地震PSA-非原子力・産業施設のリスク評価とマネジメント
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カテゴリ: 解説記事
1.はじめに
地震リスク情報の一つで、予想最大損失額を表す地震PML(Probable Maximum Loss)1)は、そもそも米国の保険情報の一つとして発展したが、わが国では証券化資産(オフィスビル、商業施設、賃貸マンション、ホテル、倉庫など)の地震リスク診断として一般化が進み、一定の市民権を得るに至っている。最近では、設計・計画時にPMLの下限値を指定することが、施工主の要求事項の一つに組み入れられるケースも増えている。一方、製造業の地震防災対策や事業継続計画(BCP;Business Continuity Plan)2)が重要視される中、これを具現化する上での基本技術として、地震リスク評価技術が注目されている。特に、リスクの効率的管理を目指したリスクマネジメントでは、耐震補強の必要性や優先順位の把握のみならず、被災時に必要となる資金調達を具備するための金融対策の検討などにも地震リスク情報は利用されている。
さて、地震リスク評価技術は、損害の金銭対価を実質転嫁できる、いわゆる地震保険ならびに原子力施設を対象とした安全性評価技術に起源を求めることができる。前者は、災害対策を扱う米国の緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency)3)が取りまとめた諸施設の地震被害統計により定量化のベースが整備され、一般化が促進した。後者は信頼性工学をベースとした地震PSA(Probability Safety Assessment)技術を対象に、特に学術分野で発展した。これら二つの流れは技術的相互補完を経て、非原子力・産業施設の地震リスク評価技術に集約されたと考えることができる。
地震リスク評価技術を構成する学術分野は、確率・統計学、地震工学、構造工学、信頼性工学など、広い範囲に及び、さらにリスクマネジメントになると、企業財務、保険数理、金融論、リスクコミュニケーションなど、技術者には馴染みの薄い社会科学系の領域も含まれる。地震リスクマネジメントが役立つ仕組み、
あるいはツールとして一般化するには、広範な分野の知見と技術が必要であるのと同時に、分野の枠組みを超えた横断的な領域において、技術面での統合あるいは整合を図ることが必要となる。一方、これまでにも、一般家庭から企業に至るまで、思考的な考察や経験的な知識に基づき、リスクマネジメントは行なわれてきた。これに対して、近年リスクマネジメントを総合的かつ体系的に評価することに関心が高まっている。その理由は、これまでの経験則的な判断から、科学的な方法を取り入れたより合理的な判断が時代の要請となってきたからである。その背景には、一つの意思決定が、様々な人々の利害に複雑に影響する組織化された時代にあり、ステークホルダーへの説明責任が極めて重要になってきたからである。
本報は、意思決定情報としてのリスクのあり方、ならびにリスク評価の方法を概説すると共に、製造業を対象に、地震リスクマネジメントの方法を紹介する。
2.意思決定情報としてのリスク
リスクは「事態の確からしさとその結果の組合せ,あるいは事態の発生確率とその結果の組み合わせ(JIS Q 2001:2001)」と定義される。平易には「将来における不確かな損失あるいは不利益とその発生確率の組み合わせ」と解釈される。不確かとは、予想はできるが計量できない事象も含まれる。例えば、個人の情緒的あるいは作為的な行為(テロや犯罪)によって第三者が不利益を被るような場合、統計情報が極端に少ない事象などである。これらは、計量はできないまでもリスクとして予想はできることになる。このような事象によって損失や不利益を被ることが、リスクの大枠である。しかしながら、非原子力・産業施設における地震リスクは、防災対策の必要性の把握や選定など、具体的な意思決定問題と対峙している。また意思決定の妥当性に関る説明責任を負うこともある。このため、意思決定に至る明確な根拠が必要となるため、損失の大きさやその可能性を定量的に示すことが求められる。つまり、地震の発生から被害の発生までを蓋然事象として捉え、一貫して確率・統計的アプローチ4)が採られている。
具体的なリスク情報としては、損失期待値や損失の非超過確率値、あるいは特定の被害事象の発生確率などがある。しかしながら、これらはリスクの一側面を示すものであり、必要ではあるが意思決定における十分情報とは必ずしも考えていない。そこで、損失期待値等を狭義のリスク、損失の確率関数あるいは損失確率密度関数等を広義のリスクと定義5)し、必要に応じ使い分けている。狭義のリスクは基本的に一義であり序列化ができ、意思決定に関わる説明も容易である。一方の広義のリスクは、上記したリスクの定義に合致するものの、人によって解釈は異なり意思決定も多様となる。業種特有の収支状況や経営者の中長期戦略、成熟企業や発展途上の企業など、様々な状況が想定される中で経営者(意思決定者)の裁量や選好の余地を残すことも重要であることから、狭義のリスクを必要情報、広義のリスクを十分情報と位置付けている。
リスク情報による意思決定者はあくまでも非専門家である。このため、情報は一般の人々の視点で理解でき、判断できる尺度で示さなければならない。そこで、製造業を対象としたリスク情報は、復旧費用や損失資産価値、生産停止期間や営業損失など、経営者が理解できる尺度、つまり金銭対価を原則としている。
3.地震リスク評価手法概説
