社会からの要求と規格・基準
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1.はじめに
1.1 規格・基準の性格と社会的必要理由
社会を集団と呼ぶことにして,人間は一人では生きていけず他人とのかかわりを持って始めていきていけることは当然のことで,このことを称して種の保存とか集団の維持とかのように言われてきた.個と集団の関係は,部分と全体の関係のように極めて重要な普遍性を持った関係にある.個と集団の関係には,やっかみなど集団から来る感情や個を殺して集団の決まりに従うとか,が考えられるが,それらの中でも個が守らなければならない規則という側面が規格・基準に関連して考えられなければならない事項である.
規則の上位に位置する体系として「法律」がある.社会の秩序を守るためには通常罰則を伴った「法律」が存在しなければならない.その「法律」を機能させるために施行規則などの下位規則が存在する.より良い機能を効率的に実現するためには階層性を利用するのは常套手段である.
技術分野の規格・基準の根源的な役割と必要性は「中核」的には技術が人々に恩恵をもたらす時に要求される効率性と混乱防止にあると思われる.混乱防止は広く活用される場合の秩序の維持といってよいかもしれない.卑近な例だが,世界のパソコンでUSBスティックの挿入口が規格化されていないとすればどんなに不便か計り知れないものがある.規格を満足させるのに失敗した企業は,損失という罰則を受ける.法を犯したものが刑務所に拘置されるという罰則と形式的にはぴったり対応する.
技術分野の規格・基準は人間と技術との接点であり,橋渡しでもある.橋渡しが失敗したら元も子もないという意味で,規格・基準は重要である.そうすると,規格・基準はユニークであり,社会にとって不可欠という意味で,規格を制するものは利益を制することになる.これが国家レベルの問題になれば,事柄は無視できない.
法律と違ってこのような技術規格は技術進歩の積み重ねによって得られるので,積極的な技術開発が不可欠である.特許は要素技術的であるのを特徴とするが,規格は総合技術的な側面に支配されるといって良い.規格策定に至るまでのプロセスを学術的に見れば,そこには常に学術の階層的進化が見られる.ニュートンの運動則から出発して弾性論,剛体の力学,変形体力学を経て,シェル理論,板理論,梁理論によって現実問題に近寄り,多くの例題が蓄積されてようやく規格作成に至る,というプロセスが原子炉構造規格の背後にあることはその例である.
規格の必要性は漠然とではあるが近年は益々広く認められている.その根拠を根源的に追求すれば,集団の繁栄を通した集団の結束にあるといえる.
1.2 保全における規格・基準の策定とその効用
学術はすべて原理から出発し,理論を構築し,設計に有用な規格・基準に至る.保全学を体系化していく流れにおいても,保全学の原理,理論の構築を経て,保全の運用に適用する「決まり」としての規格・基準を提案していくことが必要である 1).
ここで,保全活動を実際に運用することを考える際の前提として,前号に掲載された保全の体系化特集連載記事のイントロダクションにもあるように,規格・基準などの標準とは,社会に生活する市民の「便利な社会生活を送る欲求」と「安心して社会生活を送る欲求」に対して,それを保証し社会に安心を与える重要な役割を与えるものであると言える.すなわち,誰でも,いつでも,装置や機械さらにはシステムを使う上で,規格・基準などの決められた「決まり」を守れば,装置や機械・システムは壊れることなく性能を発揮し,またそれにより社会に危害を及ぼすこともなく運用できることを約束するものであると表現できる.
このような規格・基準は,表1 2) に示すような,適切な安全性を確保した上で工業生産性を向上させるために自然科学的見地から最適化を検討する学術(保全工学)と,工業生産活動自体の社会的受容性・経済性を最大限に向上させるために社会科学的見地および人文科学的見地から最適化を検討する学術(保全社会学 3) )の,双方の上に成り立つものである.
保全に関する規格・基準などの標準は,保全活動の統合化の最終的な形として位置づけられ,保全研究の集約した成果である.これらの中に工学的な視点のみならず,社会学的視点を考慮することが重要であり,それを満たすことが社会から認知された規格・基準となる鍵であろう.
