回折斑点追跡法によるオーステナイト系ステンレス鋼の溶接残留応力の評価
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カテゴリ: 第11回
1. 緒 言
材料内部の実応力の測定法として、高エネルギー放射光を用いるひずみスキャニング法が確立し、等方均質な多結晶体の応力測定法として利用されている[1] 。しかし、粗大粒においては回折が連続環でなく斑点となるために、0 次元検出器を利用するひずみスキャニング法は、粗大粒の応力測定に用いることができない。その解決策として、著者らは材料内部の回折を2 次元検出器で測定する回転スリットを開発した[2] 。さらに、回折斑点追跡法(DSTM: diffraction spot trace method) を提案した[2] 。DSTM は、これまで困難とされてきた粗大粒を持つ材料の残留応力測定法として期待されている[3] 。今後、DSTM の適用例が増えることで、DSTM の普及するものと思われる。溶接は、溶接部材に残留応力を発生させるだけでなく、凝固組織や粒成長を引き起こす。そのため、溶接材はX線法による応力測定の困難材として避けてきた。著者らは、マグネシウム合金の溶接残留応力の評価にDSTM を適用して良好な結果を得ており[4] 、DSTM は溶接材の内部残留応力測定法として有力な手法であることを実証した。マグネシウムは軽金属のために、30 keV の放射光X 線で十分な透過力を得ることができ、計数型2 次元検出器(PILATUS) の検出効率も高い。一方、オーステナイト系ステンレス鋼においては、30 keV の放射光X線では透過力が得られない。ゆえに、オーステナイト系ステンレス鋼に対しては、より高エネルギーの70 keV 相当の放射光X線を利用する必要がある。しかし、検出器PILATUS は、70 keV のX線に対して計数効率が非常に低い難点を持つ。本研究では、70 keV レベルの高エネルギー領域におけるDSTM の有効性を実際に検証するために、板厚9 mm のオーステナイト系ステンレス鋼の溶接材の内部残留応力を測定した結果について報告する。
2. 実験方法
2.1 溶接試験片試験片の材料は、母材(SUS316L) および溶接ワイヤー(Y316L) の両方ともオーステナイト系ステンレス鋼を用いた。図1 (a) に溶接試験片の外観を示す。板厚9mm、幅100 mm、長さ100 mmの平板を製作し、図1 (b) に示すように、その平板の中央に深さ7 mm、幅6 mm、半径3 mm のU 溝開先加工を施した後、ひずみ取りのために1173 K、1 hr の焼鈍を行った。突き合わせでなくU 溝開先の平板に溶接をしたのは、溶接部の試験片の板厚が理想的な平面になるようにするためである。さらに、変形を拘束するために試験体を固定して溶接した。U 溝開先に3 パスにより溶接を施して、ほぼ開先の溝を覆うように肉盛りした。溶接方法はTIG 溶接を用い、その条件を表1 に示す。溶接始端および終端部は溶接部が板厚よりも低い凹状態になっているが、溶接部全体は外観を見てもきれいで、平坦でなだらかに凸状態で板厚よりごくわずか厚めである。なお、応力とひずみの方向を本研究では、溶接線垂直方向をT (tansverse)、溶接線方向をL (longi- - 287 -Table 1. Welding conditions. Current Voltage Torch speed Wire feed Interpass Pass (A) (V) (mm/s) rate (g/s) temperature (K) 1st 120 10 1.5 0.103 305 2nd 150 10 1.5 0.147 315 3rd 150 10 1.5 0.147 340 (a) Welding specimen 937(b) Shape of U-notch Fig. 1. Welding specimen. tudinal) で表す(図1 (a) を参照)。2.2 回折斑点追跡法本実験においては、シンクロトロン放射光の挿入光源を利用し、高エネルギーX線の強い透過力により板厚9 mm のステンレス鋼の透過させ、内部ひずみを測定する。図2 に示すように透過するX線からゲージ体積の回折のみを2 次元検出器に到達させるには、曲線スリットのある回転円板を2 枚用意し、それらが互いに相似形であり、かつ同一軸上で回転させればよい。本実験では、アルキメデス螺旋を持つ回転スリットを用いた。スリット幅は0.2 mm でスリットの切り出し角度は回折角2 q と等しくなるように製作した改良型回転スリットを用いた。ちなみに、g-Fe の311 回折(2 q = 9.36.) に対して、ゲージ体積の長さは2.4 mm となる。オーステナイト系ステンレス鋼の粗大粒および溶接X-ray Sample 2q Gauge volume Slit x y z 2D detector A B Rotating slit Fig. 2. Rotating slit-system. X-ray A B C Scanning ABC Gauge volume Specimen grain Rotating slit PILATUS L0 h z1 z2 z3 z z2 1 z3 2! 