市民とのリスクコミュニケーションに求められるもの ~2009年度調査からみた福島以後の専門家の課題~
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カテゴリ: 第8回
1. はじめに
現代のリスク評価研究が原子力発電技術を中心に 発展したように,リスク認知研究も原子力発電に関 する市民と専門家との相違が研究の発端であった。 多くの研究が,核や原子力を市民が専門家とは異な るとらえ方をしていることを示し,その要因を解明 してきた。リスク認知に影響を及ぼす要因には、人 の認知に共通する要因もあれば、原子力技術に特有 の要因もある。また,人の認知は様々な情報に影響 を受けるため,原子力技術がメディア等を通じて社 会でどのように捉えられているかからも影響を受け ている。以上のような 1970 年代からの社会心理学を 中心とした研究は,市民が原子力を危険なものと感 じるのは,単に知識や情報が不足しているからでは ないこと,専門家にもバイアスがあることを明らか にし、相互理解と信頼形成を目的としたリスクコミ ュニケーションの提唱に結びついた。 * 本報告では,2009 年度に行われたリスク認知に関 する調査結果に基づいて、福島第一原子力発電所の 事故が及ぼす影響を検討するとともに,今後の原子 力利用に果たすリスクコミュニケーションの役割と 課題を示し,福島事故以降原子力業界がなすべきこ とについて問題提起を行う。
2. 人々は原子力を安全だと感じはじめていた
福島第一原子力発電所の事故が起こる前まで,多 くの人が原子力発電を肯定的に考えるようになって いた。2009年に内閣府が実施した原子力に関する特 別世論調査によれば,原子力発電を「積極的に推進 する」 9.7%, 「慎重に推進する」 49.8%となり,1999 年の「積極的に増設する」 4.2%, 「慎重に増設する」 38.5%に比較して大幅に推進意見が増えている。 電力中央研究所が全国の政令指定都市を対象に行っ た意識調査においても,今後の重要なエネルギー政 策として原子力発電を選択した割合は,2003 年の 4.6%から 2008年には 38.9%へ大幅に増加した319。 - 以上の変化を受けて,電力中央研究所では,1999 年度に実施した同様の調査結果との比較を行うこと を目的に,2009年度市民と専門家のリスク認知を分 析するための意識調査を実施した。市民について は全く同様のサンプリングと調査方法を用いたが, 専門家については 1999 年度は学会員からの無作為 抽出,2009 年度は大学教員リストからの無作為抽出 であることに留意されたい。調査手法は文献[5]また は[6]を参照されたい。2.1 市民と専門家のリスク認知の変化 Table 1 が, 1999年度と 2009 年度調査の市民と専45門家のリスク認知の比較である。専門家については 大学教員を対象とした 2005 年調査結果を参考に追 記している。市民と遺伝子組換え技術の専門家は 1999 年より 2009 年の方が安全と考えるようになっ ており,原子力専門家は 1999年より危険と考えるよ うに変化した。これらは有意水準 0.1%で差があった。Table 1 Risk perception of nuclear power generation comparing the public and experts, 1999 and 2009Survey year199920052009Public2.173.33Bio experts2.58 |2.453.17Nuclear experts4.043.133.551=extremely dangerous ~5=extremely safe2.2 原子力発電の評価軸 - 市民と専門家の考え方の違いを示すものとして, 技術を評価する際に重視する事柄の違いがある)。 原子力発電を評価する際に重視することを順位を付 けて回答するように求めた結果を比較すると,市民 は「国が問題が起きた時対応できるかどうか」「電力 会社が問題を起こさないよう管理できるかどうか」 「将来どんな影響が起こるかを予測できるかどう か」を重視し,原子力専門家は「社会にとって必要 かどうか」,電力会社の管理能力,「環境に影響を及 ぼさないよう制御できるかどうか」であった。 *福島第一原子力発電所の事故は、電力会社の管理 能力,国の危機管理能力,原子力災害による環境影 響の問題の大きさを示しており,市民のみならず, 専門家にも大きな影響を与えると考えられる。3.リスクコミュニケーションの可能性と課3.1 東海村の活動とその成果および課題 - 東海村では,2003 年より市民が参加するリスクコ ミュニケーション活動が継続的に行われている。活 動の中心は,原子力事業所の安全対策を学ぶととも に市民の目でさらなる対策を提言する“視察プログ ラム”である。