WASH-1400報告 :1975年
・確率論的手法による原子炉安全研究
ローレンスリバモア研究所 :1978年
・SSMRP法の開発
・ZION法の開発
NUREG-1150報告 :1990年
・BWRピーチボトムの評価
・PWR サリーの評価
IPEEE(外的事象個別プラント評価):1991~2000年
・個別プラント(約40基)の評価
・評価結果をプラント改善の意思決定に利用
RG 1.165(立地・耐震指針) :1997年
・地震PSA成果の耐震指針改訂への反映 2000年
ANS標準の策定/発行 : 2003年
RG 1.200(PSA品質指針) :2004年
・外的事象PSAの組み込み
日本原子力研究所 :1985年開始
・評価手法・評価コード(レベル1)
・BWRモデルプラント評価
原子力発電技術機構 :1994年開始
・原研手法コード導入、手法の高度化
レベル1,2,3地震PSAへの拡張
・より実機に近いプラントの評価
代表的BWR(タイプ4,5)
代表的PWR(2ループ、4ループ)
・振動台による機器耐力データ整備
他機関での検討
・事業者、サイクル機構
新指針の改訂スケジュールとほぼ同時期に、日本原子力学会の標準委員会・発電炉専門部会の平野光将部会長を主査に、原子力発電所の確率論的安全評価の専門家・技術者が電力業界、アカデミア、メーカー、ゼネコン等から招集され地震PSA分科会が発足し、その傘下に地震ハザード評価作業会、建屋・機器フラジリティ評価作業会、事故シークエンス評価作業会がつくられた。筆者もこの分科会に参画した。そして、地震PSA手順書、正式名称は「原子力発電所の地震を起因とした確率論的安全評価実施基準:2007」6)の作成が始まった。本実施基準は日本原子力学会の専門家の査読を経て2007年9月に刊行され、世界に類を見ない技術標準になったと考えている。
この実施基準策定の背景には、まず、米国では30年前から、我が国では20年前から表1に示すようなPSAに関連するプロジェクトや検討が実施されてきた経緯がある。そんな中、最近の原子力リスクの検討状況が活発化したことが挙げられる。2003年には、原子力安全委員会からリスク情報を活用した原子力安全規制の導入に関する基本方針が公表されたこと、これを受けて原子力安全・保安院は、その具体的検討を開始した。また、安全目標専門部会において、安全目標に関する中間結果が公表され、人の死亡リスク(平均0.01人/年:人の寿命は長くて100年)を超えない数値を目安として原子力安全の目標値を設定すべきとの報告がなされた。さらに、原子力安全委員会における耐震設計審査指針高度化の検討において、設計用地震動を上回る地震動の可能性を考える必要があることが指摘された。これらのことから、リスクという概念がどうしても必要となってきた背景があり、日本原子力学会において地震PSA実施基準策定の機運が高まった。
新しく編纂された原子力学会の地震PSA実施基準には、随所に我が国固有の評価手法や最新の知見が盛り込まれており、具体的かつ実務的な手順書で、使いやすいものとなっている。図2は本基準に示された地震PSAの基本的流れである。
表1に示すように、米国においてもIPEEE(外的事象に対する個別プラント評価:Individual Plant Examination for External Events)の中で、地震PSAの手順が記載されているが、今回の原子力標準では、実際的で詳細な解説が数多くもうけられており、日本以外の地震国が大いに参考にすべき実用書と考えている。
地震PSAは、図2に示すように、地震ハザード評価、建屋・機器フラジリティ評価、事故シーケンス評価を経て、炉心損傷頻度を評価する一連の評価プロセスである。筆者が特に深く関わった地震ハザード評価の部分について、その概要と特徴を以下に紹介する。
地震ハザード評価とは、発電所サイトに将来到来する地震動の大きさとその年超過確率の関係、いわゆる、地震ハザード曲線を求めるものである。このハザード曲線は地震動強さの確率分布を示していることに他ならない。将来の地震動をそれも極めて稀にしか起きないような地震を対象に評価するのであるから大きな不確定性が伴う。不確定性は、偶然的不確定性(Aleatory Uncertainty) と認識論的不確定性(Epistemic Uncertainty)に分類され、できる限り定量的に評価される必要がある。前者は偶然に支配される物理量の変動性を表し、後者は知識や情報が不足していることによって生じる不確定性を表しており、新しい理論や新しいデータ(情報)が追加されると低減してゆく性質を有する。対象とする課題に含まれる不確定性をどちらかの不確定性に分類して評価を実施する。評価は以下の3つの段階がある。
1) 震源のモデル化
2) 地震動伝播のモデル化
3) ハザード曲線の算出
これらの評価の詳細については文献6)に譲ることにし、本解説では特記すべき事項として、専門家の組織的活用方法について触れる。
活断層の諸元、活断層の判別、断層長の決定、活動度の評価など、情報が少ない場合に頼れるものはその分野に精通した専門家の意見である。しかしながら、異なる専門家によって解釈や意見が異なることが少なくなく、特に、傍証となるデータが少なく調査をしてもはっきりしない場合などは専門家の意見に相違が存在することがしばしばある。