2! Intensity A B C Determination of 2! and depth z Fig. 3. Diffraction spot trace method. 金属の凝固組織のために、回折環が斑点状になることから、内部ひずみ測定方法は回折斑点追跡法(DSTM) を用いることにした。DSTM の原理を図3 に示す。図3 左側のように、溶接試験片をステージに載せ、X線の光軸方向にスキャニングすることを考える。ゲージ体積に粗大粒が入り始めるに従い、X線強度が大きくなる。やがて粗大粒がケージ体積の中心に位置すると回折斑点の強度は最大を示す。その後、粗大粒がゲージ体積から抜けはじめ、回折強度が低下して、やがて回折斑点は消えて行く。一方、回折角度については、スキャニングに伴い粗大粒の回折中心がゲージ体積中を移動するので、ゲージ体積の中心から計算される回折角(2 q = arctan(h/L0) は、スキャニングに伴いシフトする。スキャニングによる回折角2 q とX線強度の関係は、図3 の右側のような挙動をとる。粗大粒の格子面間隔d を与える真の回折角2 q は、回折強度の変化を放物近似した頂点の位置における回折角度を用いる。以上の方法がDSTMである。DSTM においてはスキャニングしながら回折像を測- 288 -Fig. 4. Residual stress measurement of welding specimen using DSTM. 定し、逐次、回折強度と回折角を追跡するので、イメージングプレートのように読み取りと測定をその都度行うよりも、その場測定ができる2 次元検出器がふさわしい。また、PILATUS はエネルギー分解能が高く、バックグラウンドが低いため、弱いシグナルでもs/n 比の高い計測が実現できる利点もある。実験は、高エネルギー放射光X線を利用するために、大型放射光施設(SPring-8) の日本原子力研究開発機構専用ビームラインBL22XU にて行われた。DSTM の実験の様子を図4 に示す。本実験のX線エネルギーは70.031 keV、入射ビームをスリットにて0.21.0mm2 のサイズにして試験片に垂直に透過させた。回転スリットを透過した回折線は、2 次元検出器(PILATUS-100K) にて測定した。検出器は溶接線方向および溶接線垂直方向の各ひずみを測定するために、PILATUS を垂直(L) および水平(T) の位置に設置した。検出器と回折中心との距離(L0) は、約1.8 m である。3. 実験結果および考察3.1 回折斑点追跡法による残留応力測定図5 にPILATUS で測定した回折像の例を示す。この図の左側にある垂直方向の回折像から溶接線方向(L) のひずみを測定する。垂直方向の検出イメージには311 回折、222 回折の斑点が確認できる。400 回折が測定されることを期待したが、残念ながら測定できなかった。一方、図5 の右側の水平方向に設置したPILATUS で測定した回折像より溶接線垂直方向(T) のひずみを測定する。220 回折、311 回折および222 回折が認められる。両方向ともPILATUS の検出計数に30 min の蓄積をしたが、強い回折斑点でも200 カウント程度であった。PILATUS の検出効率が70 keV のX線エネルギー領域で低下するために、板厚9 mm のSUS316L の回折を測定することは実質上むずかしい。実験のビームタイムの制約から、本実験では板厚方向(z) に0.32 mm ステップでスキャニングした。スキャニング位置は、溶接線中心からの距離をx として、x = 0, 4, 8, 12 mm の4 mm ピッチとした。PILATUS 検出器の代わりにCCD 検出器も用意して同様に回折を測定したが、CCD カメラでは回折強度が弱い上にバックグラウンドのカウントが大きくPILATUS よりもデータの質が悪かった。高エネルギーX線の検出効率が高く、スキャニング画像を逐次取り込むことができる検出器が必要である。現在、高エネルギーX 線に対応した新たな検出器PILATUS3 も開発されている[5] 。医療分野では、CdTe のフラットパネルなどの検出器も開発されている[6] 。これらの検出器を使用すれFig. 5. Diffraction images detected with area detector PILATUS. - 289 -(a) Longitudinal stress sL (b) Transverse stress sT Fig. 6. Residual stress maps of welding specimen measured using DSTM. sL and sT are dened in Fig.1 (b). The shape of U-notch is drawn with a broken line. ば、計測できる回折斑点の数も増えより細かいピッチでDSTM ができる可能性もあるので、より効率的,信頼性の高い実験が期待できる。