製造業を対象とした地震リスク評価の流れを示したのが図1である。リスク評価に必要な情報は、サイト情報(所在地、地盤情報)、施設情報に大別され、施設情報は、資産価値、生産品種、生産工程、売上などからなり、財物損失や機能喪失モデルを作成するための基本情報となる。財物損失モデルは、施設を復旧するのに必要な費用を予測するためのモデルである。機能喪失モデルは生産プロセスをシステムとして捉え、システムが復旧するのに要する日数を予測するモデルである。耐震性能評価では、フラジリティカーブを求める際の基本情報として、工場建屋、製造設備、ユーティリティーなどの設計図書が必要になる。
一方、地震危険度は、Cornell流6)の地震ハザード曲線ではなく、震源や規模、発生確率などが特定されたマルチイベントモデル7)が使われる。理由は、地震や
図1 地震リスク評価マネジメントの流れ
地震に伴う被害をイメージし易い、対策の必要性を実感できる、さらに施設が広域に分散している場合に有効だからである。図1のフローの中で、財務影響分析の手前までを地震リスク評価、これに財務影響分析以降を含めたものがリスクマネジメントの範囲となる。
点線で囲まれたOUTPUTの中で特に重要となるのが、イベントリスクカーブ、リスクカーブならびに復旧曲線である。これらを例示したのが図2である。(a)のイベントリスクカーブの各プロットは、様々な地震による損失額の平均値(NEL ; Normal Expected Loss)、ならびに90%非超過値(PML ; Probable Maximum Loss)を表している。縦軸は損害額の大きい順に年当りの地震発生確率の累積を取ったものである。イベントリスクカーブは、具体的な地震とその損害額が一対比較できる点、非専門家でも分かりやすい情報となっている。
図2(b)のリスクカーブは、イベントリスクカーブから求めることができる。式で表すと以下のようになる。
(1)
ここに、sは損失率あるいは損失額を表し、Pi(τ)は地震イベントiのτ年間の発生確率である。この確率は、地震によってポアソン過程、更新過程の使い分けがなされている。fS(s|i)は、地震イベントiが発生した場合の損失確率密度関数である。smaxは施設の再調達価格である。一般的に、τは1年間が採られるが、例えば施設の供用期間や後述する金融対策の契約期間などとすることも可能である。リスクカーブはτ年間に任意の損失額を超える確率を与えるが、具体的な地震については、
(a) イベントリスクカーブ
(b) リスクカーブ
(c) 復旧曲線
図2 地震リスク評価の主なOUTPUT
この図から読み取ることはできない。
復旧曲線は、地震によって生産活動が停止し、その後、完全復旧するまでの経時的な過程を可視化したものである。横軸に復旧日数(停止日数)、縦軸に完全復旧を1.0とした復旧率の累積を取っている。復旧曲線は、その結果のみならず、その計算過程を含め企業のBCP策定に大きな役割を果たす。具体的には、生産停止への寄与度の高い工程や施設を把握することができ、効果的な対策の選定が容易となる。さらに、復旧曲線が企業として受容できる範囲を超えているか、あるいは図に示すように予め目標となる停止期間を設定する場合など、実際の復旧期間との対比をビジュアルに把握できる利点もある。また、曲線の左側面積は、復旧期間の平均値となり、これに一日当りの売上を乗ずることで、生産停止による営業損失を金銭対価として求めることができる。
4.財務影響分析
被害地震が発生すると、企業は財物損失、生産停止による営業損失、人命の喪失など,広範囲にわたり様々な損失を被る。また通常業務に復帰するまでには多くの時間と多額の資金が必要となるが、必要資金を内部調達できず、さらに外部からの調達も難しい場合には企業の存続も危ぶまれる。そこで、災害時に現金あるいは現金同等物がどれほど不足するのか、どの程度の資金調達を考えておかなければならないか、などを把握するために、財務影響分析が必要となる。
財務影響分析は、企業にとって最悪となる地震、あるいは頻度が高い地震などを選定し、それら地震が発生した場合を前提に行われる。そして、リスク情報(財物損失額、操業停止期間とその間の営業損失額)をキャッシュフロー計算書に反映させ、当該期の現金および現金同等物の増減額を求め、当該期末の残高を計算する。また、キャッシュフロー計算書のみならず貸借対照表も併せて見ていくことになる。各種の業績指標の状況も同時に把握するためである。
財務諸表や各種業績指標は、経営者の意思決定や組織内部の業績測定・評価に不可欠である。このため、財務影響分析の結果は、経営者層が対策の必要性を理解し、効果的な対策を選定・実施する上で、重要な役割を果たすことになる。
5.地震対策
図3は、地震対策を分類したものである。ハード対策は建物や設備の補強、防消火設備の拡充、バックアップ機能の確保など、費用は嵩むものの効果は高く、確実である。ソフト対策は、防災マニュアルの整備や防災教育・訓練、風評・マスコミ対策など、主に事後対応や人々の行動の適正化を促す対策である。このため、建物の倒壊などの直接的被害は防げないものの、2次的に発生する火災・延焼、危険物質の漏洩などを軽減し、人命救助にも貢献できる。さらに、事業再開の早期化などにも役立つ。
事後行動の適正化は、一人一人が災害をイメージし、事前の教育や訓練をどれほど熱心に行ったか、に関わってくる。しかしながら、災害に見舞われると多くの人々は右往左往し、訓練された防災責任者の行動や指
図3 地震リスクマネジメントの対策
示を待つケースが多い。一方で、人間の行動には不確定な要素が多く含まれることから、確実性という観点では、やはりハード対策が効果的である。しかし、ソフト対策は、掛かる費用は少ないこと、関係者の防災意識を高める効果があること、などから対策の優先順位は高い。
