無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による非等軸残留応力場の準非破壊計測
公開日:
カテゴリ: 第10回
1.緒言
構造部材に存在する各種加工に起因する残留応力は, 構造物の経年損傷やそれを起点とした各種破壊をもたらす要因となり得ることから,各種構造物の構造安全性・強度信頼性を確保するためには,構造物に生じている残留応力を適切に考慮した構造設計・評価が重要である. 残留応力の評価技術として,実験計測や数値解析を活用したものが挙げられる.近年では,コンピュータ性能の向上に伴って,数値シミュレーションを活用した取り組みが積極的になされるようになっている[1, 2].一方で, その精度検証なども含めて,残留応力の実験計測技術に対する需要も高まっている.特に,測定対象を非破壊的に計測できることや,測定が簡便で安価であること,さらには測定上の制約が少ないこと,などの特長を有した新しい応力計測技術の構築が望まれている. こうした背景から,近年では,X 線や放射光,中性子を用いた回折法による非破壊応力計測に関する取り組みが積極的になされ,溶接部への適用など実機適用に向けた実績も蓄積されつつある.また,部材内部の応力計測に対しては,従来から広く用いられる応力弛緩法と比較して部材を完全に破壊しないDHD(Deep Hole Drilling) 法のような準破壊的応力計測法も新しく提案され,種々の検討がなされている. 本研究では,インデンテーション法を用いた準非破壊的応力計測法に注目する.インデンテーション法は古くから用いられており,硬さによって測定対象の強度を相対的に評価するものであったが,近年,圧子押込み・除荷中の荷重-深さ曲線を連続的に計測することにより,ヤング率や応力ひずみ曲線,降伏強度の推定などに応用する試みがなされてきている.そうした中で,残留応力の推定に関する取り組みもなされているが,いずれの方法も無応力下での基準荷重を必要とする方法であり,例えば,強機械加工に伴う材料の加工硬化や溶接熱影響部組織に起因する硬化や軟化が生じる場合には,そうした状
態における無応力下での基準荷重が必要となる.すなわち,そのような場合には,測定部を切り出し,応力解放してから再度押込み試験を実施するか,あるいは,各種の加工履歴を受けた材料毎に無応力下での基準荷重をデータベース化しておく必要があると考えられるが,必ずしも現実的ではない. そこで本研究では,複数の形状の異なる圧子を利用することで,無応力下の基準荷重を必要としない圧子押込み法を用いた非等軸応力場の準非破壊計測法を提案した. そして,提案手法によって得られた応力計測結果を,X 線応力測定法により得られた結果と比較することで精度の検証を行った. 2.圧子押込み法を利用した新しい応力計測法の提案 2.1 圧子押込み法による応力計測の基本原理 Fig. 1 に圧子押込み時に得られる荷重-深さ曲線の模式図を示す.図中に示すように,圧子下の応力状態に応じて同じ深さd まで押込むために要する荷重値L は様々に変化する.一般に,圧縮応力が存在する場合には荷重値は大きくなり,引張応力が存在する場合には荷重値は小さくなる.このような荷重値の変化を用いることで,圧子下に存在する応力値を推定することが可能である. Fig. 1 Load-depth curve obtained in indentation test with and without residual stress 2.2 非対称圧子を用いた非等軸応力場計測 溶接残留応力のように非等軸な応力場の場合,ビッカース圧子のような対称形の圧子を用いる限りにおいては, 荷重変化量は平均的な残留応力の影響として現れるため, 二軸応力の分離ができない.そこで,ヌープ圧子のような非対称形の圧子を用いることで,二軸応力場の分離を可能とする応力計測法が提案されている. Fig. 2 はある二軸応力場(σyresよりもσxresの方が大きい場合を想定する)に対して,ヌープ圧子を異なる二方向の角度で押込んだ場合の荷重-変位曲線の模式図である. 図中に示すように,(a)ヌープ圧子の長軸方向をx 方向に合わせて押込んだ場合と,(b)ヌープ圧子の長軸方向をy 方向に合わせて押込んだ場合とでは,無応力下で押込んだ場合と比較した場合の荷重変化量に差が生じることになる.本手法では,この荷重変化量の差を利用して二軸応力の分離を可能にしている.一軸応力場における応力方向と圧子の長軸方向が一致する場合の応力値と荷重変化量の変換係数をα.,応力方向と圧子の短軸方向が一致する場合の応力値と荷重変化量の変換係数をα⊥とすると,二軸応力場に対してヌープ圧子を異なる角度で押込んだ際の荷重変化量ΔL1,ΔL2 は次の加算則によって算出できるものとする. ΔL1 = α.σxres + α⊥σyres (1) ΔL2 = α⊥σxres + α.σyres (2) これらの式をそれぞれσxres,σyresについて整理すると, σxres = (α.ΔL1 - α⊥ΔL2) / (α.2 - α⊥2) (3) σyres = (α.ΔL2 - α⊥ΔL1) / (α.2 - α⊥2) (4) となり,あらかじめ一軸応力状態での変換係数α.,α⊥ を求めておけば,式(3),(4)を用いることで,二軸応力の分離が可能となり,非等軸応力場の計測が可能である. Fig. 2 Load-depth curve obtained in indentation test using Knoop indenter with asymmetric stress field 一方,ビッカース圧子の利用をベースとした別の方法も提案されている[3, 4].