ひずみ測定に利用した回折は、311 回折および222 回折を利用した。測定した回折角度q からブラック条件により格子面間隔d を求め、さらに格子定数a に換算し、ひずみ# は、# = (a .. a0)/a0 から求めた。ただし、a0 は無ひずみの格子定数であり、溶接線方向および溶接線垂直方向に対してそれぞれ3.59946 A° および3.59624 A° を用いた。いずれの値も溶接部から離れた位置のa の平均値を便宜的に用いたものであ。なお、正確な無ひずみ試料の格子定数を測定するのが好ましいが、今回は時間的制約で残念ながら実施できなかった。十分な測定点数が得られなかったので、311 回折と222 回折から得られた両回折面のひずみをすべて利用してひずみ分布を求めた。スキャニングで得られたひずみ分布を4 次関数で近似して、1 mm ピッチの格子点のひずみマップを作成した。さらに平面応力状態(sN = 0) を仮定して、溶接線方向の応力sL および溶接線垂直方向の応力sT を次式により求めた。sL = E 1 .. n2 (#L + n #T) (1) sT = E 1 .. n2 (#T + n #L) (2) ここでは、2 つの回折面により得られたひずみから応力を計算するので、便宜的にKr¨oner モデルで計算した311 回折の値をX線的弾性定数E およびn として利用した。図6 にDSTM で得られた応力マップを示す。図6 (a) の溶接線方向の残留応力を見ると、溶接部およびU 溝開先の周りに引張りの残留応力が発生している。また、引張り残留応力の領域を囲むように、圧縮の残留応力が発生している。1001009 T L N Fig. 7. FEM model for welding specimen. 一方、図6 (b) の溶接線垂直方向の残留応力を見ると、U 溝開先の底部外側に引張り残留応力が発生している。さらに、溶接線から10 mm 程離れた溶接面とその反対側の底面に小さいながらも引張りの残留応力が発生している。以上で測定された溶接材の応力分布は、溶接材としての特徴をおおよそ反映している。ただし、前述のようにd0 の測定部位が無ひずみの位置ではないことから、測定した残留応力の値の大きさについては信頼性に問題を残していることを断っておく。本研究では、DSTM により残留応力の分布のプロファイルをとりあえず得ることができた。検出器の計数効率が向上すれば、測定点が増えて実用的手法として利用できる可能性があることがわかった。3.2 残留応力シミュレーション有限要素法により同一試験片の残留応力の分布を数値解析し、DSTM による実測結果と比較することを試みた。シミュレーションには、溶接解析コードQuick- Welder (計算力学研究センター) を用いた。その有限要- 290 -(a) sL (b) sT (c) sN Fig. 8. Welding residual stresses simulated by nite element method. (a) is longitudinal residual stress sL, (b) is transverse residual stress sT and (c) is normal residual stress. sL, sT and sN are dened in Fig. 7. 素モデルを図7 に示す。溶接試験片と同一形状のモデルを作成し、溶接条件も3 パスの同様の溶接条件を設定した。材料物性値などの値は、既報のSUS316L と同じ値を用いた[7] 。計算における応力は実験と同様に、溶接線方向応力をsL、溶接線垂直方向応力をsT および板厚方向の応力をsN として図に示した。有限要素法による応力解析において、DSTM で測定した溶接残留応力と同じ位置の残留応力を評価した。その該当する位置を図7 にスマッジングで示した。有限要素解析により溶接試験片の残留応力を解析した結果を図8 に示す。なお、溶接試験片のU 溝開先の位置を各応力マップに白色の波線にて表示してある。まず、溶接線方向の残留応力については、溶接部に大きな引張り残留応力が発生しており、それを取り囲みバランスするように圧縮残留応力が生じる。有限要素解析で得られた残留応力分布は、おおよそ溶接試験片の特徴を表している。ただし、最終溶接パスの残留応力が小さくなっているが、一般には溶接表面に大きな引張りが発生することが多いので、有限要素解析の拘束条件などの影響があるかもしれない。DSTM により測定された溶接線方向の残留応力は、最終溶接部でも大きい引張り残留応力が存在しており、DSTM の結果の方が実際の溶接の残留応力の特徴を反映している。大きな残留応力領域がU 溝開先底部外側に発生している点は、測定も解析においても同様である。溶接線垂直方向の残留応力の分布については図8 (b) に示すように、U溝開先底の内部と外側に大きな引張り残留応力が生じている。