以上の観点から,本稿では,社会学的見地からの保全に対する要求と現状の規格・基準の関係や,社会的要求に基づく今後の規格・基準のあり方について考察を進める.すなわち,規格・基準の成り立ちに対して世の中の社会的要求がどのような役割を果たしているかについて概観することによって,現状の規格・基準と社会とのギャップを鑑みながら,保全社会学と規格・基準の関係について考えていくことを試みる.これらの考察により,規格・基準に対して社会的な説得性や受容性を得るために保全学会としてどういう取り組みを行っていくべきかについて踏み込んだ議論を進めることができるようになると考える.
表1 規格・基準の基礎となる保全学の全体スコープの分類 2)
学問分野
保全対象 保全工学
(Analysis) 保全社会学
(Consensus)
保全現場
管理
経営
(直接系) 経年変化予測
評価検査
保全技術
ヒューマンファクター分析・対策 産業構造
請負構造
経済原理
経営原理
技術者倫理
技術支援(情報・データ)
保全を取り巻く社会
一般社会
(間接系) 保全に関する教育方法
保全に関する理解を深める方法
技術評論(家) 社会的関心
安全と安心
心理/感情
社会需要性
情報提供の方法
コンセンサスを得る方法
2.規格・基準の成り立ち
本章では,規格・基準の成立の経緯に対して社会からの要求がどのように関与してきたかについて整理するとともに,規格・基準が本質的に目指している方向についてあらためて考察を加える.
2.1 規格・基準と社会との関係
一般に,主に民間が定める工学的規則を規格と呼び,主に国が定め判断を与える工学的規則を基準とし,これに参考とするガイドラインなどを加え,広く総称して標準という.保全に関する規格・基準などの標準は保全学の集大成であり,保全工学と保全社会学を活用して作成されると考えることができる.すなわち,保全に関する規格・基準は,技術的事項をベースに策定されることは言うまでもないが,決して技術的事項だけでは成立しておらず,少なくとも社会的に受け入れられるための配慮と一般への説明責任を意図した内容になっていなければならない.それ故,規格・基準はいつでもどこでも一律・一定というものではなく,コミュニティや時代,また対象によって異なるものになる.社会に認められると言うことが規格・基準を有効に活用するための最低条件であり,さらには,「規格・基準があるから社会が安心する」ことと,「社会が認めた規格・基準によって便利な生活が保障される」ことが両立することが重要となる.
2.2 技術の発展に伴う規格・基準の成立と変遷
ここでは,民間の規格および国の基準が技術の発展に伴ってどのような成立過程を経たかを,まず,米国機械学会(ASME)のBoiler and Pressure Vessel Codeについて,次に,国内における原子力発電設備に対する状況について,社会との関係に注目しながら検討する 4)?9).
米国での規格成立の契機として,19世紀に蒸気機関が鉱山,船舶,機関車,各種製造工場などの様々な分野で活用されるにしたがってボイラの爆発事故が多発するようになり,社会問題化しいたことが挙げられる.その頃のボイラは材料,設計,製造,検査などについて共通する規格のようなものは存在せず,それぞれの組織ごとに考え方が異なっていた.一方で,社会がより安全な構造物を欲求するという背景から,ボイラについて共通の規格を作成し,別々の組織によってつくられた製品の信頼性を一定のレベルで確保すべきであるという意見を一部の人が持つようになり,ASMEの中に委員会を設置し,規格策定への努力が続けられた.
ここで,ASMEのような各種学会は,各種産業の発展に伴って技術の担い手である技術者が,社会全体から専門的能力を有するものとして高い評価を与えられるようになることに伴って,情報交換や技術の交流を目的として技術者が自ら創設した団体であり,専門家集団として一定の地位を築いていた.
さて,ASME内においても,当初はボイラ技術者だけで構成されていた委員会が,審議する内容に対応して大学,ボイラ製造業者,材料製造者,保険会社など種々の分野から選ばれた委員によって構成されるようになり,1913年に規格の草案が作られた.草案はASME会員に意見を求められるために送付されたが,規制に縛られビジネスに支障を来たすことを心配したためか,数多くの反対意見が噴出した.しかし,その後も規格制定への粘り強い努力が続けられ,(i) 規格制定後もいくつかの懸案事項について引き続き検討を続けること,(ii) より有益な規格を目指して永続的に改訂作業を続けるべきであること,(iii) そのためには適切な委員会を設置して,改定のための検討が自動的に行われる仕組みを作ること,を条件とし,1915年に正式にASME規格として発行された.