これまで,放射線安全に関する対策 は十分行われているものの,労働安全衛生を含む事 業所全体の管理が重要であること,教育訓練で十分と主張する事業所側に対して緊急時や不慣れな社員 の存在を考慮した対策をすることなどを提言してき た。 2 回目の視察を実施した事業所では,初回より も対策はもとより,市民への説明方法が改善してい ると評価されている。地震や津波対策は従来どおり の説明,“数万年前から記録を調べ,地層の探査を行 い,最大級の地震を想定して”を信頼するしかない が,中越沖地震以降は,重要機器につながる配管の 問題を指摘している。福島事故後の説明会では、多 重化されていた外部電源が同じ変電所からのもので あったことが判明する一方, 約 30年前の海外の事故 を教訓とした電源車の配備や冷却水確保の訓練が功 を奏した事例など,市民が評価する対策が行われて いたことも分かった。 - 東海村の活動は一定の成果を上げているものの, これらが何らかの形で原子力安全に結びつくために は、まず事業所や専門家側から提供する情報が誤解 を招かないものであることが必要である。原子炉建 屋は放射性物質を閉じ込める五重の壁の最後の重要 な壁として頑丈に造られているのではなく,上部は パネル式になっているのであれば、そう伝えるべき である。そうすれば,格納容器が最も重要で,その 健全性を維持するためのベントの必要性も納得でき る。真実を話してこそ,共にリスク問題を考え,対 策を議論できる。きの一3.2 福島以後のリスクコミュニケーション - 専門家の指摘とは異なり,市民の意見は単なる懸 念として考えられることが多い。しかし、余裕をも った対策や徹底した教育訓練により事故を防げると する考え方は決定論的であるといえる。リスク論的 に考えるとは,あらゆる可能性を考慮に入れること であり,原子力関係者は深層防護の最後の壁が防災 であることを今一度真剣に考える必要があろう。また,人々が懸念する事故を「確率が非常に小さ いから考慮しなくてよい」とする論理も,今後は通 用しないだろう。論理的に考えて,確率が非常に小 さい事象は某大な被害を発生させるものであり,リ スクとしては必ずしも小さくないからである。 - リスクコミュニケーションでは、行政や専門家等 から発信される情報がコミュニケーションの基盤と なる。多くの市民は専門的な知識を持っていないか ら,正確なリスク情報が語られているかどうかを判46断することができない。残念ながら,今回の事故で 原子力業界,特に電力会社の広報内容は現実とは異 なることが明らかになった。これは安全を強調する 資料を作成した広報担当者だけの問題ではなく,こ のような広報内容を見過ごしてきた技術やリスク評 価の専門家にも責任が問われなければならない。事 故によって真実が明るみに出るという失態を繰り返 さないために,原子力技術の専門家が誠実にリスク を語る必要がある。4.おわりに1-2章の意識調査結果に示されているように、市民 は原子力発電を肯定的にとらえるようになってきて いたが,無条件に原子力推進に変わったわけではな い。電力会社のリスク管理能力,国の危機管理能力 を前提にした意見変化であったとみるのが適切であ ろう。福島事故は、この市民からの信頼を打ち砕く 事態になった。この信頼を回復するためには、電力 会社は言うに及ばず,国も従来の情報提供やコミュ ニケーションを変える必要がある。特に,原子力安 全委員会が,これまでリスクコミュニケーション活 動に関心も持たず,実践も試みなかった点は大いに 反省すべきであろう。 - 設備や機器の保全は発電所の安全を守る要である。 しかし,管理システムや組織のマネジメントの改善 もまた,安全を守る重要な要素である。そして,福 島以降も原子力技術を利用しつづけるなら,社会か らの信頼を保持・保全することも,原子力技術の利 用の道を閉ざさないために必須事項ではあるまいか。参考文献 [1] 内閣府広報室,“原子力に関する特別世論調査”,2009[2] 内閣府広報室,“エネルギーに関する世論調査”,1999[3] 土屋智子,三田村朋子,大島直子,千田恭子,“エネルギー・環境問題に対する人々の考え方 -2003 年度全国意識調査の分析結果一”,電力中央研究所調査報告 Y03021,2004. [4] 大久保重孝,土屋智子,“エネルギー・環境問題に対する人々の考え方-2008 年度全国意識 調査の結果と過去調査との比較-”,電力中央研究所調査報告 Y08047, 2009. 小杉素子,土屋智子,谷口武俊,“一般市民と のかい離を感じる専門家の特徴”, 日本リスク 研究学会誌,Vol.21,No.2,2011,115-123. 土屋智子,小杉素子,“市民と専門家のリスク 認知の違い-2009 年度調査結果報告一”,電力 中央研究所研究報告, 2011,近日刊. 土屋智子, 小杉素子,谷口武俊,“社会的論争 を招く技術に対する専門家と市民のリスク認 知の違いとその背景要因”, 日本リスク研究学 会誌,Vol.18,N0.2, 2008,77-85.(平成 23 年 10月 11 日)47“ “市民とのリスクコミュニケーションに求められるもの ~2009年度調査からみた福島以後の専門家の課題~“ “土屋 智子,Tomoko TSUCHIYA
