リスク評価に活用するための配管損傷データベース構築法
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1 緒言
我が国においては長引く不況のなか化学プラントに代表される多くのプラントについて新設は頭打ち状態となり、様々な長寿命化対策により今日も現役で稼動している。それにもかかわらず、国際競争力は急速に失われてきているという現実があり、あらゆる経費の削減なくしては更なる存続が困難であるという状況がある。特に設備メンテナンスのための費用は厳しい削減が求められている。こうして老朽化設備の長寿命化、長期連続運転、生産活動にともなう社会的な環境・安全・健康確保の義務に関する責任を果たすための設備の信頼性向上、設備維持のための費用の削減という相反する要求を同時に満たすために、メンテナンスのあり方には必然的に科学的合理性と経済性の両立が求められるようになる。このような状況の中で、検査のための限られたリソースを最も有効な部位に集中させるための方策が重要となるが、ここで導入が求められることがリスク評価である。つまり、検査時にリスク評価を行い、この結果に基づき最適な検査計画を組み直す。このような考え方をリスクベース検査 ) )といい、欧米では長い経験を有するが、我が国においても導入が急務となっている。原子力分野においても、配管に関するリスクインフォームド検査に関する規格が、ASME規格Section XIのCode CaseからAppendix化される方向に動きつつあるなど、整備が急ピッチで進んでいる。
しかしながら、我が国にリスクベース検査を導入する際の一つの課題として、損傷データの整備が挙げられる。リスク評価は、機器の損傷確率と影響度の積から評価されるが、参照すべき損傷データベースが存在しないと、海外のデータを便宜的に利用するか、文献データによるなどのことを行わなければならない。この場合、我が国の実情とかけ離れた結果となることが懸念される。そこで、今後は我が国に固有の損傷データベースを整備していくことが重要である。本報では、機器の中でも多くの産業で共通性のある配管を取り上げ、その損傷データベース構築する上にあたって配慮すべき事項の概説と、最後に提言を行いたい。
2 損傷データベース構築のための課題
損傷データベースに関する理解は、さまざまで、通常は通常は故障記録などを積み重ねたもの、と解釈することが多いように思われる。しかし、その多くはリスク評価に活用する、という観点からは種々の問題をかかえている。以下に問題点を列挙する。
2.1 兆候データの収集
破損事象の対象としては、機器の故障データが用いられることが多い。一般に"故障"という用語からは、"ポンプの故障"に代表されるように、本来機器がもつべき機能が失われる状態をさすものと解釈されることが多い。配管のような静的機器にあてはめると、漏洩や破断などに対応付けが行われることになるが、このような事象は、いわば重大事故に分類されるもので、検査時に発見されるということは、極めてまれなことであると考えられる。このように故障データを中心に損傷データが集められてきた理由は、これまでの損傷データベースが、初めから損傷確率評価への適用を意識して収集されたものではなく、検査時の故障報告記録からデータを掘り起こしたり、法定届出義務のある報告事例をもとにデータベースとして構成する場合が多いことが理由の一つと推察される。本来、リスクベース検査では、検査段階での損傷の兆候をとらえて、検査プラニングの見直しを行うことが望まれる。従って、リスク評価においても、参照すべき損傷データは損傷の兆候のデータである。現実には、これに該当する損傷データベースはパブリックの形ではほとんど存在しないものと思われる。法定的に届出義務がない損傷の兆候を自ら進んで公表することは、これまでは負のイメージしかなく、何のインセンティブも働かなかったとしても不思議はない。しかし、今後はリスク情報の活用の重要度が高まるとともに、このようなデータの意義は極めて大きなものになるので、データの公表、収集にインセンティブが働くような仕組みを考えていくことが重要になるものと思われる。幸いにして、原子力分野を初めとしてあらゆる産業で維持規格 )の導入が進められつつある。維持規格では、検査時に検出される欠陥に対して評価をした上で、その後の判断を行うので、損傷の兆候データを収集するための環境は整いつつあるといえる。
2.2 動的機器と静的機器の区別