また、溶接面の裏面側x = 10 mm付近に引張り残留応力の領域がみられる。有限要素解析による溶接線垂直方向の残留応力と図7 (b) の残留応力マップの傾向と比較すると、U溝開先内部の応力以外は、同様の傾向を示している。DSTM では、U 溝開先内部に引張り残留応力が発生しないが、溶接表面付近に引張りが生じており、DSTM の方が現実的傾向を与えている。図8 (c) に示す板厚方向の応力をみると、全体として残留応力は発生しないので、DSTM で仮定した平面応力状態は妥当と考えてよい。ただし、U 溝開先底の境界付近に圧縮の残留応力が発生しているが、応力発生の領域と応力値の大きさから、U 溝境界付近を除けば残留応力の測定結果に大きな影響を与えるものではない。面外応力sN で有限要素法とDSTM 方の違いが見られた。平面応力の仮定の是非については、板厚方向の残留応力マップをDSTM で測定することでより詳細な検討ができ、今後の検討課題としたい。以上のことから、DSTM はオーステナイト系ステンレス鋼やニッケル基材料などの溶接部を含む粗大粒を持つ材料の内部応力評価法として利用可能である。今後、高エネルギーX線に対して計測効率の高い検出器が開発されれば、実用的な応力測定方法として活用できる。4. 結 言本研究では、板厚9 mmのオーステナイト系ステンレス鋼の溶接材の内部残留応力を回折斑点追跡法(DSTM) を用いて評価した。その結果をまとめると以下のようになる。(1) 2 次元検出器の効率が低く十分な測定数が得られなかったものの、回折斑点追跡法により溶接線方向及び溶接線垂直方向の残留応力を測定できた。それらの溶接部中心の2 次元マップの傾向は現実的な残留応力分布と対応していた。(2) 溶接試験片と同様の有限要素解析を実施した。有限要素解析による残留応力の結果は、測定結果と比較してほぼ同一の傾向を示し、DSTM の信頼性を確認できた。(3) 70 keV の高エネルギーX線に対して2 次元検出器PILATUS の検出効率が低く、30 min 以上の計数時間を要した。高エネルギーX線に対応した計数型2 次元検出器を利用することで、鉄鋼材料に対しても実用的な応力測定方法としてDSTM を活用できる。- 291 -謝 辞本研究の放射光実験は、日本原子力研究開発機構施設供用課題(2013A-E07, JASRI No. 2013A3784) の支援によるものである。また、本研究は科学研究費助成事業(挑戦的萌芽研究No. 24656083) の支援を受けた。ここに記して、感謝の意を表します。参考文献[1] P.J. Withers, M. Rreuss, P.J. Webster, D.J. Hughes and A.M. Korsunsky, ”Residual strain measurement by synchrotron diffraction”, Materials Sci. Forum, Vol. 404-407, pp. 1-12 (2002). [2] 鈴木賢治,菖蒲敬久,城 鮎美,豊川秀訓,”2 次
11, No. 2, pp. 99-106 (2012). [3] K. Suzuki, T. Shobu, A. Shiro and H. Toyokawa, ”Evaluation of internal stresses using rotating-slit and 2D detector”, Materials Sci. Forum, Vol. 772, pp. 15-19 (2014). [4] K. Suzuki, T. Shobu, A. Shiro and S. Zhang, ”Internal stress measurement of weld part using diffraction spot trace method”, Materials Sci. Forum, Vol. 777, pp. 155-160 (2014). [5] T. Loeliger, C. Broennimann, T. Donath, M. Schneebeli, R. Schnyder and P. Trueb, ”The new PILATUS3 ASIC with instant retrigger capability”, Nuclear Science Symposium and Medical Imaging Conference (NSS/MIC), 2012 IEEE, pp. 610-615 (2012). [6] 和泉良弘,寺沼 修、佐藤 保,上原和弘,岡田久夫,徳田 敏,佐藤敏幸,”フラットパネルX線イメージセンサの開発”,シャープ技法,Vol. 12, No. 80, pp. 25-30 (2001). [7] 鈴木賢治,山岸 葵,西川 聡,菖蒲敬久,”異
pp. 91-98 (2012). - 292 -
“ “回折斑点追跡法によるオーステナイト系ステンレス鋼の溶接残留応力の評価“ “鈴木 賢治,Kenji SUZUKI,菖蒲 敬久,Takahisa SHOBU,城 鮎美,Ayumi SHIRO,張 朔源,Shuoyuan ZHANG,西川 聡,Satoru NISHIKAWA