金融対策は、損失額を減らすことはできないものの、一定のコストを他者に支払い損害額を肩代わりしてもらうことで、経営上(財務上)のリスクを減らすことができる。金融対策で一番に思いつくのは地震保険である。もっともポピュラーな対策であるが、SPC法などの施行により、金融派生商品(derivative)の方法を利用した様々なリスクファイナンス手法が作れるようになった。具体的には、保険デリバティブ、キャットボンド(catastrophe bond)、コンティンジェット・デット(contingent debt)等である。これにキャプティブ(captive)保険やリスクスワップを加え、総称して代替的リスク移転(ART:Alternative Risk Transfer)策と呼ぶ。
さて、ソフト対策は従業員の防災意識、特に当事者意識を高める意味でも重要である。また、コストは掛からず手軽であることから、対策の当初はソフト対策から始めるのが望ましいと考える。そして、地震による我が身の状況を正しく把握するために、地震リスクを評価する。その結果、特に生産停止期間が長く、経営上問題あると判断される場合には、迷わずハード対策を検討する。経営上の問題とは、被災時の資金不足も重要だが、むしろ製品の供給が滞ることによるサプライチェーン企業や市場への影響である。これは、企業の信用、倫理、社会貢献に係わる重要な問題である。具体的には、企業自身が最大限受容できる生産停止期間を、市場への影響や信用等を勘案し設定する。これを目標復旧期間(RTO ; Recovery Time Objective)と呼び、予想される停止期間がこれを超える場合には、目標復旧期間に収まるハード対策を選定、実施する。なお、ソフト対策で復旧期間を早期化するのは容易ではない。
次に、財務影響分析を実施し、キャッシュフロー残高がマイナスとなる場合には金融対策の必要性を理解し、さらに、各種業績指標の悪化度合いなどから、金融対策の方法を含め適切な資金調達の範囲を検討する。なお、必要に応じてハード対策も併せて検討することが重要である。
ソフト対策→ハード対策→金融対策といった順位は、企業によってケースバイケースであり、必ずしも経済性に合致しているとは言えないケースもある。一方で、ソフト対策は誰もがやっておかなければならない地震への備えであり、地域防災という観点からも優先すべき対策であることは間違いない。企業の経営資源は、基本的には人、ブランド、信用であり、製造業では有形固定資産が加わる。これらを地震から守るためには、被害そのものが起きないよう、水際で防止できるハード対策は有効な手段である。これに対し金融対策は、リスクを外部に転嫁するもので、人や有形固定資産を直接守ることは難しく、企業が抱えるリスクそのものを減らすことはできない。つまり、金融対策の優勢順位はハード対策に比べれば低く設定されるべきであろう。このように、対策の種類において、効果や確実性などからある程度の優先性を設けることは、現実的で無駄のない防災計画の素地となる。
6.リスクマネジメント
地震災害は損失のみ生じるまったくの負け戦である。このため、防災のための投資を行ってもマイナスが減るだけであり、利益を生むことはない。多くの企業が防災投資に消極的な一つの理由である。しかしながら、一度大地震が発生すると、企業の存続にも影響する重大な事態に至ることもある。このため、企業としてどのような備えをすべきか、費用はどの程度費やすのが妥当なのか、など難しい判断を迫られる。そこで、企業価値に着目し、対策の費用対効果を検討する。具体的には地震リスクに曝されている企業の価値は地震リスクのない企業価値に比べ常に低いはずであり、地震対策はこの低い企業価値を改善させる効果を持つと考える。これより、地震リスクを含めた企業価値を評価し、この企業価値を改善する手段として地震対策を位置付けることができる。
企業価値は、企業が将来稼ぎ出すであろうFCF(Free Cash Flow)の割引現在価値として求められる。企業価値をyと置くとDCF(Discounted Cash Flow)法を使い、以下のように求められる。
(2)
ここに、nは評価期間(通常は5年程度)、uは遊休資産の価値、vnは残存価値である。diは割引因子であり、
(3)
となる。式中rは割引率であり、通常は企業の資本コストが使われる。残存価値はn年次の企業価値として求められ、以下のようになる。
(4)
ここに、gは最終年度以降のFCFの成長率、いわゆるインフレ率に相当する。NOPAT(Net Operating Profit After Tax)は、税引後営業利益である。(4)式は、NOPATが永久的に得られる、という条件に基づいた式である。つまり企業は永続すると考えるわけである。NOPATを残存価値評価に使う理由は、FCFは企業の成長によって増加するが、n年以降は成長が止まり現状を維持すると仮定している。現状維持では、減価償却費程度の設備投資を行い運転資本等も増加しないと考える。この考え方に基づくと、FCFはNOPATと同じになる。
さて、地震による企業価値の低下を反映させるには、(1) 式に地震による損失を考慮する必要がある。
(5)
ここに、S|r∞ は割引を考慮した地震損失の確率変数である。これは永久期間のリスクカーブ8)の導関数として求められる。(5)式は地震リスクが確率変数であるため、確率量となる。確定量と区別するため、Z|r と大文字にしている。リスクカーブには、財物損失、生産停止に伴う営業損失、さらに派生的に生ずる営業損失など、企業が被る地震損失を網羅する必要がある。