そもそもこのASME規格は技術者が自発的に集まった団体が作成したものであり,それ自体には法的な強制力はない.それにもかかわらず,作られた規格を米国原子力規制委員会(NRC)などの行政機関が規則指針で引用したり,認可基準として採用するようになったため,結果として社会に対して実質的に公的な役割を果たすこととなった.
その後もASME規格は発展を遂げ,Boiler and Pressure Vessel Code, Section XIのような維持規格も制定されるに至っている.最近ではASMEの規格会議に日本からも多くの技術者・研究者が参加しており,国際的影響力の大きい「米国の規格」制定に大きく貢献している.
一方,日本の原子力発電設備においては,そもそも国策により原子力発電技術が導入された経緯もあり,当初から電気事業法や原子炉等規制法などに繋がる法規関係で仕様を規定する方式がとられた.すなわち,通商産業省告示として1965年に技術基準が制定され,それに沿う形で原子力プラントの建設が進められた.
国内では,社会の法律に対する意識が「お上意識」,すなわち,「国が決めた法律・決まりにしたがう」という風潮が強かったこともあり,このような仕様を規定した規制が比較的スムースに社会に受け入れられ,その後も原子力発電所の建設が比較的順調に進んでいったと思われる.
ところで,この技術基準は国が定めたいわゆる「仕様規定」であったが,1995年に発効した世界貿易機構(WTO)の「貿易の技術的生涯に関する協定(TBT協定)」において,加盟国は国家規格をISOなどの国際規格と整合性を取ることが合意され,発電用設備について規制基準として性能達成方法まで国が縛ることは協定に反することになるという国際的な流れから,さらには,そもそも規制基準で方法まで規定することは,保全技術の進展を阻害するという意味で事故回避のために好ましくない方法であるという考え方から,必然的に性能規定化を目指す方向へと進んでいった.
ここで,性能規定化は学協会での民間規格作りと歩調を合わせる必要がある.これは,性能規定化基準の元では,国に認められた規格がないと,事業者は用いた手法が性能規定を満足することを毎回規制当局に認めてもらわなければならなくなるからである.
原子力発電設備においても,平成15年10月の電気事業法改正によって,国の技術基準の性能規定化と民間規格の活用が推し進められている.民間規格の制定主体は学協会であるが,これらの組織が策定主体として国に認証されるには,組織が備えているべき多くの条件が一定の基準を満たしていることが要求される.すなわち,規格策定委員会委員の構成,運営方法,規格策定プロセス,策定される規格が備えているべき条件などに公平・公正・公開の原則が必要となっている.最近の学会では,委員会の委員は産官学から一つの組織に偏らないように選任され,委員会ではすべて公開で審議・承認された後に公表され,一般市民・社会からのコメントを求める手順を取っている.その後,一般市民から出されたコメントは,委員会として審議され,その処置と理由を明確にして公表するとともに,必要に応じて策定される規格に反映,修正される.このようなVoluntary Consensus Standardと呼ばれる民間規格を策定するためのステップは合理的かつ民主的なものであり,以前から欧米諸国では取り入れられていたが,近年,国内での規格策定活動にも採用されつつある 2).
以上のような手法を保全に関する規格・基準が社会に受け入れられる形で適用していくためには,単に保全工学的な観点だけからでは困難な場合が多く,社会との繋がりを考える保全社会学が必要であることは議論の必要のないところであろう.
2.3 規格・基準の目指すもの
設備の製造や運用などの工学的な行為において,それらの行為を画一化し,統合して誰もが同じ行為を正確に行えるようにすることが標準化の役割である.そのための規格・基準を制定する意義としては,以下の4項目が挙げられる 1).
(1) 技術の集約
(2) 信頼性・コストの適正化
(3) 安全の確保
(4) 社会資源の有効活用
すなわち,標準化の目的は,学問をベースとして開発,開拓された技術を広く社会に適用して社会の繁栄に寄与することであり,また,その技術の適用に当たって事故や不具合がなく安全が確保されるように,さらには,安心できるものとすることにある.そのためには,
(a) 技術的要請
(b) 経済的要請
(c) 社会的要請
が同時に作用しているものであるべきである.規格・基準を制定することによって,(a) さらなる技術力の向上を図ることが期待され,それによって,(b) 産業構造の簡素化や経済活動の合理化,国際競争力の確保といった経済的貢献と,(c) 広く安心の確保に貢献できるもの,となるべきである.社会からの要求として,「社会の繁栄と安心に寄与するために規格・基準などの標準化を進めている」という意識が重要である.