材料内部の実応力の測定法として、高エネルギー放射光を用いるひずみスキャニング法が確立し、等方均質な多結晶体の応力測定法として利用されている[1] 。しかし、粗大粒においては回折が連続環でなく斑点となるために、0 次元検出器を利用するひずみスキャニング法は、粗大粒の応力測定に用いることができない。その解決策として、著者らは材料内部の回折を2 次元検出器で測定する回転スリットを開発した[2] 。さらに、回折斑点追跡法(DSTM: diffraction spot trace method) を提案した[2] 。DSTM は、これまで困難とされてきた粗大粒を持つ材料の残留応力測定法として期待されている[3] 。今後、DSTM の適用例が増えることで、DSTM の普及するものと思われる。溶接は、溶接部材に残留応力を発生させるだけでなく、凝固組織や粒成長を引き起こす。そのため、溶接材はX線法による応力測定の困難材として避けてきた。著者らは、マグネシウム合金の溶接残留応力の評価にDSTM を適用して良好な結果を得ており[4] 、DSTM は溶接材の内部残留応力測定法として有力な手法であることを実証した。マグネシウムは軽金属のために、30 keV の放射光X 線で十分な透過力を得ることができ、計数型2 次元検出器(PILATUS) の検出効率も高い。一方、オーステナイト系ステンレス鋼においては、30 keV の放射光X線では透過力が得られない。ゆえに、オーステナイト系ステンレス鋼に対しては、より高エネルギーの70 keV 相当の放射光X線を利用する必要がある。しかし、検出器PILATUS は、70 keV のX線に対して計数効率が非常に低い難点を持つ。本研究では、70 keV レベルの高エネルギー領域におけるDSTM の有効性を実際に検証するために、板厚9 mm のオーステナイト系ステンレス鋼の溶接材の内部残留応力を測定した結果について報告する。
2. 実験方法
2.1 溶接試験片試験片の材料は、母材(SUS316L) および溶接ワイヤー(Y316L) の両方ともオーステナイト系ステンレス鋼を用いた。図1 (a) に溶接試験片の外観を示す。板厚9mm、幅100 mm、長さ100 mmの平板を製作し、図1 (b) に示すように、その平板の中央に深さ7 mm、幅6 mm、半径3 mm のU 溝開先加工を施した後、ひずみ取りのために1173 K、1 hr の焼鈍を行った。突き合わせでなくU 溝開先の平板に溶接をしたのは、溶接部の試験片の板厚が理想的な平面になるようにするためである。さらに、変形を拘束するために試験体を固定して溶接した。U 溝開先に3 パスにより溶接を施して、ほぼ開先の溝を覆うように肉盛りした。溶接方法はTIG 溶接を用い、その条件を表1 に示す。溶接始端および終端部は溶接部が板厚よりも低い凹状態になっているが、溶接部全体は外観を見てもきれいで、平坦でなだらかに凸状態で板厚よりごくわずか厚めである。なお、応力とひずみの方向を本研究では、溶接線垂直方向をT (tansverse)、溶接線方向をL (longi- - 287 -Table 1. Welding conditions. Current Voltage Torch speed Wire feed Interpass Pass (A) (V) (mm/s) rate (g/s) temperature (K) 1st 120 10 1.5 0.103 305 2nd 150 10 1.5 0.147 315 3rd 150 10 1.5 0.147 340 (a) Welding specimen 937(b) Shape of U-notch Fig. 1. Welding specimen. tudinal) で表す(図1 (a) を参照)。2.2 回折斑点追跡法本実験においては、シンクロトロン放射光の挿入光源を利用し、高エネルギーX線の強い透過力により板厚9 mm のステンレス鋼の透過させ、内部ひずみを測定する。図2 に示すように透過するX線からゲージ体積の回折のみを2 次元検出器に到達させるには、曲線スリットのある回転円板を2 枚用意し、それらが互いに相似形であり、かつ同一軸上で回転させればよい。本実験では、アルキメデス螺旋を持つ回転スリットを用いた。スリット幅は0.2 mm でスリットの切り出し角度は回折角2 q と等しくなるように製作した改良型回転スリットを用いた。ちなみに、g-Fe の311 回折(2 q = 9.36.) に対して、ゲージ体積の長さは2.4 mm となる。オーステナイト系ステンレス鋼の粗大粒および溶接X-ray Sample 2q Gauge volume Slit x y z 2D detector A B Rotating slit Fig. 2. Rotating slit-system. X-ray A B C Scanning ABC Gauge volume Specimen grain Rotating slit PILATUS L0 h z1 z2 z3 z z2 1 z3 2! 