材料に生じている二軸応力の比p= σyres / σxresとおくと,各応力σxres,σyresは,無応力下および残留応力下でのビッカース圧子押込み時の荷重L0, Lres とOliver-Pharr[5]による補正を行った真実接触面積Ac を用いて,以下の式で算出できる. σxres = 3/(1+p) . (L0 - Lres)/Ac (5) σyres = p σxres (6) ここで,二軸応力の比p はヌープ圧子を用いて求める. ヌープ圧子を用いた場合の式(1)(2)の比をとると, ΔL1/ΔL2 = (α./ α⊥+p)/{1+(α./ α⊥} p } (7) となる.ここで,α./ α⊥=0.34 でとなることが実験的[6], 解析的[7]にも示されている.したがって,荷重比ΔL1/ΔL2 を実験的に求めることによってp が求まる.これを式(5) に代入することによってσxres が求まり,続いて式(6)よりσyresが求まる. 2.3 基準荷重を必要としない応力計測法の提案 前節までに述べた方法は,いずれも無応力下の荷重を基準として,残留応力が存在することによる荷重の変化量を用いて応力を求める方法である.しかしながら,実際の機械・構造物においては,強機械加工や溶接等の各種熱加工履歴を経た結果として,硬化や軟化が生じている場合が考えられる.また,何らかの事故や災害による損傷や経年的な劣化・損傷を受けた構造物においては, もはや製造時の材料特性を有していない状態にあることも考えられる.このような場合に,上述の方法を用いて応力計測する場合には,切り出して応力解放された小片などを用いて無応力下での荷重値を取得する必要がある. しかしながら,そのような方法は必ずしも現実的でなく, 無応力下での基準荷重を必要としない方法が確立されれば,圧子押込み法を用いた残留応力計測はより有用となることが期待される.そこで本検討では,ヌープ圧子とビッカース圧子を併用することで,無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による残留応力計測法を提案する. 前節で示したヌープ圧子による応力算出の基礎式をビッカース圧子による応力算出の基礎式と併せて改めて式(8)(9)(10)に示す.(ただし,式(8)(9)の左辺は都合により表記を式(1)(2)とは変えてある.) L0 - L1 = α.σxres + α⊥σyres (8) L0 - L2 = α⊥σxres + α.σyres (9) L0’ - LV = αV σxres + αV σyres (10) ここで,式(10)においてヌープ圧子とビッカース圧子の無応力下での荷重値の比としてη= L0 / L0’を用いると, L0 - ηLV = ηαV σxres + ηαV σyres (11) となり,これと式(8)(9)を用いて無応力下の荷重L0を消去して整理すると,σxres,σyres を求める式は,次式(12)(13) のようになる. . σ res x = (L2 .ηLV )(α⊥.ηαV ) . (L1 .ηLV )(α// .ηαV ) (α// .ηαV )2 . (α⊥.ηαV )2 (12) . σ res y = (L1 .ηLV )(α⊥.ηαV ) . (L2 .ηLV )(α// .ηαV ) (α// .ηαV )2 . (α⊥.ηαV )2 (13) これらの式より,一軸応力状態での応力値.荷重変化量の変換係数α.,α⊥とヌープ圧子とビッカース圧子の無応力下での荷重の比η が既知であれば,式(12)(13)を用いることで,無応力下での基準荷重を用いずに,非等軸な二軸応力場の計測が可能となる. 3.応力算出のために必要な定数の決定 3.1 無応力下の荷重比 まず,ヌープ圧子とビッカース圧子の無応力下における荷重比について検討を行う.供試材料はSM490YB であり,その化学組成と機械的性質はTable 1 に示す通りである.試験片は,初期応力を取り除くために450°C で3 時間の焼鈍を行い,その後表面を機械研磨にて滑らかに仕上げ,研磨による加工層を取り除くために電解研磨を行った.電解研磨は,5%過塩素酸メタノールを用いて, 電流13.84A,電圧61.5V で空冷しながら約7 分ほど行った. Table 1 Chemical compositions (mass%) C Si Mn P S 0.15 0.28 1.43 0.015 0.005 Table 2 Mechanical properties Yield Stress (MPa) Tensile Strength (MPa) Elongation (%) 440 544 26 押込み試験の条件は,最大押込み深さを60μm,押込み速度0.1mm/min とした.また,計測装置の解析の都合上, 除荷回数3 回(20μm 毎),除荷率30%とした.ビッカース圧子,ヌープ圧子を押込んだ際の荷重-変位曲線の実験結果をFig. 3 に示す.図より,各圧子に対して3 回の押込み試験を実施したが,再現性の良いデータが取得できているといえる.また,このときのヌープ圧子とビッカース圧子の荷重比を押込み深さ毎に算出した結果,Fig. 4 に示すように,押込みが浅い10μm を除けばおよそ2.2~2.3 程度の値で安定しており,深さ40 μm では2.32 である. Fig. 3 Load-depth curve obtained in indentation test using Knoop indenter and Vickers indenter Fig. 4 Ratio of indentation load between Knoop indenter and Vickers indenter 3.2 応力と荷重変化量の変換係数 続いて,応力と荷重変化量の変換係数について検討を行う.