3.社会学的見地からの保全に対する要求と現状の規格・基準の関係
前章において規格・基準の成立に対する社会との関係と,規格・基準が本質的に目指している方向について整理を行った.本章では,翻って現状の規格・基準の社会からの受け取られ方がどのような状態であるかについて分析を加える.
3.1 アナリシスに寄りがち(コンセンサス指向が少ない)と思われている?
規格・基準は,本来,表1 2) に示すように,適切な安全性を確保した上で工業生産性を向上させるために自然科学的見地から最適化を検討する学術(保全工学)と,工業生産活動自体の社会的受容性・経済性を最大限向上させるために社会科学的見地および人文科学的見地から最適化を検討する学術(保全社会学)の,双方の上に成り立つものである.この「保全工学」と「保全社会学」という学術には,それぞれ,アナリシスとコンセンサスというキーワードがフィットする 2).
本来あるべき姿としての規格・基準は,アナリシスとコンセンサスのバランスがよく取れた状態が望ましいことは言うまでもないが,これまでの規格・基準では図1に示すように,アナリシスという技術的側面のみが強調され,技術的に正しければそれでよい,と考えられていた傾向も一面として見受けられる.国の技術基準の性能規定化に伴って社会への説明責任が要求されてきていることからも,この傾向は以前よりは明らかに改善されてきたと思われるが,規格・基準にとって,それらに直接関わる規制当局やユーザなどからの要望と,規格・基準を受け入れる社会からの期待を一致させる,というバランスが重要となる.
ところで,逆にコンセンサス側を意識しすぎるがあまり,保全について過度に安全性の議論に偏重してしまい,技術的な問題はもちろんのこと経済性すらほとんど無視されてしまう,という側面もあることは否めない.どちらかに大きく偏ることなく,技術と社会の両面から適切な配慮がなされた規格・基準でなければ成立しないことを常に意識することが重要である.
(a) 現状の見られ方 (b) あるべき姿
図1 保全における規格・基準を制定する上での保全社会学の位置づけ
3.2 アナリシス側にすら認知が不足している?
規格・基準が広く社会に受け入れられ,その存在が認知されるための方策は当然考えられるべきである.その第一歩として,いわゆる技術的内容を理解できる近い分野の専門家の認識を深めてもらうことは,裾野を広げるという意味からも重要である.
ところが,保全学の中でも特に原子力分野から見れば,規格・基準の重要性は十分に認識されていることは明らかであるが,これが少し隣の他分野になると,技術者・研究者ですら規格・基準のことをよく知らないという事態になる.このことは大学での教育にも端的に表れており,例えば,ほとんどの大学では安全率を50年以上前の内容のまま教えており,現状の規格・基準における安全係数の動向などにはほとんど触れていない 10).
維持規格のお膝元となる日本機械学会の材料力学部門に関係の深い研究者でも,大半は規格や基準に無関心であるか,無関係だと思っている 10).大学の教員にとって規格制定への寄与はあまり評価されていないことも一因であると考えられるが,このような状況では広く社会に受け入れられる規格・基準を制定することに大きな困難が伴う.
規格・基準の元となる技術に対する理解を求める努力は,一足飛びに技術のまったくわからない人を対象にするよりも,ある程度わかる人を通じてやっていく方が効率的であることは言うまでもない.規格・基準の重要性はもとより,内容を理解できる人の関心を引くためにはその元となる技術的内容の高さをアピールすることが必要であろう.
3.3 閉じた社会での規格・基準になっている?
前節で指摘したように,技術内容の理解が比較的容易な近い分野の専門家ですら規格・基準のことをよく知らないという現実問題がある.専門家側に世の中の動向を嗅ぎ取る努力が不足していることもある面では事実であるが,一方で,規格・基準の制定や改正に関して公開の原則を謳いつつも,少しでも分野が異なると相当の努力をしないと興味を持った専門家ですら肝心の情報にアクセスできないという問題がある.本来ならば理解してもらいやすい立場の社会にいる人たちから,「山のような情報のあるインターネットのどこかの1ページに掲示したから勝手に見ろ,では困ってしまう.」とか,「予告なく公知されてもよほどアンテナの敏感な人かその分野のネットワークを持った人でないと気づかない.」という声が聞こえることを無視しないようにすることが重要である.