現代のリスク評価研究が原子力発電技術を中心に 発展したように,リスク認知研究も原子力発電に関 する市民と専門家との相違が研究の発端であった。 多くの研究が,核や原子力を市民が専門家とは異な るとらえ方をしていることを示し,その要因を解明 してきた。リスク認知に影響を及ぼす要因には、人 の認知に共通する要因もあれば、原子力技術に特有 の要因もある。また,人の認知は様々な情報に影響 を受けるため,原子力技術がメディア等を通じて社 会でどのように捉えられているかからも影響を受け ている。以上のような 1970 年代からの社会心理学を 中心とした研究は,市民が原子力を危険なものと感 じるのは,単に知識や情報が不足しているからでは ないこと,専門家にもバイアスがあることを明らか にし、相互理解と信頼形成を目的としたリスクコミ ュニケーションの提唱に結びついた。 * 本報告では,2009 年度に行われたリスク認知に関 する調査結果に基づいて、福島第一原子力発電所の 事故が及ぼす影響を検討するとともに,今後の原子 力利用に果たすリスクコミュニケーションの役割と 課題を示し,福島事故以降原子力業界がなすべきこ とについて問題提起を行う。
2. 人々は原子力を安全だと感じはじめていた
福島第一原子力発電所の事故が起こる前まで,多 くの人が原子力発電を肯定的に考えるようになって いた。2009年に内閣府が実施した原子力に関する特 別世論調査によれば,原子力発電を「積極的に推進 する」 9.7%, 「慎重に推進する」 49.8%となり,1999 年の「積極的に増設する」 4.2%, 「慎重に増設する」 38.5%に比較して大幅に推進意見が増えている。 電力中央研究所が全国の政令指定都市を対象に行っ た意識調査においても,今後の重要なエネルギー政 策として原子力発電を選択した割合は,2003 年の 4.6%から 2008年には 38.9%へ大幅に増加した319。 - 以上の変化を受けて,電力中央研究所では,1999 年度に実施した同様の調査結果との比較を行うこと を目的に,2009年度市民と専門家のリスク認知を分 析するための意識調査を実施した。市民について は全く同様のサンプリングと調査方法を用いたが, 専門家については 1999 年度は学会員からの無作為 抽出,2009 年度は大学教員リストからの無作為抽出 であることに留意されたい。調査手法は文献[5]また は[6]を参照されたい。2.1 市民と専門家のリスク認知の変化 Table 1 が, 1999年度と 2009 年度調査の市民と専45門家のリスク認知の比較である。専門家については 大学教員を対象とした 2005 年調査結果を参考に追 記している。市民と遺伝子組換え技術の専門家は 1999 年より 2009 年の方が安全と考えるようになっ ており,原子力専門家は 1999年より危険と考えるよ うに変化した。これらは有意水準 0.1%で差があった。Table 1 Risk perception of nuclear power generation comparing the public and experts, 1999 and 2009Survey year199920052009Public2.173.33Bio experts2.58 |2.453.17Nuclear experts4.043.133.551=extremely dangerous ~5=extremely safe2.2 原子力発電の評価軸 - 市民と専門家の考え方の違いを示すものとして, 技術を評価する際に重視する事柄の違いがある)。 原子力発電を評価する際に重視することを順位を付 けて回答するように求めた結果を比較すると,市民 は「国が問題が起きた時対応できるかどうか」「電力 会社が問題を起こさないよう管理できるかどうか」 「将来どんな影響が起こるかを予測できるかどう か」を重視し,原子力専門家は「社会にとって必要 かどうか」,電力会社の管理能力,「環境に影響を及 ぼさないよう制御できるかどうか」であった。 *福島第一原子力発電所の事故は、電力会社の管理 能力,国の危機管理能力,原子力災害による環境影 響の問題の大きさを示しており,市民のみならず, 専門家にも大きな影響を与えると考えられる。3.リスクコミュニケーションの可能性と課3.1 東海村の活動とその成果および課題 - 東海村では,2003 年より市民が参加するリスクコ ミュニケーション活動が継続的に行われている。活 動の中心は,原子力事業所の安全対策を学ぶととも に市民の目でさらなる対策を提言する“視察プログ ラム”である。これまで,放射線安全に関する対策 は十分行われているものの,労働安全衛生を含む事 業所全体の管理が重要であること,教育訓練で十分と主張する事業所側に対して緊急時や不慣れな社員 の存在を考慮した対策をすることなどを提言してき た。 