長さ200mm,幅60mm,板厚19mm の小試験体(SM490YB)に,種々の溶接条件でTIG 溶接にてビードオンプレートを施した.試験体に生じた残留応力分布をX 線応力測定法により評価し,応力状態がほぼ一軸応力状態となっている点を複数点選定してヌープ圧子を用いた押込み試験を実施した.なお,端部効果を受けない試験体中央部においては溶接に伴う残留応力分布は定常分布となっていることを利用して,同じ応力値と見なせる位置に対して押込み試験を5 回実施した.(測定範囲は板長200mm のうち中央60mm であり,十分に定常分布の範囲内と考えられる)また,ビッカース圧子については一軸応力状態である必要性がないので,より広範な条件で測定できるように測定位置を変えて試験を実施した. 押込み深さ40μm として得られた応力値と荷重変化量の関係を示したものをFig. 5 に示す.なお,荷重変化量としては5 回平均した値を用いている.実験値にややばらつきがあるものの,測定点は原点を通る直線上にほぼ乗る傾向を示しており,この直線の傾きが変換係数に対応する.変換係数は圧子の表面積に依存するため,ヌープ圧子の方がビッカース圧子よりも大きい.また,同じヌープ圧子でも,応力方向に対して長軸が垂直である方が対応する表面積が大きくなるため,変換係数が大きい. 以上のように圧子形状に応じた変換係数が求まった. (a) Knoop indenter (α.) (b) Knoop indenter (α⊥) (c) Vickers indenter (αV) Fig. 5 Relation between the value of residual stress and the value of change in load due to residual stress 4.溶接残留応力分布の計測と精度検証 4.1 実験要領 板長250mm,板幅200mm,板厚9,12,19mmn の試験体(SM490YB)に対して,溶接電流200A,溶接速度2mm/s,シールドガスとしてHe ガスを用いたTIG 溶接にてビードオンプレート溶接を施した.板厚に応じて,溶融部の冷却速度が変化し,異なる凝固組織を生じること, また,平均温度上昇が異なること,に起因して残留応力の分布が異なることを想定して条件を設定した.残留応力の測定に際しては,溶接線を中心としておよそ対称形の分布を呈すると考えられるため,片側を圧子押込み法, もう片側をX 線回折法で応力測定することとした.いずれの測定位置に対しても機械研磨,電解研磨により表面性状を整えた. 圧子押込み法による残留応力測定は,溶接線から0,12, 20,30,40,80mm の位置で行った.Fig. 6 に示すように, 幅60mm の範囲内において,ヌープ圧子(並行と垂直方向それぞれ),ビッカース圧子をそれぞれ5回ずつ押込み, その平均値を用いて応力を算出した.押込み試験の条件は,押込み深さを40μm,押込み速度を0.1mm/min とした. また,試験体には溶接に起因する変形が生じているため, クランプによって固定した上で押込み試験を実施した. X 線回折法による残留応力測定は,溶接線から30mm までは2mm 間隔,30mm から50mm までは5mm 間隔, 50mm から90mm までは10mm 間隔で行い,sin2ψ 法により応力を算出した.測定条件はTable 3 に示す通りであり, X 線管球の種類はCr で,電圧40kV,電流40mA,特性X 線はKα 線である.回折面は211 面である. Fig. 6 Stress measurement location for X-ray diffraction method and instrumented indentation technique Table 3 Conditions for X-ray stress measurement Size of collimator, . (mm) 2 Time of count (s) 50(base metal), 100(weld metal) Distortionless 2θ angel 156.4 Oscillation (deg) 3 Ψ angle 0.0, 13.6, 19.5, 24.1, 28.1, 31.8, 35.3, 38.6, 41.8, 45.0 4.2 実験結果および考察 各板厚の試験体に対して残留応力測定を行った結果をFig. 7 に示す.(a)板厚9mm,(b)板厚12mm,(c)板厚19mm の試験体それぞれに対して,X線応力測定結果をline で, 圧子押込み法による応力測定結果をplot で示している. これらの図より,いずれの板厚についても,X 線応力測定結果と圧子押込み法による結果は比較的良く一致しており,分布傾向という点については,両者はとても良く一致しているといえる. 板厚の影響について見てみると,板厚が大きくなるにつれて,溶接線方向(x 方向)の引張応力が生じる幅が小さくなっていることがわかる.これは,板厚の違いによって板幅方向への温度分布の拡がりが変化し,板厚が大きいほど温度上昇範囲が狭まったために,溶接に起因する収縮が生じる範囲も狭まり,その結果として,引張応力が生じる範囲も狭まったためと考えられる.