放射線理解のための霧箱の活用
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カテゴリ: 第10回
1.はじめに
日常生活は高度に発達した科学技術に支えられて成り立っているが、しくみや原理について意識することはほとんどない。分子・原子レベルの挙動について考えることもなく、同様に、放射線について意識する必要もない。そのため、日常生活を支えるしくみ・原理、分子・原子レベルでの挙動、あるいは放射線について、いざ理解しようとするとなかなか困難なことである。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故をきっかけに、放射線による人体への影響についての関心が高まった。 しかし、放射線について理解するのは容易なことではないことから、「放射線」(あるいは放射線を発生する「原子力」)と聞くと「なんとなく怖い」という印象をもってしまう。 そのため、「放射線の特徴はどういうものであるか」とか、「放射線による人体への影響はどうなのか」ということを科学的に正しく理解することの重要性がますます高まってきている。 このような状況から、人々が放射線について正しく理解するにはどうしたらよいかという研究を開始した。 1936年にLangsdorf, A. Jr. が開発して以来長期間使用されている拡散型霧箱は、容器の中を過飽和状態のアルコールの気体で充満させ、放射線が通過することにより励起された粒子にアルコールの粒が凝集し飛跡となって見えるものである。 本研究では、この拡散型霧箱の側面に穴を空け、そこから放射線源を挿入することにより、様々な種類・エネルギーの放射線を観測できるようにした。また、様々な材質の遮へい材を挿入することにより、遮へい効果も観測できるようにした。 このように霧箱を用いることにより、放射線の「見える化」を行うとともに、実際にこの霧箱での様子をみてもらうデモンストレーションを実施した。本論文では、放射線の「見える化」とデモンストレーションの結果を報告する。
2.霧箱の製作 今回改良した霧箱は、縦横とも225mm、高さ100mm、側面は5mm厚さのアクリル板であり、底面は熱伝導性を良くするため厚さ3mmの銅板を敷き、その下には冷却源として1kgのドライアイスを20mmの厚さで敷きつめた。ドライアイスの下と霧箱の側面を5cm厚さの発砲スチロールで覆い、300ccのエタノールを過冷却材として用いた。 このような装置で過冷却層30mm程度を生成することができ、また過冷却状態を数時間維持することができた。 また、コントラストを強調し飛跡が見えやすくなるように、霧箱内の内面に植毛紙を貼りつけた。 放射線源および遮へい材を霧箱内に挿入できるように、側面に幅6mm、高さ25mmの長方形の穴を3か所開けた。これらの穴から空気の流出を防止するため、通常時は植毛紙で穴を覆い、放射線源や遮へい材を挿入するときだけ植毛紙を巻き上げられるようにした。霧箱内に植毛紙を立たせ、霧箱内の空間を2分できるようにした。飛跡を照らすことができるように、一辺の上面に一列にLED照明を配置した。また、水蒸気が付着しないように、霧箱の上面はヒーター付のガラス板とした。 霧箱の外観と構造を図1および図2に示す。 図1 製作した霧箱 図2 霧箱の構造 3.霧箱内の飛跡 3.1 β線とX/γ線 放射線が霧箱内に入ると気体分子はイオン化されて電子を放出する。過飽和状態の気体分子はイオンに引き寄せられて集合し、水滴が発生する。たくさんの水滴が雲となり、雲のつながりが飛跡として観測できる。 2.8kBqのAm-241線源を霧箱側面の穴から挿入したところ、約10mmの飛跡が観測できた。これはAm-241線源からの59.5keVのγ線の大気圧における空気中の飛跡長さと一致した。 Fe-55線源を霧箱に挿入した時の飛跡を図3に示す。Fe-55からは5.9keVのX線が放出され、大気圧の空気中の飛跡長さは1mmと計算される。図3の飛跡から計算結果と一致した。 Cs-137線源から主に放出されるγ線は662keVであり、この場合は今回開発した霧箱を貫通してしまう。線源を霧箱外に設置した場合でも同様に貫通することが確認できた(図4)。 図3 Fe-55線源からの5.9keV X線による飛跡 図4 Cs-137線源からの662keV γ線による飛跡 3.2 α線 α粒子の飛跡を確認するためにTh-232を含むランタンのマントルを用いたTh-232は数回の壊変によりRn-220になる。