2! Intensity A B C Determination of 2! and depth z Fig. 3. Diffraction spot trace method. 金属の凝固組織のために、回折環が斑点状になることから、内部ひずみ測定方法は回折斑点追跡法(DSTM) を用いることにした。DSTM の原理を図3 に示す。図3 左側のように、溶接試験片をステージに載せ、X線の光軸方向にスキャニングすることを考える。ゲージ体積に粗大粒が入り始めるに従い、X線強度が大きくなる。やがて粗大粒がケージ体積の中心に位置すると回折斑点の強度は最大を示す。その後、粗大粒がゲージ体積から抜けはじめ、回折強度が低下して、やがて回折斑点は消えて行く。一方、回折角度については、スキャニングに伴い粗大粒の回折中心がゲージ体積中を移動するので、ゲージ体積の中心から計算される回折角(2 q = arctan(h/L0) は、スキャニングに伴いシフトする。スキャニングによる回折角2 q とX線強度の関係は、図3 の右側のような挙動をとる。粗大粒の格子面間隔d を与える真の回折角2 q は、回折強度の変化を放物近似した頂点の位置における回折角度を用いる。以上の方法がDSTMである。DSTM においてはスキャニングしながら回折像を測- 288 -Fig. 4. Residual stress measurement of welding specimen using DSTM. 定し、逐次、回折強度と回折角を追跡するので、イメージングプレートのように読み取りと測定をその都度行うよりも、その場測定ができる2 次元検出器がふさわしい。また、PILATUS はエネルギー分解能が高く、バックグラウンドが低いため、弱いシグナルでもs/n 比の高い計測が実現できる利点もある。実験は、高エネルギー放射光X線を利用するために、大型放射光施設(SPring-8) の日本原子力研究開発機構専用ビームラインBL22XU にて行われた。DSTM の実験の様子を図4 に示す。本実験のX線エネルギーは70.031 keV、入射ビームをスリットにて0.21.0mm2 のサイズにして試験片に垂直に透過させた。回転スリットを透過した回折線は、2 次元検出器(PILATUS-100K) にて測定した。検出器は溶接線方向および溶接線垂直方向の各ひずみを測定するために、PILATUS を垂直(L) および水平(T) の位置に設置した。検出器と回折中心との距離(L0) は、約1.8 m である。3. 実験結果および考察3.1 回折斑点追跡法による残留応力測定図5 にPILATUS で測定した回折像の例を示す。この図の左側にある垂直方向の回折像から溶接線方向(L) のひずみを測定する。垂直方向の検出イメージには311 回折、222 回折の斑点が確認できる。400 回折が測定されることを期待したが、残念ながら測定できなかった。一方、図5 の右側の水平方向に設置したPILATUS で測定した回折像より溶接線垂直方向(T) のひずみを測定する。220 回折、311 回折および222 回折が認められる。両方向ともPILATUS の検出計数に30 min の蓄積をしたが、強い回折斑点でも200 カウント程度であった。PILATUS の検出効率が70 keV のX線エネルギー領域で低下するために、板厚9 mm のSUS316L の回折を測定することは実質上むずかしい。実験のビームタイムの制約から、本実験では板厚方向(z) に0.32 mm ステップでスキャニングした。スキャニング位置は、溶接線中心からの距離をx として、x = 0, 4, 8, 12 mm の4 mm ピッチとした。PILATUS 検出器の代わりにCCD 検出器も用意して同様に回折を測定したが、CCD カメラでは回折強度が弱い上にバックグラウンドのカウントが大きくPILATUS よりもデータの質が悪かった。高エネルギーX線の検出効率が高く、スキャニング画像を逐次取り込むことができる検出器が必要である。現在、高エネルギーX 線に対応した新たな検出器PILATUS3 も開発されている[5] 。医療分野では、CdTe のフラットパネルなどの検出器も開発されている[6] 。これらの検出器を使用すれFig. 5. Diffraction images detected with area detector PILATUS. - 289 -(a) Longitudinal stress sL (b) Transverse stress sT Fig. 6. Residual stress maps of welding specimen measured using DSTM. sL and sT are dened in Fig.1 (b). The shape of U-notch is drawn with a broken line. ば、計測できる回折斑点の数も増えより細かいピッチでDSTM ができる可能性もあるので、より効率的,信頼性の高い実験が期待できる。