また,板厚が小さい9mm の場合には,板幅方向端部に向かって溶接線方向(x 方向)の応力は,圧縮応力が大きくなる傾向にある.一方で,板厚12mm,19mm の場合にはそういった傾向は見られない.これは,板厚の違いによる平均温度上昇の違いに起因するものであると考えられる. 以上のように,本検討で提案した,無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法を利用した残留応力計測法によって評価された溶接残留応力分布は,X 線応力計測の結果とも良く一致した傾向を示すことが確認できた.さらには,これらの計測された応力分布は一般的に知られている溶接残留応力の分布を呈していることが確認された.したがって,本検討で提案した手法は,溶接残留応力の準非破壊計測手法として十分な精度を有することが示唆された.今後,適用範囲や汎用性に関する追加検討を実施していくことによって,より有用な手法として確立されることが期待される. (a) Plate thickness is 9 mm (b) Plate thickness is 12 mm (c) Plate thickness is 19 mm Fig. 7 Comparison of residual stress distribution between indentation and X-ray diffraction method 5.結論 本検討では,無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による非等軸応力場の準非破壊計測手法を提案し,X 線応力測定との比較を通して,実験的に精度検証を行った.その結果,十分な精度を有した応力計測が可能であることが示された. 参考文献 [1] S. Okano, M. Tanaka and M. Mochizuki, “Arc Physics Based Heat Source Modeling for Numerical Simulation of Weld residual Stress and Distortion ”, Science and Technology of Welding & Joining, Vol. 16, No. 3, pp. 209-214. (2011) [2] 岡野成威,望月正人,“円周多層溶接配管継手内表面における軸方向圧縮残留応力生成のための適正溶接施工条件の検討”,圧力技術,Vol. 48, No. 2, pp. 86-96. -2010[3] 祖山均,芳賀司,“ビッカース圧子を用いたインデンテーション法によるステンレス鋼の残留応力の推定”, 日本機械学会 M&M2006 材料力学カンファレンス講演論文集, pp. 147-148. (2006) [4] Y. H. Lee and D. Kwon, “Estimation of Biaxial Surface Stress by Instrumented Indentation with Sharp Indenters”, Acta Materia, Vol. 52, pp. 1555-1563. (2004) [5] W. C. Pliver and G. M. Pharr, “An Improved Technique for Determining Hardness and Elastic Modulus using Load and Displacement Sensing Indentation Experiments”, Journal of Material Research, Vol. 7, No. 6, pp. 1564-1583. (1992) [6] J. H. Han, J. S. Lee, Y. H. Lee, M. J. Choi, G. Lee, K. H. Kim and D. Kwon, “Residual Stress Estimation with Indentification of Stress Directionality Using Instrumented Indentation Technique”, Key Engineering Materials, Vols. 345-346, pp. 1125-1128. (2007) [7] M. J. Choi, Y. C. Kim, W. S. Song and D. Kwon, “ Nondestructive Measurement of Non-Equibiaxial Welding Residual Stresses using Instrumented Indentation Technique with Knoop Indenter Residual Stress ” , Proceedings of the 2010 ASME Pressure Vessels and Piping Conference, American Society of Mechanical Engineers, Bellevue, Washington, PVP2010-25689. -2010(平成25 年6 月21 日)
“ “無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による非等軸残留応力場の準非破壊計測 “ “岡野 成威,Shigetaka OKANO,望月 正人,Masahito MOCHIZUKI“ “無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による非等軸残留応力場の準非破壊計測 “ “岡野 成威,Shigetaka OKANO,望月 正人,Masahito MOCHIZUKI