Rn-220は55.6秒の半減期でPo-216に壊変し、Po-216は半減期0.145秒でPb-212に壊変する。Po-216の半減期は非常に短く、Rn-220とPo-216から放出されるα線は約6MeVとほぼ等しいことから、図5のような飛跡を観測することができた。飛跡長さは5~6cmであり、またα線のLET(線エネルギー付与)が大きいことから、飛跡はβ線のものより太いことがわかる。 図5 Th-232を含むランタンからのα線による飛跡 表1 遮へい材によるγ(X)線の透過割合 4.遮へい効果 4.1 X線とγ線 遮へい効果を分かるようにするため、0.5、1および50mm厚さの鉛板と0.5mm厚さの紙を用いた。これらの遮へいに対する透過率を表1に示す。 側面に挿入用の穴を開けた霧箱内に放射線源と遮へい材を挿入した。図6(a)にFe-55の5.9keVのX線の飛跡を示す。図6(b)は追加で鉛板を挿入した場合の状態であり、飛跡は見えなくなっていることがわかる。 Am-241からの59.5keVのγ線の場合は、0.5mm厚さの鉛板では飛跡の数が減少し、1mm厚さの鉛板の場合飛跡はほとんど観測できなかった。 材質 厚さ (mm) Fe-55 X(5.9keV) Am-241 γ(59.5keV) Cs-137 γ(662keV) 紙 0.50.250.9921鉛 0.5- 0.0620.94鉛 1- 0.00380.88鉛 50- - 0.002(a)遮へいなし (b)遮へいあり 図6 Fe-55の5.9keV X線の遮へい効果 4.2 α線 α粒子に対する遮へい効果を確認するため、霧箱内の空間を2分するように植毛紙を立てかけた。右側の空間にマントルを挿入した際に左側の空間には観測されなかった(図7)。これは、約6MeVのα線は、数百μm厚さの紙を貫通できないことを意味する。 図7 α線に対する遮へい効果 5.デモンストレーション 電離箱を用いた放射線の理解と教育的効果を調べるため、広報施設のコンパニオンを対象にデモンストレーションを実施した。はじめに放射線の特徴と霧箱にて飛跡が生成するメカニズムについて説明し、その後照度30ルクスにて霧箱の飛跡を観測した。霧箱は縦横各20cm程度であるため一度に2~3名で観測した。 4章にて記載したとおり、α・β・γ/X線の種類、γ/X線の様々なエネルギーの飛跡、および遮へい効果についてデモンストレーションを実施した。参加者32名のうち23名は霧箱での観測はしたことがあるが、霧箱での遮へい効果についての経験はひとりもなかった。 デモンストレーション終了後、霧箱での飛跡の観測を5段階(非常によく見えた、よく見えた、見えた、あまり見えなかった、全く見えなかった)で評価してもらった。 その結果、27名は非常によく見えたと回答し、4名はよく見えたとの回答であった。また、24名は放射線の種類と特徴がよくわかったと自由記述欄に記載した。 なお、遮へい効果を確認できる他の方法としては、GM管の音を用いる方法がある。GM管と放射性物質の間に遮へい材を入れた時にモニタ音の変化で遮へい効果がわかる。しかし、霧箱で飛跡の数が増減する方が、より直接的であり遮へい効果を理解しやすいといえる。そのため、霧箱を用いることは放射線の特徴を直感的に理解するのによい方法であるといえる。 6.まとめと今後の計画 放射線源や遮へい材を挿入できる新しい拡散型霧箱を開発し、様々な種類の放射線の飛跡や遮へい効果を飛跡の変化にて具体的に見えるようにした。また、デモンストレーションを行い、霧箱は放射線を直感的に理解するのに適切なツールになりえることがわかった。 今後は、今回開発した霧箱を更に発展させ、より多数の人が同時に飛跡を観測できるように大型化するとともに、飛跡がよりはっきり見えるようにコントラストを強調し、また過冷却状態を安定にできるように改良する計画である。 また、放射線による人体への影響を理解できるようにするため、霧箱を用いた物理的現象をもとに、人体での化学的・生物学的なメカニズムがわかるシステムを開発する計画である。最終的には、一般の人が放射線による量的な評価やリスク比較についてわかりやすく理解できるようにしていきたいと考えている。 参考文献 [1] Langsdorf, A.. Jr., Rev. Sci. Instrum., 10, 91(1939); doi: 10.1063/1.1751494. [2] Ichiro TODA, How to teach radiation by a cloud chamber, JAERI-Conf 2005-001, pp559-561 (平成25年6月27日)