一般論として,技術が複雑化・高度化するとともに,より限られた専門家しか技術内容を理解できなくなる.また,それとともに,専門技術者の社会的責任,いわゆる「説明責任」がより強く求められるようになる.説明責任は広く社会に対してはもちろんのこと,近い分野に住む研究者・技術者に対しても開かれるべき必修科目である.規格・基準にとって社会への公開の原則は当然であるから「よく調べればわかる」のも事実であるが,調べ方を知らない近い分野の専門家に調べ方を明示すること,調べられやすくすることが結果として社会と規格・基準との間の敷居を低くすることに繋がるであろう.
3.4 規格・基準制定までの努力のPR不足?
最新の規格・基準は社会的・経済的観点を考慮した技術的成果の「集大成」である.このことは,広く社会に対して保全に関する規格・基準,さらにはそれによって製造,運用されている設備の優位性をアピールできるポイントになると思われる.専門家の総力を結集し策定した合理的な規格・基準によって合理的な製造,運用がなされている,というスタンスこそ,広く社会にPRできる点であると考えられる.
時として,社会に対して一方的に不安を煽るマスコミによって自己弁護のための両論併記の見かけの中立性を保つため,規格作りを進めてきた専門家の意見と,保全技術そのものに対する知見はそれほどでもない評論家の意見が同列に扱われてしまうようなことに対しても,さらには,純粋な技術の枠を跳び越して技術と社会の関わりという問題にすり替えられてしまっているようなことに対しても,規格・基準制定までの努力とそれに携わった技術者・研究者集団の「総力」の存在を示すことが有効に働くのではないであろうか?
また,技術者は「安全」をアピールするが,一般社会は「安心」を求める.原子力発電設備の場合,この「安心」が「絶対的安全」になってしまっていることに社会と技術のギャップが生まれている.これまでの保全に関する説明用の種々の材料は原子力発電に対する社会の理解を深めることに役立ってきていると考えられるが,その一方で,種々の調査 11)?13) では安心感の変化に対するこれらの材料の効果はほとんど見られないことが報告されている.また,安心できる原子力発電所かどうかの判断に当たって重要視する要因としても,発電所周辺の人々とのコミュニケーションや平常時・事故時の情報提供など「安全」とは直接関係のない要因よりも,大事故や自然災害に対する設備の安全性が高いことや設備の点検や検査をする回数が多いことなど「安全」に直接関係する要因が多いことが示されている.ただし,「安全」に対する技術的情報の提供だけではなく,発電所で働く人の仕事に対する意識なども安心感に寄与しているとの報告もあり,これらの分析をより詳細に進め,社会的・経済的観点を考慮した技術的成果の集大成である規格・基準が「安心」に役立つものであるという情報の提供方法を見出していくことが重要であると考えられる.
原子力発電設備がもたらす利益を考慮し,社会が容認できる範囲の危険性なら許されるという考え方は,自動車や飛行機,医薬品などの安全規制とも共通している.「絶対的安全」はあり得ないこと,技術的な合理的判断に基づいた「相対的安全」は十分に社会的「安心」をもたらすことができるようになる,という流れを社会に説明し,理解を得るためにも,規格・基準の制定に至るまでに「総力」で取り組んだ手法をアピールすることが有効であると考えられる.
4.社会的要求に基づく規格・基準のあり方
ここまでの分析を踏まえて,本章では社会的要求に基づく規格・基準のあり方について考察を加える.これは,保全社会学と規格・基準の関係について考えることに他ならない.これらの考察により,保全に関する規格・基準に対して社会的な説得性や受容性を得るためにどういう取り組みを行っていくべきかについて,より踏み込んだ議論を進めることができるようになると考える.
4.1 民間規格ならではの最新技術を取り込んだ標準化
規格・基準に基づいた保全活動は,2.2節で述べたように,国の技術基準の性能規定化の流れにより,国の主導,規制による保全活動から,民間主導の柔軟な運用ができる民間規格を用いた保全活動へと移行してきている 7), 8).ここで,民間規格・性能規定化にとって,
(1) 明確であり公開されていること
(2) 国際動向に主体的に対応すること
(3) 最新の技術的知見を反映した効果的なものであること
が重要となる 14), 15).専門家の総意を反映した規格とするためには,その審議内容などが広く社会に公開されることが必須である.また,国際的な動向に対しても主体的な立場が望まれることは言うまでもない.さらに,社会への説明責任を考えれば,優れた最新技術はどんどん規格に取り込むべきであり,結果として技術的・社会的にオーソライズされるべきである.このことは,事業者が新技術の規格への取り込みに積極的であることが大前提であり,規格・基準にまだ採用されていないことを優れた新技術の不採用理由とするようなことはナンセンスである 15).