原子力分野のリスクインフォームド供用中検査 (RI-ISI)などの、リスク評価ツールとして用いられる確率論的安全評価 (PSA)においては、評価のベースとなる損傷データはポンプのような動的機器の故障率データに類するものであるものと考えられる。故障に対応するデータをベースとする理由は、PSAで評価対象とするのが、炉心損傷頻度 (CDF)のような、重大事故に対応しているためと考えられる。しかし、配管のような静的機器に対してリスク評価を行う場合、上記のように兆候データをもとに評価することに意義がでてくる。静的機器の場合、動的機器の故障データとは、根本的に特性が異なるので、データベースの構築にあたってはそのことをよく理解しておくことが重要であろう。スウェーデン原子力庁の発行するSKi )レポートにまとめられている両者の違いを対比して表1に示す。
表1 静的機器と動的機器の差異
特性 静的機器(配管) 動的機器(ポンプ)
対象の境界 不明確(連続体であるが故に) 明確
損傷率の定義 1/(時間・基本量)
基本量の定義はあいまい 1/(時間 or デマンド)
破損頻度 まれ 頻繁
機能単位 材料、寸法、環境、作動流体 標準化が容易
破損モード 広範囲:SCC、疲労、リーク 限定される
まず、対象機器の境界は、ポンプであれば単体としての機器であるので明快であるが、配管の場合連続体であるから、どのように境界を設けて区切るか(セグメント)ということには主観が入りやすい。セグメントのデータをデータベース化する場合には、どのように一般化するか注意が必要である。次に、損傷率については、ポンプの場合には、単位時間当たりもしくは、要求(デマンド)に対する失敗率として明確に定義できるものの、配管の場合には必ずしも明快ではない。単位時間当たりの量として評価するのはよいとしても、大きさの基準値は対象とする損傷モードによって異なる。例えば、応力腐食割れであれば溶接線の長さを、減肉を対象とするのであれば、面積を基本量ととるべきであろう。破損頻度について見ると、ポンプの故障頻度に比較して、配管の損傷は桁違いに小さいという点も相違点として挙げられる。機能単位について見ると、配管の場合には、材料、寸法、使用環境など多くのパラメータがあって、必ずしもその単位が明確でないのに対して、ポンプでは性能仕様などが明確である場合が多い。破損モードは、配管の場合には、SCC、疲労、クリープ、減肉など広範囲であるのに対して、ポンプの場合には、故障モードは限られているなどの特性の違いがある。
2.3 データフォーマットの整合性
Fig.1 配管破損の条件付確率
データフォーマットは、本来利用目的に照らし合わせて最適なデータ項目が記述されているべきである。これまで、我が国で開発されてきた損傷データベースは、その開発目的が
必ずしもリスク評価への適用ではなかったために、データフォーマットもさまざまなものであったものと考えられる。例えば、SKiレポート4)では、Fig.1に示すような配管直径と、き裂発生下の条件付破損確率の関係が示されている。炭素鋼では、配管径とともに破損確率が上昇し、ステンレス鋼ではこの逆となる傾向を見て取ることができる。このことを見てもわかるように、損傷確率は材料に依存するのみならず、配管径にも依存し、その依存の傾向は材料によっても異なる。このことは、配管については損傷データベースの構築に当たって、配管径も重要なデータ項目であることを示す。しかし、このようなデータは、データベース構築時に意識して集めないと、故障記録などから読み取ることは、多くの労力を要するし、最も悪いケースでは記録が残っていないこともあろう。今後、産業界の壁を越えてデータベースを共有し、相互利用を図るためにはデータベースのフォーマットを整合化することが重要となろう。SKiレポートでは、設計時に決定されて後に、供用時には変更できないようなパラメータを属性(attribute)データと呼び、供用時の内部流体や運転状況などのように個別のプラントの状況によって決まるパラメータを影響(influence)データと呼ぶ。本来、属性データと影響データは分離して表現すべきで、データベースフォーマットを作成する際にもこのことを意識することが重要であろう。
2.4 統計確率モデルの構築の必要性
Fig.2 配管か損確率評価のための統計的アプローチ