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日常生活は高度に発達した科学技術に支えられて成り立っているが、しくみや原理について意識することはほとんどない。分子・原子レベルの挙動について考えることもなく、同様に、放射線について意識する必要もない。そのため、日常生活を支えるしくみ・原理、分子・原子レベルでの挙動、あるいは放射線について、いざ理解しようとするとなかなか困難なことである。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故をきっかけに、放射線による人体への影響についての関心が高まった。 しかし、放射線について理解するのは容易なことではないことから、「放射線」(あるいは放射線を発生する「原子力」)と聞くと「なんとなく怖い」という印象をもってしまう。 そのため、「放射線の特徴はどういうものであるか」とか、「放射線による人体への影響はどうなのか」ということを科学的に正しく理解することの重要性がますます高まってきている。 このような状況から、人々が放射線について正しく理解するにはどうしたらよいかという研究を開始した。 1936年にLangsdorf, A. Jr. が開発して以来長期間使用されている拡散型霧箱は、容器の中を過飽和状態のアルコールの気体で充満させ、放射線が通過することにより励起された粒子にアルコールの粒が凝集し飛跡となって見えるものである。 本研究では、この拡散型霧箱の側面に穴を空け、そこから放射線源を挿入することにより、様々な種類・エネルギーの放射線を観測できるようにした。また、様々な材質の遮へい材を挿入することにより、遮へい効果も観測できるようにした。 このように霧箱を用いることにより、放射線の「見える化」を行うとともに、実際にこの霧箱での様子をみてもらうデモンストレーションを実施した。本論文では、放射線の「見える化」とデモンストレーションの結果を報告する。
2.霧箱の製作 今回改良した霧箱は、縦横とも225mm、高さ100mm、側面は5mm厚さのアクリル板であり、底面は熱伝導性を良くするため厚さ3mmの銅板を敷き、その下には冷却源として1kgのドライアイスを20mmの厚さで敷きつめた。ドライアイスの下と霧箱の側面を5cm厚さの発砲スチロールで覆い、300ccのエタノールを過冷却材として用いた。 このような装置で過冷却層30mm程度を生成することができ、また過冷却状態を数時間維持することができた。 また、コントラストを強調し飛跡が見えやすくなるように、霧箱内の内面に植毛紙を貼りつけた。 放射線源および遮へい材を霧箱内に挿入できるように、側面に幅6mm、高さ25mmの長方形の穴を3か所開けた。これらの穴から空気の流出を防止するため、通常時は植毛紙で穴を覆い、放射線源や遮へい材を挿入するときだけ植毛紙を巻き上げられるようにした。霧箱内に植毛紙を立たせ、霧箱内の空間を2分できるようにした。飛跡を照らすことができるように、一辺の上面に一列にLED照明を配置した。また、水蒸気が付着しないように、霧箱の上面はヒーター付のガラス板とした。 霧箱の外観と構造を図1および図2に示す。 図1 製作した霧箱 図2 霧箱の構造 3.霧箱内の飛跡 3.1 β線とX/γ線 放射線が霧箱内に入ると気体分子はイオン化されて電子を放出する。過飽和状態の気体分子はイオンに引き寄せられて集合し、水滴が発生する。たくさんの水滴が雲となり、雲のつながりが飛跡として観測できる。 2.8kBqのAm-241線源を霧箱側面の穴から挿入したところ、約10mmの飛跡が観測できた。これはAm-241線源からの59.5keVのγ線の大気圧における空気中の飛跡長さと一致した。 Fe-55線源を霧箱に挿入した時の飛跡を図3に示す。Fe-55からは5.9keVのX線が放出され、大気圧の空気中の飛跡長さは1mmと計算される。図3の飛跡から計算結果と一致した。 Cs-137線源から主に放出されるγ線は662keVであり、この場合は今回開発した霧箱を貫通してしまう。線源を霧箱外に設置した場合でも同様に貫通することが確認できた(図4)。 図3 Fe-55線源からの5.9keV X線による飛跡 図4 Cs-137線源からの662keV γ線による飛跡 3.2 α線 α粒子の飛跡を確認するためにTh-232を含むランタンのマントルを用いたTh-232は数回の壊変によりRn-220になる。Rn-220は55.6秒の半減期でPo-216に壊変し、Po-216は半減期0.145秒でPb-212に壊変する。