地震リスクを永久期間とした理由について説明する。(2)式の評価期間はn年であるが、(4)式からも知るように、残存価値はNOPATがn年以降永久的に獲得できるという条件に基づいて評価されている。つまり、(2) 式は、実質的には永久的に得られる企業収益の現在価値を表している。従って、地震リスクについても、企業の所在地が変わらない限り、永久的に地震リスクに曝されていると考えるのが整合的である。そこで、地震リスクについても永久期間の割引現在価値を用いるのである。
次に、汎用性を考え、(5) 式を企業価値y|r で無次元化すると以下のようになる。
(6)
ここに,Y|r は地震リスクによる企業価値の目減りを比率として表した確率変数である。この密度関数をfY (y)と置き、超過確率関数を求めると以下のようになる。
(7)
超過確率関数として記述することで,企業の価値が地震によってどの程度低下するかをその確率と合わせて把握することができる。ここで、GY(y) を企業価値曲線と呼ぶことにする。
図4は、対策前と後の企業価値曲線を比較した例である。横軸は地震リスクを考慮しない場合の企業価値を100%とし、地震リスクによる企業価値の低下を率で表したものである。縦軸は企業価値の低下率以上にな
図4 企業価値曲線による地震対策の効果
る確率を示している。まず、対策前後の曲線を比較すると、対策後は地震リスクの低下を受け図のように曲線の傾斜は小さくなる。しかしながら、対策投資によりFCFは低下し、曲線は図の左側に移動する。結果として対策前と後の企業価値曲線は、図のように一点(確率PT = 0.9)で交差することになる。交差する点の上側では、対策後の曲線は、対策前のそれより右側に位置し企業価値は改善する。しかし、交差する点の下側では、対策後のそれは左側に位置し企業価値はむしろ悪化する。例えば、安全性のレベルとして確率0.95を一つの目標とした場合、対策によって企業価値は97.5%から98.0%まで改善することになる。確率PT = 0.9以上を参照とする限り、耐震対策は企業価値を改善する効果があると判断できる。対策代替案が複数ある場合には、それぞれの企業価値曲線を比較し、企業価値が最も改善する策を選定すればよい。
企業価値曲線の利点は、①企業価値の低下としてリスクを捉えることができる、②地震対策に要する費用はFCFに直接取り込むことができることから、ハード対策、金融対策の効果を横並びで比較できる、などである。対策費用と地震リスクの低下のみに着目すると、企業のリスク管理の一側面しか見ていないことになり、誤った判断を下す原因となる。地震対策の検討では、対象とする事業体の全体価値を捉え、その価値を尺度として費用対効果を見ることが実質的であり効果的である。製造業のリスクマネジメントでは、科学的な方法を取り入れた合理的な判断が求められるが、一方で、経営者の中長期戦略や経験則的な選好も欠くことのできない判断材料である。企業価値曲線は、経営者の経験則に基づいたリスク受容度を反映できる利点もある。
7.おわりに
非原子力・産業施設の地震リスク評価は、経済的価値が明確な民間資産を対象に、防災対策の必要性の把握や選定など、具体的な意思決定問題と対峙している。また、意思決定の主体は非専門家であるため、情報の分かり易さへの配慮から、OUTPUTは独自の進化をし、同時に評価手法も高度化している。本報で紹介した企業価値曲線はその一例である。
一方、地震リスクマネジメントの具現化に際し、金融対策を含めた地震対策の多様化に伴い、企業財務、保険数理、金融論など、工学の枠を越えた分野との融
合、整合が必要となる。そのためには、われわれ技術者自身が、細分化された分野に傾注することなく、高い倫理観と伴に分野を超えた豊富な知識を身に付けることが必要となる。原子力施設の安全性の説明において、地震PSAは必要な技術であることは間違いないが、非専門家への説明の道具としては必ずしも十分とは言えない面がある。工学分野の枠を超えた知見や思考を寛容に取り入れ、より説明性の高いOUTPUTを目指す必要があると考える。非原子力・産業施設の地震リスク評価・マネジメントは、リスク情報のあり方について、一つの方向性を示しているものと考える。
参考文献
1)(社)建築・設備維持保全推進協会, (社)日本ビルヂング協会連合会:不動産投資・取引におけるエンジニアリングレポート作成に関るガイドライン,pp.71-82, 2001.
2)内閣府:中央省庁業務継続ガイドライン第一版、2007.
3)Federal Emergency Management Agency, Earthquake Damage Evolution Data for California, ATC-13, P.492, 1985.
4)吉川弘道、中村孝明:土木/建築施設の地震リスク評価とコンクリート構造物への適用,コンクリート工学会誌, Vol.45, No.4, pp16-22, 2007.
5)中村孝明、宇賀田健:地震リスクマネジメント、技報堂出版、P.290, 2009.1.
6)Cornell, C.A. : Engineering Seismic Risk Analysis, Bull. Seism. Soc. Am., Vol.58, No5, pp.1583-1606, 1968.
7)宇賀田健:シナリオ地震による日本全国の地震危険度評価,日本建築学会構造系論文集,第541号,pp.95-104, 2001.
8)中村孝明、川上洋介、星谷勝:永久期間の地震リスクカーブとその割引現在価値,構造工学論文集,Vol.54B, pp.513-519, 2008.4.