ひずみ測定に利用した回折は、311 回折および222 回折を利用した。測定した回折角度q からブラック条件により格子面間隔d を求め、さらに格子定数a に換算し、ひずみ# は、# = (a .. a0)/a0 から求めた。ただし、a0 は無ひずみの格子定数であり、溶接線方向および溶接線垂直方向に対してそれぞれ3.59946 A° および3.59624 A° を用いた。いずれの値も溶接部から離れた位置のa の平均値を便宜的に用いたものであ。なお、正確な無ひずみ試料の格子定数を測定するのが好ましいが、今回は時間的制約で残念ながら実施できなかった。十分な測定点数が得られなかったので、311 回折と222 回折から得られた両回折面のひずみをすべて利用してひずみ分布を求めた。スキャニングで得られたひずみ分布を4 次関数で近似して、1 mm ピッチの格子点のひずみマップを作成した。さらに平面応力状態(sN = 0) を仮定して、溶接線方向の応力sL および溶接線垂直方向の応力sT を次式により求めた。sL = E 1 .. n2 (#L + n #T) (1) sT = E 1 .. n2 (#T + n #L) (2) ここでは、2 つの回折面により得られたひずみから応力を計算するので、便宜的にKr¨oner モデルで計算した311 回折の値をX線的弾性定数E およびn として利用した。図6 にDSTM で得られた応力マップを示す。図6 (a) の溶接線方向の残留応力を見ると、溶接部およびU 溝開先の周りに引張りの残留応力が発生している。また、引張り残留応力の領域を囲むように、圧縮の残留応力が発生している。1001009 T L N Fig. 7. FEM model for welding specimen. 一方、図6 (b) の溶接線垂直方向の残留応力を見ると、U 溝開先の底部外側に引張り残留応力が発生している。さらに、溶接線から10 mm 程離れた溶接面とその反対側の底面に小さいながらも引張りの残留応力が発生している。以上で測定された溶接材の応力分布は、溶接材としての特徴をおおよそ反映している。ただし、前述のようにd0 の測定部位が無ひずみの位置ではないことから、測定した残留応力の値の大きさについては信頼性に問題を残していることを断っておく。本研究では、DSTM により残留応力の分布のプロファイルをとりあえず得ることができた。検出器の計数効率が向上すれば、測定点が増えて実用的手法として利用できる可能性があることがわかった。3.2 残留応力シミュレーション有限要素法により同一試験片の残留応力の分布を数値解析し、DSTM による実測結果と比較することを試みた。シミュレーションには、溶接解析コードQuick- Welder (計算力学研究センター) を用いた。その有限要- 290 -(a) sL (b) sT (c) sN Fig. 8. Welding residual stresses simulated by nite element method. (a) is longitudinal residual stress sL, (b) is transverse residual stress sT and (c) is normal residual stress. sL, sT and sN are dened in Fig. 7. 素モデルを図7 に示す。溶接試験片と同一形状のモデルを作成し、溶接条件も3 パスの同様の溶接条件を設定した。材料物性値などの値は、既報のSUS316L と同じ値を用いた[7] 。計算における応力は実験と同様に、溶接線方向応力をsL、溶接線垂直方向応力をsT および板厚方向の応力をsN として図に示した。有限要素法による応力解析において、DSTM で測定した溶接残留応力と同じ位置の残留応力を評価した。その該当する位置を図7 にスマッジングで示した。有限要素解析により溶接試験片の残留応力を解析した結果を図8 に示す。なお、溶接試験片のU 溝開先の位置を各応力マップに白色の波線にて表示してある。まず、溶接線方向の残留応力については、溶接部に大きな引張り残留応力が発生しており、それを取り囲みバランスするように圧縮残留応力が生じる。有限要素解析で得られた残留応力分布は、おおよそ溶接試験片の特徴を表している。ただし、最終溶接パスの残留応力が小さくなっているが、一般には溶接表面に大きな引張りが発生することが多いので、有限要素解析の拘束条件などの影響があるかもしれない。DSTM により測定された溶接線方向の残留応力は、最終溶接部でも大きい引張り残留応力が存在しており、DSTM の結果の方が実際の溶接の残留応力の特徴を反映している。大きな残留応力領域がU 溝開先底部外側に発生している点は、測定も解析においても同様である。溶接線垂直方向の残留応力の分布については図8 (b) に示すように、U溝開先底の内部と外側に大きな引張り残留応力が生じている。また、溶接面の裏面側x = 10 mm付近に引張り残留応力の領域がみられる。