こうした場合に、敢えて一つの考え方・意見に収束させるのではなく、異なる意見を共存させたままで評価してゆく方法があり、ロジックツリーによる方法と呼ばれている。この方法では、図3に示すように、複数の扱いの違いや意見の違いを分岐として表したロジックツリーを策定し、それぞれの分岐には専門家が主観的に決める重みが付与されることになる。
これらのロジックツリーが構築できれば、それぞれの分岐の組み合わせ方に応じた分だけのハザード評価を実施することになり、結果として莫大な本数のハザード曲線が評価される。ハザード曲線がばらつくことは評価に関する認識論的不確定性が存在することを反映している。
次に、専門家の意見の抽出方法も決して容易なことではないが、米国のSSHAC(Senior Seismic Hazard Analysis Committee)が提案する方法が現在のところ有効でかつ実用的な方法であり、本基準においても採用されている。表2は、SSHACのレポート7)に記載された専門家の意見抽出方法であり、対象とする課題の重大さ、複雑さ、等に応じて複数の実施レベルが用意されている。表中のTIあるいはTFIは、技術的まとめ役を表し、複数の専門家の意見を公正に抽出し、意見の集約を円滑にする役目を持つ専門家である。また、コミュニティ分布とは、対象とする課題を扱う特定専門分野に属する専門家集団の意見分布を指し、客観的で偏りのない方法で専門家の意見の抽出と集約を実施することになる。
地震PSA基準では、対象サイトが与えられた後、まず、感度解析、専門家へのアンケートなどを併用して、重大な課題の特定を行い、TIを中心とする意見交換の会合を開くなどして、ロジックツリーをより適切なものにしてゆくプロセスが提案されている。専門家の意見の抽出と集約の手法は、不確定な課題を取り扱う有効で説明性の高い手法であり、ハザード評価に限らず、広範な問題に適用できる可能性を秘めている。
表2 ロジックツリーの検討レベル7)
検討レベル 課題の程度 検討方法
レベル1 ハザードへの影響度が小さい場合 TIが文献レビュー、経験に基づきモデルを評価し、コミュニティ分布を見積もる
レベル2 ハザードに影響、意見の違いがある場合 TIがモデル提案者や関連の専門家と接触し、見解や根拠を聞き、コミュニティ分布を見積もる
レベル3 ハザードに最も影響、意見の違いがあり複雑な場合 TIがモデル提案者や関連の専門家を一堂に集めて討論を持ち、提案の改善、絞り込みを行って、コミュニティ分布を見積もる
レベル4 同上(注) TFIが専門家パネルを組織し、議論の焦点を絞る。各評価者のコミュニティ分布の見積もりを引き出し集約する。
TI(Technical Integrator)/ TFI(Technical Facilitator/Integrator)
技術的まとめ役 (注)より組織的に実施する場合
4. 改訂指針と中越沖地震による被害
過去の耐震規定の改訂の歴史を考えると、大きな地震被害を受ける度に耐震規定の改訂がなされている。建築基準法を考えると、1968年の十勝沖地震によりコンクリート建物の耐震規定が、1979年の宮城県沖地震後には新耐震規定に粘り強さの規定が付け加えられた。また、1995年の兵庫県南部地震は2000年の基準法の性能規定化とも大いに関わりのあるイベントでもあった。原子力分野においても、今回の中越沖地震によるプラント被害を踏まえて、旧・新指針の点検を実施する必要がある。
中越沖地震によるプラント被害は既にいろいろなところで報告されており、また、原子力耐震に詳しい専門家から見た旧指針の評価もいつくか報道されている。鈴木8)によると、耐震重要度の低い設備と地盤に被害が集中したが、旧指針から導入された重要度分類に応じた日本の耐震設計法の優秀性が実証されたとしている。また、家村9)においては、プラントが安全に停止したことは、地震国日本の耐震技術の高さを示すものである。しかしながら、実際に生じた地震動を推定することは大きな不確定性があることも指摘している。
このように、耐震分野の専門家は中越沖地震によるプラント被害を極めて冷静に観察し、旧指針が適切に機能したことを指摘している。安全設計の基本は正しく守られ、「想定外」の地震外力に対しても、プラント全体が安全停止できたことは技術者にとって大きな誇りである。しかし、今後の反省点として、旧指針が目標とした性能の考え方、大地震後のプラントとしての修復性や復旧容易性が現時点において最も深刻なものとなっており、今後じっくりと検討してゆく必要があろう。このことは、安全確保は勿論であるが、耐震設計の目標は安全確保のみに限らないことを示唆している。また、一般公衆に対する説明責任も指摘されている。これについては、「残余のリスク」の考え方が説明性を向上させると期待できるが、「リスク」をいかに分かりやすく伝えて一般公衆に理解してもらうか大きな課題がある。
現在、既存プラントの耐震バックチェック、中越沖地震よる他プラントへの知見の反映など、原子力業界は繁忙状態であるが、今回の地震被害を踏まえて、今までの設計指針の総点検を近いうちに実施すべきである。また、今回の柏崎発電所の「想定外」と言われる観測地震動は、やはり、活褶曲帯における海底活断層の評価が不十分であったことが原因と言わざるを得ない。陸域、海域における断層調査の高度化が課題である。最後に、改訂指針で設計されていればどこまで対応できたかについても、検討の余地が残されていると考える。