(平成21年1月14日)
地震PSA-非原子力・産業施設のリスク評価とマネジメント 中村 孝明,Takaaki NAKAMURA
地震リスク情報の一つで、予想最大損失額を表す地震PML(Probable Maximum Loss)1)は、そもそも米国の保険情報の一つとして発展したが、わが国では証券化資産(オフィスビル、商業施設、賃貸マンション、ホテル、倉庫など)の地震リスク診断として一般化が進み、一定の市民権を得るに至っている。最近では、設計・計画時にPMLの下限値を指定することが、施工主の要求事項の一つに組み入れられるケースも増えている。一方、製造業の地震防災対策や事業継続計画(BCP;Business Continuity Plan)2)が重要視される中、これを具現化する上での基本技術として、地震リスク評価技術が注目されている。特に、リスクの効率的管理を目指したリスクマネジメントでは、耐震補強の必要性や優先順位の把握のみならず、被災時に必要となる資金調達を具備するための金融対策の検討などにも地震リスク情報は利用されている。
さて、地震リスク評価技術は、損害の金銭対価を実質転嫁できる、いわゆる地震保険ならびに原子力施設を対象とした安全性評価技術に起源を求めることができる。前者は、災害対策を扱う米国の緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency)3)が取りまとめた諸施設の地震被害統計により定量化のベースが整備され、一般化が促進した。後者は信頼性工学をベースとした地震PSA(Probability Safety Assessment)技術を対象に、特に学術分野で発展した。これら二つの流れは技術的相互補完を経て、非原子力・産業施設の地震リスク評価技術に集約されたと考えることができる。
地震リスク評価技術を構成する学術分野は、確率・統計学、地震工学、構造工学、信頼性工学など、広い範囲に及び、さらにリスクマネジメントになると、企業財務、保険数理、金融論、リスクコミュニケーションなど、技術者には馴染みの薄い社会科学系の領域も含まれる。地震リスクマネジメントが役立つ仕組み、
あるいはツールとして一般化するには、広範な分野の知見と技術が必要であるのと同時に、分野の枠組みを超えた横断的な領域において、技術面での統合あるいは整合を図ることが必要となる。一方、これまでにも、一般家庭から企業に至るまで、思考的な考察や経験的な知識に基づき、リスクマネジメントは行なわれてきた。これに対して、近年リスクマネジメントを総合的かつ体系的に評価することに関心が高まっている。その理由は、これまでの経験則的な判断から、科学的な方法を取り入れたより合理的な判断が時代の要請となってきたからである。その背景には、一つの意思決定が、様々な人々の利害に複雑に影響する組織化された時代にあり、ステークホルダーへの説明責任が極めて重要になってきたからである。
本報は、意思決定情報としてのリスクのあり方、ならびにリスク評価の方法を概説すると共に、製造業を対象に、地震リスクマネジメントの方法を紹介する。
2.意思決定情報としてのリスク
リスクは「事態の確からしさとその結果の組合せ,あるいは事態の発生確率とその結果の組み合わせ(JIS Q 2001:2001)」と定義される。平易には「将来における不確かな損失あるいは不利益とその発生確率の組み合わせ」と解釈される。不確かとは、予想はできるが計量できない事象も含まれる。例えば、個人の情緒的あるいは作為的な行為(テロや犯罪)によって第三者が不利益を被るような場合、統計情報が極端に少ない事象などである。これらは、計量はできないまでもリスクとして予想はできることになる。このような事象によって損失や不利益を被ることが、リスクの大枠である。しかしながら、非原子力・産業施設における地震リスクは、防災対策の必要性の把握や選定など、具体的な意思決定問題と対峙している。また意思決定の妥当性に関る説明責任を負うこともある。このため、意思決定に至る明確な根拠が必要となるため、損失の大きさやその可能性を定量的に示すことが求められる。つまり、地震の発生から被害の発生までを蓋然事象として捉え、一貫して確率・統計的アプローチ4)が採られている。
具体的なリスク情報としては、損失期待値や損失の非超過確率値、あるいは特定の被害事象の発生確率などがある。しかしながら、これらはリスクの一側面を示すものであり、必要ではあるが意思決定における十分情報とは必ずしも考えていない。そこで、損失期待値等を狭義のリスク、損失の確率関数あるいは損失確率密度関数等を広義のリスクと定義5)し、必要に応じ使い分けている。狭義のリスクは基本的に一義であり序列化ができ、意思決定に関わる説明も容易である。一方の広義のリスクは、上記したリスクの定義に合致するものの、人によって解釈は異なり意思決定も多様となる。業種特有の収支状況や経営者の中長期戦略、成熟企業や発展途上の企業など、様々な状況が想定される中で経営者(意思決定者)の裁量や選好の余地を残すことも重要であることから、狭義のリスクを必要情報、広義のリスクを十分情報と位置付けている。
リスク情報による意思決定者はあくまでも非専門家である。このため、情報は一般の人々の視点で理解でき、判断できる尺度で示さなければならない。そこで、製造業を対象としたリスク情報は、復旧費用や損失資産価値、生産停止期間や営業損失など、経営者が理解できる尺度、つまり金銭対価を原則としている。
3.地震リスク評価手法概説