構造部材に存在する各種加工に起因する残留応力は, 構造物の経年損傷やそれを起点とした各種破壊をもたらす要因となり得ることから,各種構造物の構造安全性・強度信頼性を確保するためには,構造物に生じている残留応力を適切に考慮した構造設計・評価が重要である. 残留応力の評価技術として,実験計測や数値解析を活用したものが挙げられる.近年では,コンピュータ性能の向上に伴って,数値シミュレーションを活用した取り組みが積極的になされるようになっている[1, 2].一方で, その精度検証なども含めて,残留応力の実験計測技術に対する需要も高まっている.特に,測定対象を非破壊的に計測できることや,測定が簡便で安価であること,さらには測定上の制約が少ないこと,などの特長を有した新しい応力計測技術の構築が望まれている. こうした背景から,近年では,X 線や放射光,中性子を用いた回折法による非破壊応力計測に関する取り組みが積極的になされ,溶接部への適用など実機適用に向けた実績も蓄積されつつある.また,部材内部の応力計測に対しては,従来から広く用いられる応力弛緩法と比較して部材を完全に破壊しないDHD(Deep Hole Drilling) 法のような準破壊的応力計測法も新しく提案され,種々の検討がなされている. 本研究では,インデンテーション法を用いた準非破壊的応力計測法に注目する.インデンテーション法は古くから用いられており,硬さによって測定対象の強度を相対的に評価するものであったが,近年,圧子押込み・除荷中の荷重-深さ曲線を連続的に計測することにより,ヤング率や応力ひずみ曲線,降伏強度の推定などに応用する試みがなされてきている.そうした中で,残留応力の推定に関する取り組みもなされているが,いずれの方法も無応力下での基準荷重を必要とする方法であり,例えば,強機械加工に伴う材料の加工硬化や溶接熱影響部組織に起因する硬化や軟化が生じる場合には,そうした状
態における無応力下での基準荷重が必要となる.すなわち,そのような場合には,測定部を切り出し,応力解放してから再度押込み試験を実施するか,あるいは,各種の加工履歴を受けた材料毎に無応力下での基準荷重をデータベース化しておく必要があると考えられるが,必ずしも現実的ではない. そこで本研究では,複数の形状の異なる圧子を利用することで,無応力下の基準荷重を必要としない圧子押込み法を用いた非等軸応力場の準非破壊計測法を提案した. そして,提案手法によって得られた応力計測結果を,X 線応力測定法により得られた結果と比較することで精度の検証を行った. 2.圧子押込み法を利用した新しい応力計測法の提案 2.1 圧子押込み法による応力計測の基本原理 Fig. 1 に圧子押込み時に得られる荷重-深さ曲線の模式図を示す.図中に示すように,圧子下の応力状態に応じて同じ深さd まで押込むために要する荷重値L は様々に変化する.一般に,圧縮応力が存在する場合には荷重値は大きくなり,引張応力が存在する場合には荷重値は小さくなる.このような荷重値の変化を用いることで,圧子下に存在する応力値を推定することが可能である. Fig. 1 Load-depth curve obtained in indentation test with and without residual stress 2.2 非対称圧子を用いた非等軸応力場計測 溶接残留応力のように非等軸な応力場の場合,ビッカース圧子のような対称形の圧子を用いる限りにおいては, 荷重変化量は平均的な残留応力の影響として現れるため, 二軸応力の分離ができない.そこで,ヌープ圧子のような非対称形の圧子を用いることで,二軸応力場の分離を可能とする応力計測法が提案されている. Fig. 2 はある二軸応力場(σyresよりもσxresの方が大きい場合を想定する)に対して,ヌープ圧子を異なる二方向の角度で押込んだ場合の荷重-変位曲線の模式図である. 図中に示すように,(a)ヌープ圧子の長軸方向をx 方向に合わせて押込んだ場合と,(b)ヌープ圧子の長軸方向をy 方向に合わせて押込んだ場合とでは,無応力下で押込んだ場合と比較した場合の荷重変化量に差が生じることになる.本手法では,この荷重変化量の差を利用して二軸応力の分離を可能にしている.一軸応力場における応力方向と圧子の長軸方向が一致する場合の応力値と荷重変化量の変換係数をα.,応力方向と圧子の短軸方向が一致する場合の応力値と荷重変化量の変換係数をα⊥とすると,二軸応力場に対してヌープ圧子を異なる角度で押込んだ際の荷重変化量ΔL1,ΔL2 は次の加算則によって算出できるものとする. ΔL1 = α.σxres + α⊥σyres (1) ΔL2 = α⊥σxres + α.σyres (2) これらの式をそれぞれσxres,σyresについて整理すると, σxres = (α.ΔL1 - α⊥ΔL2) / (α.2 - α⊥2) (3) σyres = (α.ΔL2 - α⊥ΔL1) / (α.2 - α⊥2) (4) となり,あらかじめ一軸応力状態での変換係数α.,α⊥ を求めておけば,式(3),(4)を用いることで,二軸応力の分離が可能となり,非等軸応力場の計測が可能である. Fig. 2 Load-depth curve obtained in indentation test using Knoop indenter with asymmetric stress field 一方,ビッカース圧子の利用をベースとした別の方法も提案されている[3, 4].