塩化物イオン混入環境におけるすきま腐食抑制技術としての非有害アニオンの効果
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カテゴリ: 第10回
1. 緒言
2011年5月14日16時30分頃、浜岡原子力発電所5号機にて原子炉一次冷却系内に海水が流入する事象が発生した。原子炉は冷温停止に向けて操作中(炉水温度:246℃)であった。復水器細管の損傷部から流入した海水は、給水管や制御棒駆動系を通って原子炉圧力容器内に到達した。事象後の原子炉水の最大Cl-濃度は444ppmであった。その後、原子炉水は浄化が行われ、平成24年7月時点で、社内規程の運転基準濃度である0.5ppmを大きく下回る0.003ppmまで環境改善されていることが確認された[1]。しかし、原子炉圧力容器内に構造上の理由から点検が困難なすきまが存在すれば、そのようなすきまの内部が浄化されているかを確認できない。すきま構造をもつステンレス鋼がCl-を含む水溶液に浸漬されていた場合、すきま腐食が発生する可能性がある。すきま腐食とは、すきまの外部が耐食性を保ったまますきまの内部が選択的に溶出するような腐食の形態である。
すきま腐食が発生すると、外部のCl-がすきま内部に泳動し、内部のCl-濃度がすきま外部よりも高くなる。また、金属の溶出により発生した金属イオンが加水分解することでH+が発生するため、すきま内部のpHが外部よりも低くなる。このため、内部の腐食性は外部より増している。また、すきま内部を直接浄化することが困難なすきまに対してバルク水を浄化することで内部の環境を改善しようとした場合、電位勾配によりCl-にすきま内部へ向かう力が加わっているため、すきま腐食が発生していない場合に比べて内部の環境浄化が困難であると考えられる。
すきま腐食が発生した時、すきまの外部に局部腐食を加速させないアニオン(非有害アニオン)が存在すると、電位勾配によりCl-だけでなく非有害アニオンもすきま内に泳動する。そのためCl-のみが存在する場合よりも、すきま内のCl-濃縮率が低下する。加えて、金属表面に非有害アニオンが吸着することでCl-が金属表面に吸着するのを阻害し、金属の耐食性が向上する。ステンレス鋼の腐食すきま再不動態化電位ER,CREVを[2]、SO42-とMoO42-を添加したCl-溶液中ですきま腐食を発生させた場合について調べた先行研究の結果をFig.1に示した [3]。どちらのアニオンを添加した場合でも添加しなかった場合よりも高い
ER,CREVが得られていて、MoO42-がSO42-と比べて少ない添加量で高いER,CREVとなるという結果が得られている。
本研究では、すきま腐食が発生してCl-が濃縮しているすきま内の水質浄化に関して、非有害アニオンであるNa2MoO4水溶液によるバルク水浄化が、純水のみを用いた場合と比較してどの程度効果的であるかを定量的に明らかにする事を目的とした。
0246810-0.20.00.20.40.60.8 2500ppmCl- 2500ppmCl-+Na2SO4 2500ppmCl-+Na2MoO4E'R. CREV , V vs SCE[SO42-]/[Cl-] or [MoO42-]/[Cl-]
Fig.1 Concentration ratio of [SO42-]/[Cl-] or [MoO42-]/[Cl-] in 2500ppm Cl- simulated seawater vs. E
R,CREV[3]
2.試験方法
2.1試料
供試材にはSUS316を用いた。供試材の組成をTable1に示す。試験片の形状をFig.2に示す。試験片表面は#1000まで湿式研磨を行なった。装置と接続するために試験片上辺に導線をはんだづけし、はんだが液相と触れないように上辺をマスキング材で覆った。試験片の組み立てにはチタン製のボルト、ナットおよびワッシャーを用いた。試験溶液にはCl-濃度が1000ppm (2.82×10-2mol / l)のNaCl水溶液を用いた。試験溶液の温度は60℃とし、N2を通じることで脱気を行なった。NaCl水溶液の希釈には純水とNa2MoO4水溶液を用いた。Na2MoO4水溶液は、添加後のMoO42-とCl-のモル濃度比が、[MoO42-] / [Cl-] == 8 となるように調製した。