製造業を対象とした地震リスク評価の流れを示したのが図1である。リスク評価に必要な情報は、サイト情報(所在地、地盤情報)、施設情報に大別され、施設情報は、資産価値、生産品種、生産工程、売上などからなり、財物損失や機能喪失モデルを作成するための基本情報となる。財物損失モデルは、施設を復旧するのに必要な費用を予測するためのモデルである。機能喪失モデルは生産プロセスをシステムとして捉え、システムが復旧するのに要する日数を予測するモデルである。耐震性能評価では、フラジリティカーブを求める際の基本情報として、工場建屋、製造設備、ユーティリティーなどの設計図書が必要になる。
一方、地震危険度は、Cornell流6)の地震ハザード曲線ではなく、震源や規模、発生確率などが特定されたマルチイベントモデル7)が使われる。理由は、地震や
図1 地震リスク評価マネジメントの流れ
地震に伴う被害をイメージし易い、対策の必要性を実感できる、さらに施設が広域に分散している場合に有効だからである。図1のフローの中で、財務影響分析の手前までを地震リスク評価、これに財務影響分析以降を含めたものがリスクマネジメントの範囲となる。
点線で囲まれたOUTPUTの中で特に重要となるのが、イベントリスクカーブ、リスクカーブならびに復旧曲線である。これらを例示したのが図2である。(a)のイベントリスクカーブの各プロットは、様々な地震による損失額の平均値(NEL ; Normal Expected Loss)、ならびに90%非超過値(PML ; Probable Maximum Loss)を表している。縦軸は損害額の大きい順に年当りの地震発生確率の累積を取ったものである。イベントリスクカーブは、具体的な地震とその損害額が一対比較できる点、非専門家でも分かりやすい情報となっている。
図2(b)のリスクカーブは、イベントリスクカーブから求めることができる。式で表すと以下のようになる。
(1)
ここに、sは損失率あるいは損失額を表し、Pi(τ)は地震イベントiのτ年間の発生確率である。この確率は、地震によってポアソン過程、更新過程の使い分けがなされている。fS(s|i)は、地震イベントiが発生した場合の損失確率密度関数である。smaxは施設の再調達価格である。一般的に、τは1年間が採られるが、例えば施設の供用期間や後述する金融対策の契約期間などとすることも可能である。リスクカーブはτ年間に任意の損失額を超える確率を与えるが、具体的な地震については、
(a) イベントリスクカーブ
(b) リスクカーブ
(c) 復旧曲線
図2 地震リスク評価の主なOUTPUT
この図から読み取ることはできない。
復旧曲線は、地震によって生産活動が停止し、その後、完全復旧するまでの経時的な過程を可視化したものである。横軸に復旧日数(停止日数)、縦軸に完全復旧を1.0とした復旧率の累積を取っている。復旧曲線は、その結果のみならず、その計算過程を含め企業のBCP策定に大きな役割を果たす。具体的には、生産停止への寄与度の高い工程や施設を把握することができ、効果的な対策の選定が容易となる。さらに、復旧曲線が企業として受容できる範囲を超えているか、あるいは図に示すように予め目標となる停止期間を設定する場合など、実際の復旧期間との対比をビジュアルに把握できる利点もある。また、曲線の左側面積は、復旧期間の平均値となり、これに一日当りの売上を乗ずることで、生産停止による営業損失を金銭対価として求めることができる。
4.財務影響分析
被害地震が発生すると、企業は財物損失、生産停止による営業損失、人命の喪失など,広範囲にわたり様々な損失を被る。また通常業務に復帰するまでには多くの時間と多額の資金が必要となるが、必要資金を内部調達できず、さらに外部からの調達も難しい場合には企業の存続も危ぶまれる。そこで、災害時に現金あるいは現金同等物がどれほど不足するのか、どの程度の資金調達を考えておかなければならないか、などを把握するために、財務影響分析が必要となる。
財務影響分析は、企業にとって最悪となる地震、あるいは頻度が高い地震などを選定し、それら地震が発生した場合を前提に行われる。そして、リスク情報(財物損失額、操業停止期間とその間の営業損失額)をキャッシュフロー計算書に反映させ、当該期の現金および現金同等物の増減額を求め、当該期末の残高を計算する。また、キャッシュフロー計算書のみならず貸借対照表も併せて見ていくことになる。各種の業績指標の状況も同時に把握するためである。
財務諸表や各種業績指標は、経営者の意思決定や組織内部の業績測定・評価に不可欠である。このため、財務影響分析の結果は、経営者層が対策の必要性を理解し、効果的な対策を選定・実施する上で、重要な役割を果たすことになる。
5.地震対策
図3は、地震対策を分類したものである。ハード対策は建物や設備の補強、防消火設備の拡充、バックアップ機能の確保など、費用は嵩むものの効果は高く、確実である。ソフト対策は、防災マニュアルの整備や防災教育・訓練、風評・マスコミ対策など、主に事後対応や人々の行動の適正化を促す対策である。このため、建物の倒壊などの直接的被害は防げないものの、2次的に発生する火災・延焼、危険物質の漏洩などを軽減し、人命救助にも貢献できる。さらに、事業再開の早期化などにも役立つ。
事後行動の適正化は、一人一人が災害をイメージし、事前の教育や訓練をどれほど熱心に行ったか、に関わってくる。しかしながら、災害に見舞われると多くの人々は右往左往し、訓練された防災責任者の行動や指
図3 地震リスクマネジメントの対策
示を待つケースが多い。一方で、人間の行動には不確定な要素が多く含まれることから、確実性という観点では、やはりハード対策が効果的である。しかし、ソフト対策は、掛かる費用は少ないこと、関係者の防災意識を高める効果があること、などから対策の優先順位は高い。