Fig.2に、検査時に破損の兆候データが得られると仮定したときの、破損、つまり漏洩、もしくは破断の確率を評価するための3つの手順を示す。兆候の段階では、小さな欠陥が検出されるので、破損確率を評価するためには、破損に至る確率を求めることが必要になる。まず一つ目の手段として、実験データが得られればよいが、内圧を有する配管について、き裂部材の統計実験を行うことは、コストと労力から考えて現実的ではない。従って、何らかの統計的な評価により求める必要がある。統計モデルの代表的なものは確率論的破壊力学 (PFM)を用いる手法である。この方法は、破壊力学を用いて疲労き裂進展をコンピュータシミュレーションにより評価し、モンテカルロ法により破損確率を求めるものである。その際、荷重や材料特性のばらつきを考慮に入れる。代表的なPFM解析コードとして、米国の国立研究所で開発されたPRAISEコードがあり、配管系の解析を得意とする。国内でも、PASCAL )のようなPFM解析コードが開発され、次第に利用可能となりつつある。しかし、このようなPFMにより破損確率を評価することは、各種パラメータの統計分布に関する情報に加えて、解析コードが必要となる。従って、破壊力学に関するある程度の専門知識と、計算負荷が必要になる。その意味で現場レベルでこの手段によって破損確率を評価することは、ある程度の困難が伴うことが予想される。このPFM解析は、いわば詳細解析として位置づけ、これとは別に、ある程度精度は犠牲にするものの簡易に評価する手段も必要となろう。もちろん、予めPFM解析との比較などによって精度の検討は行っておく必要がある。このような簡易統計モデルの考え方として、ベイズの定理を応用する方法がある。ベイズの定理については後述する。
このように、兆候データをもとに損傷データベースを構築する場合には、リスク評価への応用も考えて、統計モデルを併せて構築しておくことが重要であると考えられる。
2.5 サンプルサイズ
損傷確率を求めるためには、対象となるサンプル全体の数を母数として、破損事象の件数を分子として評価する必要がある。検査データとして故障データのみしか記録していない場合には、分母の評価が困難となってしまう。つまり、破損確率評価へ応用することを意識した上で、必要となる情報を残しておかないと、有効にリスク評価に適用できないことになる。
今後、損傷確率評価への応用を意識した損傷データ収集が行われたとしても、急速にサンプル数が増えることは期待できない。このように、データ数の不足を補うために後述のベイズの定理が活用されることが多い。
2.6 データの公開方法
損傷の兆候データをパブリックデータベースとして共有できれば、リスク評価への適用が促進されるものと期待できる。その一方で、兆候段階のデータが公開されると、提供者に対する負の側面と見られてしまうのではないか、という懸念が提供者側に生じてしまうのではないかと推察される。利用者には、十分にデータベースの適切な利用法を理解してもらう必要があることはいうまでもないが、その一方でデータベースの公開方法を明確にしておく必要がある。そうでなければ、データ所有者は安心して損傷データを提供できないであろう。
3 海外の配管損傷データベース
原子力分野では、海外ではPSAによる評価が早くから導入されてきたこともあり、早い段階から配管損傷データベース構築の活動が行われている。その代表的なものが、スウェーデン原子力庁 (SKI)の活動である。SKIでは、1994年に配管損傷データベース("SKI-PIPE")構築活動を開始 )し、その後世界的なレベルでのデータ収集のためにOECD/NEAに2000年に設置されたプロジェクト活動 )へと発展した。この国際的な配管損傷データ交換プロジェクトはOPDEプロジェクトと呼ばれており、世界の主要な原子力発電国12カ国(米、仏、独、日、加、瑞、スペイン、韓国、フィンランド、スイス、チェコ、ベルギー)が参加している。このプロジェクトの目的は、配管損傷事象に関する国際的なデータベースを構築し、根本原因の特定・分析、事象経験・防止対策のフィードバック、信頼性評価に資することである。データの取扱いは参加国間だけの「機密扱い」であるが、部分的に文献 )に引用されているものもある。現在第二期の活動が進行中である。
上記のスウェーデンにおけるデータベース開発の活動が基礎となって、米国EPRIのRI-ISIのアプローチへと発展した。この拡張したデータベース版は、EPRI TR-110102 )として発行された。
このように、原子力配管の損傷事象は極めてまれな事象であるから、国際間の協力でサンプル数を増やすことは、損傷確率の評価精度を高める上で、一つの解決策ではあろう。しかし、このようにして開発されたOPDEデータベースは必ずしも有効に活用されていないようである。その原因の一つには、複数の国のデータからデータ提供を受けるにあたり、各国で規制のレベルが同一でなければ、出て来るデータの内容も統一されているとは限らないことが考えられる。もし、我が国固有のデータベースを構築することができるのであれば、少なくとも規制のレベルは同一であるので、より統計的に意味のあるデータになることが期待されよう。