Table1 Chemistry composition of sample (wt%)
CSiMnPSNiCrMoFeSUS3160.050.450.870.0250.00110.0816.132.10Bal
Fig0.2Schematic illustration of specimen
22方法
手順の模式図をFig.3に示す。以下の手順で試験を行なった。-1試験片の電流値が20μAになるまで試験片の電位を30mV/minで掃引した。-220μAで5時間定電流保持し、すきま腐食を成長させた。(3)試験片の電位が-50mVSCEになるまで10mV/minで電位を掃引し、-50 mVSCEで定電位保持を行った。-3定電位保持を行いながら試験溶液に純水を注入し Cl-濃度を下げた。(4)20時間の間に電流値の上昇が見られるようならば更に純水を注入してCl-濃度を下げた。(5)20時間の間に電流値の上昇が見られなくなったとき、すきま内部が再不動態化したと判断した。この時のCl-濃度を再不動態化臨界Cl-濃度(CR,CREV)とし、これを求めた[4]。純水の代わりにNa2MoO4水溶液を注入する場合でも同様な試験を行ない、CR,CREVを調べた。
Fig.3Schematic of controlling the electrode potential and the current, Cl- concentration
3.試験結果および考察
純水で希釈した試験の結果をFig.4に示す。Cl-濃度を80ppmまで下げた時でも電流値の上昇が確認されたため、80ppmでは再不動態化していないと考えられる。Na2MoO4水溶液で希釈した試験の結果をFig.5に示す。Cl-濃度を1.69×10-2mol / l (600ppm)まで希釈した時には再不動態化していたと考えられる。Na2MoO4水溶液で希釈した場合、純水での希釈と比べて高いCl-濃度で再不動態化することがわかる。これらの結果より、純水での浄化に比べてNa2MoO4水溶液でバルク水を浄化することはすきま内の環境改善効果が高いと考えられる。
020406080100-200-1000100200300[Cl-]Anode currentPotentialTime, hPotential,mV vs SCE / Anode current, μA02004006008001000[Cl-] , ppm
Fig.4The change with time of the current and potential when purified with pure water
Fig.5The change with time of the current and potential when purified with Na2MoO4
4.結言
Cl-を含む水溶液中で予めすきま腐食を発生させたSUS316を一定の電位で保持し、すきま外部の水溶液を純水で希釈した場合とNa2MoO4水溶液で希釈した場合のすきま腐食が成長を停止するCl-濃度を調べた結果、Na2MoO4水溶液で希釈した場合のほうが高いCl-濃度ですきま腐食が停止することがわかった。このことから、バルク水を浄化するとき、MoO42-を含む水溶液により浄化した場合のほうが純水で浄化した場合よりもすきま内の環境改善効果が高いと考えられる。
参考文献
[1] 中部電力株式会社、 “浜岡原子力発電所5号機復水器細管損傷事象に伴う原子炉施設への影響について”、 http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/38 /02019/01/01-2-1.pdf、 2012
[2] “JIS G 0592 ステンレス鋼の腐食すきま再不動態化電位測定方法”、 2002
[3] 渡邉豊、帆加利翔太、 “未発表資料”、 2011
[4] 中津美智代、 野村光司、 深谷祐一、 篠原正、 “13Crステンレス鋼製部品ヘルドの腐食すきま再不動態化臨界塩化物イオン濃度測定”、 材料と環境、 Vol.56、 №7、 2007、 pp.309-313.