5. 地震PSA基準と改訂指針
地震PSA基準の目的は、プラント全体の耐震裕度を評価することである。ここで、全体の裕度を二つに分けて、地震外力に対する設計地震力の持つ余裕と、プラントあるいは建屋・機器コンポーネントの持つ余裕に分離することができる。前者は地震ハザード評価結果と設計用基準地震動のレベルの比較から、後者は建屋・機器フラジリティ曲線と設計許容値の比較から、それぞれ余裕を評価することができる。すなわち、図4に示すように、これら一連の評価においては、サイトにおける地震外力Sを確率分布で表し、それと設計で規定された値sdを比較することにより、地震外力Sがsdを上回る確率を評価でき、その確率をある程度小さくなるようにsdを決めることになる。同様に、建屋・機器の耐力許容値についても、保有耐力Rが許容値rdを下回る確率を一定値以下とすることで耐力側の許容値の持つ余裕を表現することができる。
図4を参照すれば、Pr(sd<S)やPr(R<rd)をバランスよく調整して設定することにより、損傷確率Pr(R<S)を間接的にではあるが、一定値、ここではプラントの安全目標値(PCDF=10-4?10-5/炉年)以下にすることができる。従って、図2に示すS-PSA基準のフローの中間成果物(地震ハザード曲線あるいは建屋・機器フラジリティ曲線)を用いれば、設計段階の裕度を、外力設定時、耐力の許容値設定時に分けて定量的に評価することができる。
改訂指針においては、「残余のリスク」を評価して、それをできる限り小さくすることが明記されているが、これには、ふたつの方法があり得ることを理解すべきである。ひとつは、Pr(sd<S)を小さくする、図4を参考にすれば、sdをできるだけ大きくする(より大きな基準地震動を設定する)ことであり、もうひとつの方法は、Pr(R<rd)をできるだけ小さくする(大きな耐力を有すると考えられ場合にも大きな安全率で除して小さめの許容値とする)ことである。この場合、S-PSA基準における安全性の定量化は、外力の評価、建屋・機器の耐力の評価の両方の余裕度から導かれる、全体としての全余裕度を定量的に評価するものである。
新指針は、この点において、外力側の評価、すなわち、基準地震動Ssを導入することにより改訂されたのであって、後者の建屋・機器の耐力の有する余裕設定については旧来の設計基準のままであることに注意すべきである。これらの設計許容値(許容限界)については、今回の地震被害調査結果との対比で今後時間をかけて議論される必要がある。
図4 外乱の大きさSと建屋・機器耐力Rの関係
6. まとめ
地震PSA基準の刊行、指針の改訂、中越沖地震の発生を関連づけて、同じ耐震問題の中で議論しようと試みた。執筆のための準備期間が足らず、的を射た深い議論が展開できていないが、この3つの同時期の重要な出来事をつなぐ糸口がほんの少しではあるが見えてきたような気がする。課題解決はまだまだ遠い道程であるが、原子力耐震の問題が、「地震PSA基準」、「残余のリスク」、「付与される余裕の定量化」、「説明性の向上」、「専門家の活用」といった新しいキーワードを用いて議論される状況になってきたようである。
(追記)写真1:確率論的地震ハザード評価手法の父として知られる、米国スタンフォード大学のC.A. Cornell博士が、2007年12月、69歳でこの世を去った。米国の地震PSA手法開発の主要人物の一人であり、米国NRCの専門家として大いに貢献した。
参考文献
1) 原子力安全委員会:発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(旧指針)、191981/07/01
2) 原子力安全委員会:平成18年版 原子力安全白書、平成19年7月
3) 大崎順彦、渡部丹 監修:原子炉施設の耐震設計、産業技術出版、1987
4) 原子力安全委員会:発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(新指針)、202006/09/01
5) 原子力安全委員会・原子力安全基準・指針専門部会、耐震指針検討分科会、速記録、
6) 日本原子力学会、日本原子力学会標準 原子力発電所の地震を起因とした確率論的安全評価実施基準:2007、2007年9月
7) Senior Seismic Hazard Analysis Committee, “Recommendations for Probabilistic Seismic Hazard Analysis: Guidance on Uncertainty and Use of Experts”, NUREG/CR-6372, SSHAC, 1997
8) 鈴木浩平、編集後記、社団法人日本工学アカデミー広報委員会、EAJ NEWS, NO.119, 2007.12
9) 家村浩和、日本地震工学会誌 NO.7 ,2008
(平成20年5月2日)
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