保全に関する規格・基準に対する説明責任が,これまでの「国が決めた法律・決まりに従う」というような意識から,「国民が決めた法律・決まりをみんなで守る」という意識への世論形成へのトリガーになることが望まれる.
4.2 最近の米国の動きを一例として
近年の米国の原子力発電所における運転実績は,1980年代に比べて大幅に改善されている.これは,米国原子力規制委員会(NRC)が,「原子炉監視プロセス(Reactor Oversight Program)規制」,あるいは,「リスク情報を活用した規制」を導入したことに因ることが大きい 16).これにより,米国内のいくつかの原子力発電所は成績の向上をあきらめ閉鎖したが,残りのほとんどの発電所は成績の向上に成功し,結果として高稼働率を達成することができた 17), 18).なお,この規制においても民間団体である米国原子力エネルギー協会の作成したガイドライン(NEI-96-07, Rev.1)の使用がNRCにより承認され,実際に運用されている.これにより,蒸気発生器の取替えやデジタル計装系への交換なども規制当局への事前承認を必要とせずにガイドラインにしたがって実施されている模様である.
国内においても,2003年に制定された(社)日本電気協会の「原子力発電所の保守管理規程」の策定プロセスにおいて,リスク情報,信頼性情報などの最新技術知見の具体的活用方法について充実を図っていく必要があることが明記されたように,米国の保守規則の考え方を参考にしつつ,より合理的な規格が制定されていくことが期待される.
上述のような場合についても,前節の三原則に沿って公開の原則の元にUp-to-Dateな技術を取り込むことによって,社会的な説得性や受容性を有する規格へと繋がっていくと考えられる.
4.3 規制側も規格制定に携わった上での承認を
原子力安全・保安部会 原子炉安全小委員会が2002年に公表した報告書「原子力発電設備の技術基準の性能規定化と民間規格の活用に向けて」7) では,規制当局が学協会の民間規格策定に参加することに言及している.同じ規格・基準に対して対極的な組織横断的な活動として規制当局と事業者の双方がこれまでの経験を活かして意見交換した上で自ら策定した規格を運用する場合と,規制規格を事業者が規制当局から与えられたものとしてただ遵守する場合では,安全確保上も本質的な差があることは明らかである 19), 20).
さてここで,ASMEでは,制定した規格の中の要求項目に対して説明責任はないと明言する.これは,理論的に導出できないけれども,現実的には早期に決定しなければならないという要求課題に対して取りうる「最善の策」は,専門家から構成される技術委員会が科学的・合理的判断の元に全員一致で決めることで,それ以上の策は望むべくもないからである.もちろんその一方で,要求項目の技術的意味や適用方法などの説明には責任を持たねばならないとしている 21).
このような風土を社会で広く認知させていくためにも,規制側も参加した「全員」での「一致」を目指していくことが望ましいと考えられる.規制当局,設備の運用企業,大学・中立機関の研究者などの専門家の「総力」を挙げて策定した規格・基準によって製造・運用されている設備への「安心」を醸成していくことが望まれる.
4.4 仕様基準から性能規定化,そしてシステム化規格へ
保全に関する規格・基準は,社会に理解された上で,さらにはより社会に理解されるために,国の仕様基準から性能規定化・民間規格へと移行している.ここで,言うまでもなく保全は多くの要素技術からなる総合技術との認識が必要であり,個々の要素技術としての多様性の発展を促しながら,全体を統合することが重要である.それらを考慮した発展形として,システム化規格 22) が提唱されている.システム化規格とは,規格・基準に含まれるいくつかの技術項目の間で余裕を相互交換可能とすることにより,余裕の重複を避け,過剰な余裕を適正な水準に合理的に設定することを目標とする柔軟な規格基準体系構想である.
人間は本質的に過ちを犯すことがあることは理解できても,リスクの概念を理解し,それを意志決定に役立てるような風土があまりないような日本社会において,最新の規格・基準を徐々に認知してもらうことによって,将来的にはシステム化規格の概念に至るプロセスが重要であろう.