材料に生じている二軸応力の比p= σyres / σxresとおくと,各応力σxres,σyresは,無応力下および残留応力下でのビッカース圧子押込み時の荷重L0, Lres とOliver-Pharr[5]による補正を行った真実接触面積Ac を用いて,以下の式で算出できる. σxres = 3/(1+p) . (L0 - Lres)/Ac (5) σyres = p σxres (6) ここで,二軸応力の比p はヌープ圧子を用いて求める. ヌープ圧子を用いた場合の式(1)(2)の比をとると, ΔL1/ΔL2 = (α./ α⊥+p)/{1+(α./ α⊥} p } (7) となる.ここで,α./ α⊥=0.34 でとなることが実験的[6], 解析的[7]にも示されている.したがって,荷重比ΔL1/ΔL2 を実験的に求めることによってp が求まる.これを式(5) に代入することによってσxres が求まり,続いて式(6)よりσyresが求まる. 2.3 基準荷重を必要としない応力計測法の提案 前節までに述べた方法は,いずれも無応力下の荷重を基準として,残留応力が存在することによる荷重の変化量を用いて応力を求める方法である.しかしながら,実際の機械・構造物においては,強機械加工や溶接等の各種熱加工履歴を経た結果として,硬化や軟化が生じている場合が考えられる.また,何らかの事故や災害による損傷や経年的な劣化・損傷を受けた構造物においては, もはや製造時の材料特性を有していない状態にあることも考えられる.このような場合に,上述の方法を用いて応力計測する場合には,切り出して応力解放された小片などを用いて無応力下での荷重値を取得する必要がある. しかしながら,そのような方法は必ずしも現実的でなく, 無応力下での基準荷重を必要としない方法が確立されれば,圧子押込み法を用いた残留応力計測はより有用となることが期待される.そこで本検討では,ヌープ圧子とビッカース圧子を併用することで,無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による残留応力計測法を提案する. 前節で示したヌープ圧子による応力算出の基礎式をビッカース圧子による応力算出の基礎式と併せて改めて式(8)(9)(10)に示す.(ただし,式(8)(9)の左辺は都合により表記を式(1)(2)とは変えてある.) L0 - L1 = α.σxres + α⊥σyres (8) L0 - L2 = α⊥σxres + α.σyres (9) L0’ - LV = αV σxres + αV σyres (10) ここで,式(10)においてヌープ圧子とビッカース圧子の無応力下での荷重値の比としてη= L0 / L0’を用いると, L0 - ηLV = ηαV σxres + ηαV σyres (11) となり,これと式(8)(9)を用いて無応力下の荷重L0を消去して整理すると,σxres,σyres を求める式は,次式(12)(13) のようになる. . σ res x = (L2 .ηLV )(α⊥.ηαV ) . (L1 .ηLV )(α// .ηαV ) (α// .ηαV )2 . (α⊥.ηαV )2 (12) . σ res y = (L1 .ηLV )(α⊥.ηαV ) . (L2 .ηLV )(α// .ηαV ) (α// .ηαV )2 . (α⊥.ηαV )2 (13) これらの式より,一軸応力状態での応力値.荷重変化量の変換係数α.,α⊥とヌープ圧子とビッカース圧子の無応力下での荷重の比η が既知であれば,式(12)(13)を用いることで,無応力下での基準荷重を用いずに,非等軸な二軸応力場の計測が可能となる. 3.応力算出のために必要な定数の決定 3.1 無応力下の荷重比 まず,ヌープ圧子とビッカース圧子の無応力下における荷重比について検討を行う.供試材料はSM490YB であり,その化学組成と機械的性質はTable 1 に示す通りである.試験片は,初期応力を取り除くために450°C で3 時間の焼鈍を行い,その後表面を機械研磨にて滑らかに仕上げ,研磨による加工層を取り除くために電解研磨を行った.電解研磨は,5%過塩素酸メタノールを用いて, 電流13.84A,電圧61.5V で空冷しながら約7 分ほど行った. Table 1 Chemical compositions (mass%) C Si Mn P S 0.15 0.28 1.43 0.015 0.005 Table 2 Mechanical properties Yield Stress (MPa) Tensile Strength (MPa) Elongation (%) 440 544 26 押込み試験の条件は,最大押込み深さを60μm,押込み速度0.1mm/min とした.また,計測装置の解析の都合上, 除荷回数3 回(20μm 毎),除荷率30%とした.ビッカース圧子,ヌープ圧子を押込んだ際の荷重-変位曲線の実験結果をFig. 3 に示す.図より,各圧子に対して3 回の押込み試験を実施したが,再現性の良いデータが取得できているといえる.また,このときのヌープ圧子とビッカース圧子の荷重比を押込み深さ毎に算出した結果,Fig. 4 に示すように,押込みが浅い10μm を除けばおよそ2.2~2.3 程度の値で安定しており,深さ40 μm では2.32 である. Fig. 3 Load-depth curve obtained in indentation test using Knoop indenter and Vickers indenter Fig. 4 Ratio of indentation load between Knoop indenter and Vickers indenter 3.2 応力と荷重変化量の変換係数 続いて,応力と荷重変化量の変換係数について検討を行う.