(平成25年6月21日)
“ “塩化物イオン混入環境におけるすきま腐食抑制技術としての非有害アニオンの効果 “ “関口 智大,Tomohiro SEKIGUCHI,渡邉 豊,Yutaka WATANABE“ “塩化物イオン混入環境におけるすきま腐食抑制技術としての非有害アニオンの効果 “ “関口 智大,Tomohiro SEKIGUCHI,渡邉 豊,Yutaka WATANABE
2011年5月14日16時30分頃、浜岡原子力発電所5号機にて原子炉一次冷却系内に海水が流入する事象が発生した。原子炉は冷温停止に向けて操作中(炉水温度:246℃)であった。復水器細管の損傷部から流入した海水は、給水管や制御棒駆動系を通って原子炉圧力容器内に到達した。事象後の原子炉水の最大Cl-濃度は444ppmであった。その後、原子炉水は浄化が行われ、平成24年7月時点で、社内規程の運転基準濃度である0.5ppmを大きく下回る0.003ppmまで環境改善されていることが確認された[1]。しかし、原子炉圧力容器内に構造上の理由から点検が困難なすきまが存在すれば、そのようなすきまの内部が浄化されているかを確認できない。すきま構造をもつステンレス鋼がCl-を含む水溶液に浸漬されていた場合、すきま腐食が発生する可能性がある。すきま腐食とは、すきまの外部が耐食性を保ったまますきまの内部が選択的に溶出するような腐食の形態である。
すきま腐食が発生すると、外部のCl-がすきま内部に泳動し、内部のCl-濃度がすきま外部よりも高くなる。また、金属の溶出により発生した金属イオンが加水分解することでH+が発生するため、すきま内部のpHが外部よりも低くなる。このため、内部の腐食性は外部より増している。また、すきま内部を直接浄化することが困難なすきまに対してバルク水を浄化することで内部の環境を改善しようとした場合、電位勾配によりCl-にすきま内部へ向かう力が加わっているため、すきま腐食が発生していない場合に比べて内部の環境浄化が困難であると考えられる。
すきま腐食が発生した時、すきまの外部に局部腐食を加速させないアニオン(非有害アニオン)が存在すると、電位勾配によりCl-だけでなく非有害アニオンもすきま内に泳動する。そのためCl-のみが存在する場合よりも、すきま内のCl-濃縮率が低下する。加えて、金属表面に非有害アニオンが吸着することでCl-が金属表面に吸着するのを阻害し、金属の耐食性が向上する。ステンレス鋼の腐食すきま再不動態化電位ER,CREVを[2]、SO42-とMoO42-を添加したCl-溶液中ですきま腐食を発生させた場合について調べた先行研究の結果をFig.1に示した [3]。どちらのアニオンを添加した場合でも添加しなかった場合よりも高い
ER,CREVが得られていて、MoO42-がSO42-と比べて少ない添加量で高いER,CREVとなるという結果が得られている。
本研究では、すきま腐食が発生してCl-が濃縮しているすきま内の水質浄化に関して、非有害アニオンであるNa2MoO4水溶液によるバルク水浄化が、純水のみを用いた場合と比較してどの程度効果的であるかを定量的に明らかにする事を目的とした。
0246810-0.20.00.20.40.60.8 2500ppmCl- 2500ppmCl-+Na2SO4 2500ppmCl-+Na2MoO4E'R. CREV , V vs SCE[SO42-]/[Cl-] or [MoO42-]/[Cl-]
Fig.1 Concentration ratio of [SO42-]/[Cl-] or [MoO42-]/[Cl-] in 2500ppm Cl- simulated seawater vs. E
R,CREV[3]
2.試験方法
2.1試料
供試材にはSUS316を用いた。供試材の組成をTable1に示す。試験片の形状をFig.2に示す。試験片表面は#1000まで湿式研磨を行なった。装置と接続するために試験片上辺に導線をはんだづけし、はんだが液相と触れないように上辺をマスキング材で覆った。試験片の組み立てにはチタン製のボルト、ナットおよびワッシャーを用いた。試験溶液にはCl-濃度が1000ppm (2.82×10-2mol / l)のNaCl水溶液を用いた。試験溶液の温度は60℃とし、N2を通じることで脱気を行なった。NaCl水溶液の希釈には純水とNa2MoO4水溶液を用いた。Na2MoO4水溶液は、添加後のMoO42-とCl-のモル濃度比が、[MoO42-] / [Cl-] == 8 となるように調製した。