4 ベイズの定理の活用
破損確率、つまり破損の起きやすさを客観的に表現するためには統計学を用いる必要がある。破損確率とは、評価対象の装置の数(標本数)のうち、いくつ破損するかという割合のことをいう。標本数が増えれば、破損確率の評価精度は高まるが、このようなことを前提にして構成された統計学の学問体系を標本統計学と呼び、我が国では馴染みのある考え方である。ところが、メンテナンスにかかわる確率論的取扱いについては、欧米では標本統計学よりは、もっぱらベイズ統計学が用いられる。ベイズ統計学とはベイズの定理に基づく統計学のことをいう。メンテナンスの場合には検査データに基づいて、破損確率を評価するが、この場合にはベイズ統計学の方が合理性を持つからと考えられる。
標本統計学とベイズ統計学の対比を概念的にFig.3に示す。標本統計学では、多くの標本データ群から、破損確率を推定する。検査結果は、そのつどデータ群に追加されていく。この評価の過程には主観が入る余地はなく、客観的手順であるといえる。一方、ベイズ統計学では、破損確率の候補を主観に基づいて複数選び、個々の候補に対して確からしさ(確信度)も併せて割り当てる。主観的要素が入るので主観的確率と呼ばれることもある。検査の結果、破損が観察されるか否かに応じて、確信度を更新していくのである。更新する手続きはベイズの定理に基づく。検査を行う前の確信度の分布のことを事前分布、これを検査後にベイズの定理によって更新した後の分布を事後分布と呼ぶ。
我が国では、科学的手続きに主観を入れることは許容されないとする風潮がある。それが故に客観性をもつ標本統計学がもっぱら用いられているものと思われる。ところが、メンテナンスに関しては、客観的データで表現できないようなものも多数含まれてくる。その代表的なものが、検査の有効性(検査有効度)である。検査有効度は、対象とする損傷モードと、用いる非破壊検査法の組み合わせに対して定義されるが、定量的表現はむずかしく、有効である、ある程度有効である、有効でない、などのあいまいな表現によらざるを得ない。破損は、検査によって検出されるものであるから、検査有効度の取扱い抜きにしては評価できない。つまり、メンテナンスに関してはあらゆるものに客観性を求めても限界があり、行き詰ることになってしまう。そこで、エキスパートによる主観表現をうまく取り込んで、検査結果に基づいて修正していくというベイズ統計学の考え方は、メンテナンスの特性を考慮した上でとにかく破損確率に関する評価を導出するための一つの知恵であるといえる。この他、ベイズ統計学を用いると、1回の観察データを有効利用できるので、検査データのような小標本データに向いている。また、破損したというデータのみならず、破損していないという事実もデータの更新に活用できる。データベースの活用という観点からは、データベースから得られる類似機器の破損確率分布を事前分布とし、評価対象の個別プラントデータを観察事象としてベイズ更新し、得られた事後分布を信頼性評価のための破損確率として使用するということもよく行われる。なお、ベイズ統計学の学術的な詳細、メンテナンスの中での具体的な取扱いについては文献 ) )を参照されたい。
Fig.3 ベイズ統計学と標本統計学の対比
5 配管損傷データベース構築のための提言
配管を対象として、リスク評価に有効に利用するための損傷データベースのあり方を述べた。既存の損傷データベースの多くは、必ずしもリスク評価への応用を意識して構築されたものではないため、有効に利用することが困難である場合が多い。今後は、データベース構築段階から、リスク評価への適用を意識した上で、データ収集を行うことが重要である。このために、構築すべき配管損傷データベースについて以下の提言をしたい。
1. リスク評価への応用を意識した我が国固有の損傷データベースであること
2. 産業横断型とし、相互利用の促進を図ること
3. そのためにデータフォーマットの整合化を図ること
4. データ収集は、産業ごと、学協会ごとの事情に応じて収集し、公開レベルも各々検討すること
5. データ公開の仕組みを明確化し、データ提供の障害を取り除くこと
6. 損傷の兆候データから破損に至る確率を評価するための統計モデルの構築も平行して行うこと
7. 今後、確率統計的取扱いが重要になることに鑑み、この分野の人材育成にも努力すること
8. 永続的に機能するパブリックデータベースの仕組みを考えること
参考文献
リスク評価に活用するための配管損傷データベース構築法 酒井 信介,Shinsuke SAKAI