5.おわりに
「保全学」の体系化を図ることは,発電設備の健全性を維持しつつコスト競争力を増強できるばかりでなく,それが運転管理に反映された場合に社会の原子力発電に対する不信感を払拭し十分な安心感と信頼感を醸成していく上できわめて有用である.これらの統合された集大成として保全に関する規格・基準などの標準が定められる.本稿では,社会学的見地からの保全に対する要求と現状の規格・基準の関係や,社会的要求に基づく今後の規格・基準のあり方について考察を進めてきた.規格・基準は,保全技術者にとっては日々の活動の指針を与えてくれるものであり,保全学の研究者にとっては成果を社会に還元するための枠組みである 8).規格・基準に対して社会的な説得性や受容性を得るために,関係者の戦略に則った継続的な努力が望まれる.
可能性がゼロに近いシナリオを描いて「絶対的安全」を求められれば技術は成り立たない.保全に関する規格・基準を,中立・公正・公開の原則の基に「合理的に」策定し,それを実際に適用していくことによって,保全方法が社会から受け入れられるようになると確信したい.
本稿の執筆に当たり,下記に列記した参考文献以外にも種々の発言ならびに資料を直接的・間接的に参照させていただいた.また,日本保全学会企画運営委員会および編集委員会の委員を始めとする会員諸氏に種々の議論,コメントを賜った.ここに記して謝意を表す.
参考文献
1) 日本保全学会企画運営委員会, "保全における規格・基準の意義", 保全学, Vol. 4, No. 1, pp. 4-7 (2005).
2) 織田満之, 青木孝行, 三牧英仁, 蓮沼俊勝, "保全社会学の枠組みとアプローチ", 保全学, Vo. 3, No. 4, pp. 3-7 (2005).
3) 青木孝行, "保全科学および保全工学の構造と体系", 保全学, Vol. 3, No. 1, pp. 4-11 (2004).
4) 日本規格協会編, ASMEの基準・認証ガイドブック, 日本規格協会, ISBN 4-542-40403-X (2004).
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9) 山本哲也, 原子力発電設備の健全性評価制度の整備について, 保全学, Vol. 2, No. 2, pp. 27-32 (2004).
10) 小林英男, "材料力学の規格戦略 (ものづくりにおける材料力学の役割)", 日本機械学会材料力学部門ニュースレター, No. 28, pp. 4-5 (2004).
11) 酒井幸美, "技術的な「安全」と人々の「安心」をつなぐもの ? 原子力発電事業を中心に ?", 保全学, Vol. 2, No. 2, 21-26 (2004).
12) 大橋智樹, 酒井幸美, 守川伸一, ハフシ メッド, "安全情報の提供が安心感の変化に与える影響", 第32回安全工学シンポジウム講演予稿集, pp. 220-223 (2002).
13) 酒井幸美, 守川伸一, 大橋智樹, ハフシ メッド, "提供される「安全」と感じられる「安心」をつなぐ要因", 第33回安全工学シンポジウム講演予稿集, pp. 442-445 (2003).
14) 結城則尚, "原子力安全規制における品質保証の導入について", 保全学, Vol. 2, No. 1, pp. 28-33 (2003).
15) 班目春樹, "実効性のある原子力安全規制", 保全学, Vol. 2, No. 2, pp. 15-20 (2004).
16) 伊藤邦雄, "米国における原子力規制と安全 ? (2) 保守規則とその対応内容 ?", 保全学, Vol. 2, No. 1, pp. 16-22 (2003).
17) 石川迪夫, "おじんの保全学講座", 保全学, Vol. 3, No. 1, pp. 92-94 (2004).
18) エネルギーフォーラム in 敦賀 開催報告, Kan Gen Kon News, No. 62, pp. 2-4 (2005).
19) 総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会 原子炉安全小委員会 性能規定化検討会, 原子力発電設備の技術基準の性能規定化と体系的整備について?中間とりまとめ?, (2005).
20) 青木昌浩, "発電用原子力設備に関する技術基準の体系的整備に向けて", 保全学, Vol. 3, No. 4, pp. 8-11 (2005).
21) 宮健三, "原発「反対」の論理構造 (1) ? 時間と空間のメタファーに基づいた分析 ?", 保全学, Vol. 4, No. 1, pp. 42-47 (2005).
22) 朝田泰英, システム化規格 ? その基本構想 ?, フォーラム保全学, Vol. 1, No. 1, pp. 57-66 (2002).
社会からの要求と規格・基準 宮 健三,Kenzo MIYA,望月 正人,Masahito MOCHIZUKI