Table1 Chemistry composition of sample (wt%)
CSiMnPSNiCrMoFeSUS3160.050.450.870.0250.00110.0816.132.10Bal
Fig0.2Schematic illustration of specimen
22方法
手順の模式図をFig.3に示す。以下の手順で試験を行なった。-1試験片の電流値が20μAになるまで試験片の電位を30mV/minで掃引した。-220μAで5時間定電流保持し、すきま腐食を成長させた。(3)試験片の電位が-50mVSCEになるまで10mV/minで電位を掃引し、-50 mVSCEで定電位保持を行った。-3定電位保持を行いながら試験溶液に純水を注入し Cl-濃度を下げた。(4)20時間の間に電流値の上昇が見られるようならば更に純水を注入してCl-濃度を下げた。(5)20時間の間に電流値の上昇が見られなくなったとき、すきま内部が再不動態化したと判断した。この時のCl-濃度を再不動態化臨界Cl-濃度(CR,CREV)とし、これを求めた[4]。純水の代わりにNa2MoO4水溶液を注入する場合でも同様な試験を行ない、CR,CREVを調べた。
Fig.3Schematic of controlling the electrode potential and the current, Cl- concentration
3.試験結果および考察
純水で希釈した試験の結果をFig.4に示す。Cl-濃度を80ppmまで下げた時でも電流値の上昇が確認されたため、80ppmでは再不動態化していないと考えられる。Na2MoO4水溶液で希釈した試験の結果をFig.5に示す。Cl-濃度を1.69×10-2mol / l (600ppm)まで希釈した時には再不動態化していたと考えられる。Na2MoO4水溶液で希釈した場合、純水での希釈と比べて高いCl-濃度で再不動態化することがわかる。これらの結果より、純水での浄化に比べてNa2MoO4水溶液でバルク水を浄化することはすきま内の環境改善効果が高いと考えられる。
020406080100-200-1000100200300[Cl-]Anode currentPotentialTime, hPotential,mV vs SCE / Anode current, μA02004006008001000[Cl-] , ppm
Fig.4The change with time of the current and potential when purified with pure water
Fig.5The change with time of the current and potential when purified with Na2MoO4
4.結言
Cl-を含む水溶液中で予めすきま腐食を発生させたSUS316を一定の電位で保持し、すきま外部の水溶液を純水で希釈した場合とNa2MoO4水溶液で希釈した場合のすきま腐食が成長を停止するCl-濃度を調べた結果、Na2MoO4水溶液で希釈した場合のほうが高いCl-濃度ですきま腐食が停止することがわかった。このことから、バルク水を浄化するとき、MoO42-を含む水溶液により浄化した場合のほうが純水で浄化した場合よりもすきま内の環境改善効果が高いと考えられる。
参考文献
[1] 中部電力株式会社、 “浜岡原子力発電所5号機復水器細管損傷事象に伴う原子炉施設への影響について”、 http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/38 /02019/01/01-2-1.pdf、 2012
[2] “JIS G 0592 ステンレス鋼の腐食すきま再不動態化電位測定方法”、 2002
[3] 渡邉豊、帆加利翔太、 “未発表資料”、 2011
[4] 中津美智代、 野村光司、 深谷祐一、 篠原正、 “13Crステンレス鋼製部品ヘルドの腐食すきま再不動態化臨界塩化物イオン濃度測定”、 材料と環境、 Vol.56、 №7、 2007、 pp.309-313.
(平成25年6月21日)
“ “塩化物イオン混入環境におけるすきま腐食抑制技術としての非有害アニオンの効果 “ “関口 智大,Tomohiro SEKIGUCHI,渡邉 豊,Yutaka WATANABE“ “塩化物イオン混入環境におけるすきま腐食抑制技術としての非有害アニオンの効果 “ “関口 智大,Tomohiro SEKIGUCHI,渡邉 豊,Yutaka WATANABE