長さ200mm,幅60mm,板厚19mm の小試験体(SM490YB)に,種々の溶接条件でTIG 溶接にてビードオンプレートを施した.試験体に生じた残留応力分布をX 線応力測定法により評価し,応力状態がほぼ一軸応力状態となっている点を複数点選定してヌープ圧子を用いた押込み試験を実施した.なお,端部効果を受けない試験体中央部においては溶接に伴う残留応力分布は定常分布となっていることを利用して,同じ応力値と見なせる位置に対して押込み試験を5 回実施した.(測定範囲は板長200mm のうち中央60mm であり,十分に定常分布の範囲内と考えられる)また,ビッカース圧子については一軸応力状態である必要性がないので,より広範な条件で測定できるように測定位置を変えて試験を実施した. 押込み深さ40μm として得られた応力値と荷重変化量の関係を示したものをFig. 5 に示す.なお,荷重変化量としては5 回平均した値を用いている.実験値にややばらつきがあるものの,測定点は原点を通る直線上にほぼ乗る傾向を示しており,この直線の傾きが変換係数に対応する.変換係数は圧子の表面積に依存するため,ヌープ圧子の方がビッカース圧子よりも大きい.また,同じヌープ圧子でも,応力方向に対して長軸が垂直である方が対応する表面積が大きくなるため,変換係数が大きい. 以上のように圧子形状に応じた変換係数が求まった. (a) Knoop indenter (α.) (b) Knoop indenter (α⊥) (c) Vickers indenter (αV) Fig. 5 Relation between the value of residual stress and the value of change in load due to residual stress 4.溶接残留応力分布の計測と精度検証 4.1 実験要領 板長250mm,板幅200mm,板厚9,12,19mmn の試験体(SM490YB)に対して,溶接電流200A,溶接速度2mm/s,シールドガスとしてHe ガスを用いたTIG 溶接にてビードオンプレート溶接を施した.板厚に応じて,溶融部の冷却速度が変化し,異なる凝固組織を生じること, また,平均温度上昇が異なること,に起因して残留応力の分布が異なることを想定して条件を設定した.残留応力の測定に際しては,溶接線を中心としておよそ対称形の分布を呈すると考えられるため,片側を圧子押込み法, もう片側をX 線回折法で応力測定することとした.いずれの測定位置に対しても機械研磨,電解研磨により表面性状を整えた. 圧子押込み法による残留応力測定は,溶接線から0,12, 20,30,40,80mm の位置で行った.Fig. 6 に示すように, 幅60mm の範囲内において,ヌープ圧子(並行と垂直方向それぞれ),ビッカース圧子をそれぞれ5回ずつ押込み, その平均値を用いて応力を算出した.押込み試験の条件は,押込み深さを40μm,押込み速度を0.1mm/min とした. また,試験体には溶接に起因する変形が生じているため, クランプによって固定した上で押込み試験を実施した. X 線回折法による残留応力測定は,溶接線から30mm までは2mm 間隔,30mm から50mm までは5mm 間隔, 50mm から90mm までは10mm 間隔で行い,sin2ψ 法により応力を算出した.測定条件はTable 3 に示す通りであり, X 線管球の種類はCr で,電圧40kV,電流40mA,特性X 線はKα 線である.回折面は211 面である. Fig. 6 Stress measurement location for X-ray diffraction method and instrumented indentation technique Table 3 Conditions for X-ray stress measurement Size of collimator, . (mm) 2 Time of count (s) 50(base metal), 100(weld metal) Distortionless 2θ angel 156.4 Oscillation (deg) 3 Ψ angle 0.0, 13.6, 19.5, 24.1, 28.1, 31.8, 35.3, 38.6, 41.8, 45.0 4.2 実験結果および考察 各板厚の試験体に対して残留応力測定を行った結果をFig. 7 に示す.(a)板厚9mm,(b)板厚12mm,(c)板厚19mm の試験体それぞれに対して,X線応力測定結果をline で, 圧子押込み法による応力測定結果をplot で示している. これらの図より,いずれの板厚についても,X 線応力測定結果と圧子押込み法による結果は比較的良く一致しており,分布傾向という点については,両者はとても良く一致しているといえる. 板厚の影響について見てみると,板厚が大きくなるにつれて,溶接線方向(x 方向)の引張応力が生じる幅が小さくなっていることがわかる.これは,板厚の違いによって板幅方向への温度分布の拡がりが変化し,板厚が大きいほど温度上昇範囲が狭まったために,溶接に起因する収縮が生じる範囲も狭まり,その結果として,引張応力が生じる範囲も狭まったためと考えられる.また,板厚が小さい9mm の場合には,板幅方向端部に向かって溶接線方向(x 方向)の応力は,圧縮応力が大きくなる傾向にある.