有限要素解析による溶接線垂直方向の残留応力と図7 (b) の残留応力マップの傾向と比較すると、U溝開先内部の応力以外は、同様の傾向を示している。DSTM では、U 溝開先内部に引張り残留応力が発生しないが、溶接表面付近に引張りが生じており、DSTM の方が現実的傾向を与えている。図8 (c) に示す板厚方向の応力をみると、全体として残留応力は発生しないので、DSTM で仮定した平面応力状態は妥当と考えてよい。ただし、U 溝開先底の境界付近に圧縮の残留応力が発生しているが、応力発生の領域と応力値の大きさから、U 溝境界付近を除けば残留応力の測定結果に大きな影響を与えるものではない。面外応力sN で有限要素法とDSTM 方の違いが見られた。平面応力の仮定の是非については、板厚方向の残留応力マップをDSTM で測定することでより詳細な検討ができ、今後の検討課題としたい。以上のことから、DSTM はオーステナイト系ステンレス鋼やニッケル基材料などの溶接部を含む粗大粒を持つ材料の内部応力評価法として利用可能である。今後、高エネルギーX線に対して計測効率の高い検出器が開発されれば、実用的な応力測定方法として活用できる。4. 結 言本研究では、板厚9 mmのオーステナイト系ステンレス鋼の溶接材の内部残留応力を回折斑点追跡法(DSTM) を用いて評価した。その結果をまとめると以下のようになる。(1) 2 次元検出器の効率が低く十分な測定数が得られなかったものの、回折斑点追跡法により溶接線方向及び溶接線垂直方向の残留応力を測定できた。それらの溶接部中心の2 次元マップの傾向は現実的な残留応力分布と対応していた。(2) 溶接試験片と同様の有限要素解析を実施した。有限要素解析による残留応力の結果は、測定結果と比較してほぼ同一の傾向を示し、DSTM の信頼性を確認できた。(3) 70 keV の高エネルギーX線に対して2 次元検出器PILATUS の検出効率が低く、30 min 以上の計数時間を要した。高エネルギーX線に対応した計数型2 次元検出器を利用することで、鉄鋼材料に対しても実用的な応力測定方法としてDSTM を活用できる。- 291 -謝 辞本研究の放射光実験は、日本原子力研究開発機構施設供用課題(2013A-E07, JASRI No. 2013A3784) の支援によるものである。また、本研究は科学研究費助成事業(挑戦的萌芽研究No. 24656083) の支援を受けた。ここに記して、感謝の意を表します。参考文献[1] P.J. Withers, M. Rreuss, P.J. Webster, D.J. Hughes and A.M. Korsunsky, ”Residual strain measurement by synchrotron diffraction”, Materials Sci. Forum, Vol. 404-407, pp. 1-12 (2002). [2] 鈴木賢治,菖蒲敬久,城 鮎美,豊川秀訓,”2 次
11, No. 2, pp. 99-106 (2012). [3] K. Suzuki, T. Shobu, A. Shiro and H. Toyokawa, ”Evaluation of internal stresses using rotating-slit and 2D detector”, Materials Sci. Forum, Vol. 772, pp. 15-19 (2014). [4] K. Suzuki, T. Shobu, A. Shiro and S. Zhang, ”Internal stress measurement of weld part using diffraction spot trace method”, Materials Sci. Forum, Vol. 777, pp. 155-160 (2014). [5] T. Loeliger, C. Broennimann, T. Donath, M. Schneebeli, R. Schnyder and P. Trueb, ”The new PILATUS3 ASIC with instant retrigger capability”, Nuclear Science Symposium and Medical Imaging Conference (NSS/MIC), 2012 IEEE, pp. 610-615 (2012). [6] 和泉良弘,寺沼 修、佐藤 保,上原和弘,岡田久夫,徳田 敏,佐藤敏幸,”フラットパネルX線イメージセンサの開発”,シャープ技法,Vol. 12, No. 80, pp. 25-30 (2001). [7] 鈴木賢治,山岸 葵,西川 聡,菖蒲敬久,”異
pp. 91-98 (2012). - 292 -
“ “回折斑点追跡法によるオーステナイト系ステンレス鋼の溶接残留応力の評価“ “鈴木 賢治,Kenji SUZUKI,菖蒲 敬久,Takahisa SHOBU,城 鮎美,Ayumi SHIRO,張 朔源,Shuoyuan ZHANG,西川 聡,Satoru NISHIKAWA