2 回目の視察を実施した事業所では,初回より も対策はもとより,市民への説明方法が改善してい ると評価されている。地震や津波対策は従来どおり の説明,“数万年前から記録を調べ,地層の探査を行 い,最大級の地震を想定して”を信頼するしかない が,中越沖地震以降は,重要機器につながる配管の 問題を指摘している。福島事故後の説明会では、多 重化されていた外部電源が同じ変電所からのもので あったことが判明する一方, 約 30年前の海外の事故 を教訓とした電源車の配備や冷却水確保の訓練が功 を奏した事例など,市民が評価する対策が行われて いたことも分かった。 - 東海村の活動は一定の成果を上げているものの, これらが何らかの形で原子力安全に結びつくために は、まず事業所や専門家側から提供する情報が誤解 を招かないものであることが必要である。原子炉建 屋は放射性物質を閉じ込める五重の壁の最後の重要 な壁として頑丈に造られているのではなく,上部は パネル式になっているのであれば、そう伝えるべき である。そうすれば,格納容器が最も重要で,その 健全性を維持するためのベントの必要性も納得でき る。真実を話してこそ,共にリスク問題を考え,対 策を議論できる。きの一3.2 福島以後のリスクコミュニケーション - 専門家の指摘とは異なり,市民の意見は単なる懸 念として考えられることが多い。しかし、余裕をも った対策や徹底した教育訓練により事故を防げると する考え方は決定論的であるといえる。リスク論的 に考えるとは,あらゆる可能性を考慮に入れること であり,原子力関係者は深層防護の最後の壁が防災 であることを今一度真剣に考える必要があろう。また,人々が懸念する事故を「確率が非常に小さ いから考慮しなくてよい」とする論理も,今後は通 用しないだろう。論理的に考えて,確率が非常に小 さい事象は某大な被害を発生させるものであり,リ スクとしては必ずしも小さくないからである。 - リスクコミュニケーションでは、行政や専門家等 から発信される情報がコミュニケーションの基盤と なる。多くの市民は専門的な知識を持っていないか ら,正確なリスク情報が語られているかどうかを判46断することができない。残念ながら,今回の事故で 原子力業界,特に電力会社の広報内容は現実とは異 なることが明らかになった。これは安全を強調する 資料を作成した広報担当者だけの問題ではなく,こ のような広報内容を見過ごしてきた技術やリスク評 価の専門家にも責任が問われなければならない。事 故によって真実が明るみに出るという失態を繰り返 さないために,原子力技術の専門家が誠実にリスク を語る必要がある。4.おわりに1-2章の意識調査結果に示されているように、市民 は原子力発電を肯定的にとらえるようになってきて いたが,無条件に原子力推進に変わったわけではな い。電力会社のリスク管理能力,国の危機管理能力 を前提にした意見変化であったとみるのが適切であ ろう。福島事故は、この市民からの信頼を打ち砕く 事態になった。この信頼を回復するためには、電力 会社は言うに及ばず,国も従来の情報提供やコミュ ニケーションを変える必要がある。特に,原子力安 全委員会が,これまでリスクコミュニケーション活 動に関心も持たず,実践も試みなかった点は大いに 反省すべきであろう。 - 設備や機器の保全は発電所の安全を守る要である。 しかし,管理システムや組織のマネジメントの改善 もまた,安全を守る重要な要素である。そして,福 島以降も原子力技術を利用しつづけるなら,社会か らの信頼を保持・保全することも,原子力技術の利 用の道を閉ざさないために必須事項ではあるまいか。参考文献 [1] 内閣府広報室,“原子力に関する特別世論調査”,2009[2] 内閣府広報室,“エネルギーに関する世論調査”,1999[3] 土屋智子,三田村朋子,大島直子,千田恭子,“エネルギー・環境問題に対する人々の考え方 -2003 年度全国意識調査の分析結果一”,電力中央研究所調査報告 Y03021,2004. [4] 大久保重孝,土屋智子,“エネルギー・環境問題に対する人々の考え方-2008 年度全国意識 調査の結果と過去調査との比較-”,電力中央研究所調査報告 Y08047, 2009. 小杉素子,土屋智子,谷口武俊,“一般市民と のかい離を感じる専門家の特徴”, 日本リスク 研究学会誌,Vol.21,No.2,2011,115-123. 土屋智子,小杉素子,“市民と専門家のリスク 認知の違い-2009 年度調査結果報告一”,電力 中央研究所研究報告, 2011,近日刊. 土屋智子, 小杉素子,谷口武俊,“社会的論争 を招く技術に対する専門家と市民のリスク認 知の違いとその背景要因”, 日本リスク研究学 会誌,Vol.18,N0.2, 2008,77-85.(平成 23 年 10月 11 日)47“ “市民とのリスクコミュニケーションに求められるもの ~2009年度調査からみた福島以後の専門家の課題~“ “土屋 智子,Tomoko TSUCHIYA