金融対策は、損失額を減らすことはできないものの、一定のコストを他者に支払い損害額を肩代わりしてもらうことで、経営上(財務上)のリスクを減らすことができる。金融対策で一番に思いつくのは地震保険である。もっともポピュラーな対策であるが、SPC法などの施行により、金融派生商品(derivative)の方法を利用した様々なリスクファイナンス手法が作れるようになった。具体的には、保険デリバティブ、キャットボンド(catastrophe bond)、コンティンジェット・デット(contingent debt)等である。これにキャプティブ(captive)保険やリスクスワップを加え、総称して代替的リスク移転(ART:Alternative Risk Transfer)策と呼ぶ。
さて、ソフト対策は従業員の防災意識、特に当事者意識を高める意味でも重要である。また、コストは掛からず手軽であることから、対策の当初はソフト対策から始めるのが望ましいと考える。そして、地震による我が身の状況を正しく把握するために、地震リスクを評価する。その結果、特に生産停止期間が長く、経営上問題あると判断される場合には、迷わずハード対策を検討する。経営上の問題とは、被災時の資金不足も重要だが、むしろ製品の供給が滞ることによるサプライチェーン企業や市場への影響である。これは、企業の信用、倫理、社会貢献に係わる重要な問題である。具体的には、企業自身が最大限受容できる生産停止期間を、市場への影響や信用等を勘案し設定する。これを目標復旧期間(RTO ; Recovery Time Objective)と呼び、予想される停止期間がこれを超える場合には、目標復旧期間に収まるハード対策を選定、実施する。なお、ソフト対策で復旧期間を早期化するのは容易ではない。
次に、財務影響分析を実施し、キャッシュフロー残高がマイナスとなる場合には金融対策の必要性を理解し、さらに、各種業績指標の悪化度合いなどから、金融対策の方法を含め適切な資金調達の範囲を検討する。なお、必要に応じてハード対策も併せて検討することが重要である。
ソフト対策→ハード対策→金融対策といった順位は、企業によってケースバイケースであり、必ずしも経済性に合致しているとは言えないケースもある。一方で、ソフト対策は誰もがやっておかなければならない地震への備えであり、地域防災という観点からも優先すべき対策であることは間違いない。企業の経営資源は、基本的には人、ブランド、信用であり、製造業では有形固定資産が加わる。これらを地震から守るためには、被害そのものが起きないよう、水際で防止できるハード対策は有効な手段である。これに対し金融対策は、リスクを外部に転嫁するもので、人や有形固定資産を直接守ることは難しく、企業が抱えるリスクそのものを減らすことはできない。つまり、金融対策の優勢順位はハード対策に比べれば低く設定されるべきであろう。このように、対策の種類において、効果や確実性などからある程度の優先性を設けることは、現実的で無駄のない防災計画の素地となる。
6.リスクマネジメント
地震災害は損失のみ生じるまったくの負け戦である。このため、防災のための投資を行ってもマイナスが減るだけであり、利益を生むことはない。多くの企業が防災投資に消極的な一つの理由である。しかしながら、一度大地震が発生すると、企業の存続にも影響する重大な事態に至ることもある。このため、企業としてどのような備えをすべきか、費用はどの程度費やすのが妥当なのか、など難しい判断を迫られる。そこで、企業価値に着目し、対策の費用対効果を検討する。具体的には地震リスクに曝されている企業の価値は地震リスクのない企業価値に比べ常に低いはずであり、地震対策はこの低い企業価値を改善させる効果を持つと考える。これより、地震リスクを含めた企業価値を評価し、この企業価値を改善する手段として地震対策を位置付けることができる。
企業価値は、企業が将来稼ぎ出すであろうFCF(Free Cash Flow)の割引現在価値として求められる。企業価値をyと置くとDCF(Discounted Cash Flow)法を使い、以下のように求められる。
(2)
ここに、nは評価期間(通常は5年程度)、uは遊休資産の価値、vnは残存価値である。diは割引因子であり、
(3)
となる。式中rは割引率であり、通常は企業の資本コストが使われる。残存価値はn年次の企業価値として求められ、以下のようになる。
(4)
ここに、gは最終年度以降のFCFの成長率、いわゆるインフレ率に相当する。NOPAT(Net Operating Profit After Tax)は、税引後営業利益である。(4)式は、NOPATが永久的に得られる、という条件に基づいた式である。つまり企業は永続すると考えるわけである。NOPATを残存価値評価に使う理由は、FCFは企業の成長によって増加するが、n年以降は成長が止まり現状を維持すると仮定している。現状維持では、減価償却費程度の設備投資を行い運転資本等も増加しないと考える。この考え方に基づくと、FCFはNOPATと同じになる。
さて、地震による企業価値の低下を反映させるには、(1) 式に地震による損失を考慮する必要がある。
(5)
ここに、S|r∞ は割引を考慮した地震損失の確率変数である。これは永久期間のリスクカーブ8)の導関数として求められる。(5)式は地震リスクが確率変数であるため、確率量となる。確定量と区別するため、Z|r と大文字にしている。リスクカーブには、財物損失、生産停止に伴う営業損失、さらに派生的に生ずる営業損失など、企業が被る地震損失を網羅する必要がある。