Po-216の半減期は非常に短く、Rn-220とPo-216から放出されるα線は約6MeVとほぼ等しいことから、図5のような飛跡を観測することができた。飛跡長さは5~6cmであり、またα線のLET(線エネルギー付与)が大きいことから、飛跡はβ線のものより太いことがわかる。 図5 Th-232を含むランタンからのα線による飛跡 表1 遮へい材によるγ(X)線の透過割合 4.遮へい効果 4.1 X線とγ線 遮へい効果を分かるようにするため、0.5、1および50mm厚さの鉛板と0.5mm厚さの紙を用いた。これらの遮へいに対する透過率を表1に示す。 側面に挿入用の穴を開けた霧箱内に放射線源と遮へい材を挿入した。図6(a)にFe-55の5.9keVのX線の飛跡を示す。図6(b)は追加で鉛板を挿入した場合の状態であり、飛跡は見えなくなっていることがわかる。 Am-241からの59.5keVのγ線の場合は、0.5mm厚さの鉛板では飛跡の数が減少し、1mm厚さの鉛板の場合飛跡はほとんど観測できなかった。 材質 厚さ (mm) Fe-55 X(5.9keV) Am-241 γ(59.5keV) Cs-137 γ(662keV) 紙 0.50.250.9921鉛 0.5- 0.0620.94鉛 1- 0.00380.88鉛 50- - 0.002(a)遮へいなし (b)遮へいあり 図6 Fe-55の5.9keV X線の遮へい効果 4.2 α線 α粒子に対する遮へい効果を確認するため、霧箱内の空間を2分するように植毛紙を立てかけた。右側の空間にマントルを挿入した際に左側の空間には観測されなかった(図7)。これは、約6MeVのα線は、数百μm厚さの紙を貫通できないことを意味する。 図7 α線に対する遮へい効果 5.デモンストレーション 電離箱を用いた放射線の理解と教育的効果を調べるため、広報施設のコンパニオンを対象にデモンストレーションを実施した。はじめに放射線の特徴と霧箱にて飛跡が生成するメカニズムについて説明し、その後照度30ルクスにて霧箱の飛跡を観測した。霧箱は縦横各20cm程度であるため一度に2~3名で観測した。 4章にて記載したとおり、α・β・γ/X線の種類、γ/X線の様々なエネルギーの飛跡、および遮へい効果についてデモンストレーションを実施した。参加者32名のうち23名は霧箱での観測はしたことがあるが、霧箱での遮へい効果についての経験はひとりもなかった。 デモンストレーション終了後、霧箱での飛跡の観測を5段階(非常によく見えた、よく見えた、見えた、あまり見えなかった、全く見えなかった)で評価してもらった。 その結果、27名は非常によく見えたと回答し、4名はよく見えたとの回答であった。また、24名は放射線の種類と特徴がよくわかったと自由記述欄に記載した。 なお、遮へい効果を確認できる他の方法としては、GM管の音を用いる方法がある。GM管と放射性物質の間に遮へい材を入れた時にモニタ音の変化で遮へい効果がわかる。しかし、霧箱で飛跡の数が増減する方が、より直接的であり遮へい効果を理解しやすいといえる。そのため、霧箱を用いることは放射線の特徴を直感的に理解するのによい方法であるといえる。 6.まとめと今後の計画 放射線源や遮へい材を挿入できる新しい拡散型霧箱を開発し、様々な種類の放射線の飛跡や遮へい効果を飛跡の変化にて具体的に見えるようにした。また、デモンストレーションを行い、霧箱は放射線を直感的に理解するのに適切なツールになりえることがわかった。 今後は、今回開発した霧箱を更に発展させ、より多数の人が同時に飛跡を観測できるように大型化するとともに、飛跡がよりはっきり見えるようにコントラストを強調し、また過冷却状態を安定にできるように改良する計画である。 また、放射線による人体への影響を理解できるようにするため、霧箱を用いた物理的現象をもとに、人体での化学的・生物学的なメカニズムがわかるシステムを開発する計画である。最終的には、一般の人が放射線による量的な評価やリスク比較についてわかりやすく理解できるようにしていきたいと考えている。 参考文献 [1] Langsdorf, A.. Jr., Rev. Sci. Instrum., 10, 91(1939); doi: 10.1063/1.1751494. [2] Ichiro TODA, How to teach radiation by a cloud chamber, JAERI-Conf 2005-001, pp559-561 (平成25年6月27日)
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