一方で,板厚12mm,19mm の場合にはそういった傾向は見られない.これは,板厚の違いによる平均温度上昇の違いに起因するものであると考えられる. 以上のように,本検討で提案した,無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法を利用した残留応力計測法によって評価された溶接残留応力分布は,X 線応力計測の結果とも良く一致した傾向を示すことが確認できた.さらには,これらの計測された応力分布は一般的に知られている溶接残留応力の分布を呈していることが確認された.したがって,本検討で提案した手法は,溶接残留応力の準非破壊計測手法として十分な精度を有することが示唆された.今後,適用範囲や汎用性に関する追加検討を実施していくことによって,より有用な手法として確立されることが期待される. (a) Plate thickness is 9 mm (b) Plate thickness is 12 mm (c) Plate thickness is 19 mm Fig. 7 Comparison of residual stress distribution between indentation and X-ray diffraction method 5.結論 本検討では,無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による非等軸応力場の準非破壊計測手法を提案し,X 線応力測定との比較を通して,実験的に精度検証を行った.その結果,十分な精度を有した応力計測が可能であることが示された. 参考文献 [1] S. Okano, M. Tanaka and M. Mochizuki, “Arc Physics Based Heat Source Modeling for Numerical Simulation of Weld residual Stress and Distortion ”, Science and Technology of Welding & Joining, Vol. 16, No. 3, pp. 209-214. (2011) [2] 岡野成威,望月正人,“円周多層溶接配管継手内表面における軸方向圧縮残留応力生成のための適正溶接施工条件の検討”,圧力技術,Vol. 48, No. 2, pp. 86-96. -2010[3] 祖山均,芳賀司,“ビッカース圧子を用いたインデンテーション法によるステンレス鋼の残留応力の推定”, 日本機械学会 M&M2006 材料力学カンファレンス講演論文集, pp. 147-148. (2006) [4] Y. H. Lee and D. Kwon, “Estimation of Biaxial Surface Stress by Instrumented Indentation with Sharp Indenters”, Acta Materia, Vol. 52, pp. 1555-1563. (2004) [5] W. C. Pliver and G. M. Pharr, “An Improved Technique for Determining Hardness and Elastic Modulus using Load and Displacement Sensing Indentation Experiments”, Journal of Material Research, Vol. 7, No. 6, pp. 1564-1583. (1992) [6] J. H. Han, J. S. Lee, Y. H. Lee, M. J. Choi, G. Lee, K. H. Kim and D. Kwon, “Residual Stress Estimation with Indentification of Stress Directionality Using Instrumented Indentation Technique”, Key Engineering Materials, Vols. 345-346, pp. 1125-1128. (2007) [7] M. J. Choi, Y. C. Kim, W. S. Song and D. Kwon, “ Nondestructive Measurement of Non-Equibiaxial Welding Residual Stresses using Instrumented Indentation Technique with Knoop Indenter Residual Stress ” , Proceedings of the 2010 ASME Pressure Vessels and Piping Conference, American Society of Mechanical Engineers, Bellevue, Washington, PVP2010-25689. -2010(平成25 年6 月21 日)
“ “無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による非等軸残留応力場の準非破壊計測 “ “岡野 成威,Shigetaka OKANO,望月 正人,Masahito MOCHIZUKI“ “無応力下での基準荷重を必要としない圧子押込み法による非等軸残留応力場の準非破壊計測 “ “岡野 成威,Shigetaka OKANO,望月 正人,Masahito MOCHIZUKI