地震リスクを永久期間とした理由について説明する。(2)式の評価期間はn年であるが、(4)式からも知るように、残存価値はNOPATがn年以降永久的に獲得できるという条件に基づいて評価されている。つまり、(2) 式は、実質的には永久的に得られる企業収益の現在価値を表している。従って、地震リスクについても、企業の所在地が変わらない限り、永久的に地震リスクに曝されていると考えるのが整合的である。そこで、地震リスクについても永久期間の割引現在価値を用いるのである。
次に、汎用性を考え、(5) 式を企業価値y|r で無次元化すると以下のようになる。
(6)
ここに,Y|r は地震リスクによる企業価値の目減りを比率として表した確率変数である。この密度関数をfY (y)と置き、超過確率関数を求めると以下のようになる。
(7)
超過確率関数として記述することで,企業の価値が地震によってどの程度低下するかをその確率と合わせて把握することができる。ここで、GY(y) を企業価値曲線と呼ぶことにする。
図4は、対策前と後の企業価値曲線を比較した例である。横軸は地震リスクを考慮しない場合の企業価値を100%とし、地震リスクによる企業価値の低下を率で表したものである。縦軸は企業価値の低下率以上にな
図4 企業価値曲線による地震対策の効果
る確率を示している。まず、対策前後の曲線を比較すると、対策後は地震リスクの低下を受け図のように曲線の傾斜は小さくなる。しかしながら、対策投資によりFCFは低下し、曲線は図の左側に移動する。結果として対策前と後の企業価値曲線は、図のように一点(確率PT = 0.9)で交差することになる。交差する点の上側では、対策後の曲線は、対策前のそれより右側に位置し企業価値は改善する。しかし、交差する点の下側では、対策後のそれは左側に位置し企業価値はむしろ悪化する。例えば、安全性のレベルとして確率0.95を一つの目標とした場合、対策によって企業価値は97.5%から98.0%まで改善することになる。確率PT = 0.9以上を参照とする限り、耐震対策は企業価値を改善する効果があると判断できる。対策代替案が複数ある場合には、それぞれの企業価値曲線を比較し、企業価値が最も改善する策を選定すればよい。
企業価値曲線の利点は、①企業価値の低下としてリスクを捉えることができる、②地震対策に要する費用はFCFに直接取り込むことができることから、ハード対策、金融対策の効果を横並びで比較できる、などである。対策費用と地震リスクの低下のみに着目すると、企業のリスク管理の一側面しか見ていないことになり、誤った判断を下す原因となる。地震対策の検討では、対象とする事業体の全体価値を捉え、その価値を尺度として費用対効果を見ることが実質的であり効果的である。製造業のリスクマネジメントでは、科学的な方法を取り入れた合理的な判断が求められるが、一方で、経営者の中長期戦略や経験則的な選好も欠くことのできない判断材料である。企業価値曲線は、経営者の経験則に基づいたリスク受容度を反映できる利点もある。
7.おわりに
非原子力・産業施設の地震リスク評価は、経済的価値が明確な民間資産を対象に、防災対策の必要性の把握や選定など、具体的な意思決定問題と対峙している。また、意思決定の主体は非専門家であるため、情報の分かり易さへの配慮から、OUTPUTは独自の進化をし、同時に評価手法も高度化している。本報で紹介した企業価値曲線はその一例である。
一方、地震リスクマネジメントの具現化に際し、金融対策を含めた地震対策の多様化に伴い、企業財務、保険数理、金融論など、工学の枠を越えた分野との融
合、整合が必要となる。そのためには、われわれ技術者自身が、細分化された分野に傾注することなく、高い倫理観と伴に分野を超えた豊富な知識を身に付けることが必要となる。原子力施設の安全性の説明において、地震PSAは必要な技術であることは間違いないが、非専門家への説明の道具としては必ずしも十分とは言えない面がある。工学分野の枠を超えた知見や思考を寛容に取り入れ、より説明性の高いOUTPUTを目指す必要があると考える。非原子力・産業施設の地震リスク評価・マネジメントは、リスク情報のあり方について、一つの方向性を示しているものと考える。
参考文献
1)(社)建築・設備維持保全推進協会, (社)日本ビルヂング協会連合会:不動産投資・取引におけるエンジニアリングレポート作成に関るガイドライン,pp.71-82, 2001.
2)内閣府:中央省庁業務継続ガイドライン第一版、2007.
3)Federal Emergency Management Agency, Earthquake Damage Evolution Data for California, ATC-13, P.492, 1985.
4)吉川弘道、中村孝明:土木/建築施設の地震リスク評価とコンクリート構造物への適用,コンクリート工学会誌, Vol.45, No.4, pp16-22, 2007.
5)中村孝明、宇賀田健:地震リスクマネジメント、技報堂出版、P.290, 2009.1.
6)Cornell, C.A. : Engineering Seismic Risk Analysis, Bull. Seism. Soc. Am., Vol.58, No5, pp.1583-1606, 1968.
7)宇賀田健:シナリオ地震による日本全国の地震危険度評価,日本建築学会構造系論文集,第541号,pp.95-104, 2001.
8)中村孝明、川上洋介、星谷勝:永久期間の地震リスクカーブとその割引現在価値,構造工学論文集,Vol.54B, pp.513-519, 2008.4.
(平成21年1月14日)
地震PSA-非原子力・産業施設のリスク評価とマネジメント 中村 孝明,Takaaki NAKAMURA