福島事故後の立地地域住民とリスクコミュニケーション
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カテゴリ: 第9回
1. はじめに
大飯原子力発電所の再稼働が進められている。もし, 福島第一原子力発電所の事故がなければ、多くの立地地 域住民は、再稼働を歓迎し,電力会社との関係も徐々に 好転していったであろう。再稼働をめぐる国・関西圏・ 福井県とおおい町の様々な動きを外野からみていると, 事故が与えた影響がいかに広範囲に長期に及ぶかを考え ざるをえない。当NPO 法人の主要な活動地点である茨城県東海村は、 原子力開発発祥の地として,研究開発施設から燃料加工 工場,発電所,再処理施設など多様な施設がある場所で あり,地域の経済的発展の多くを原子力関連産業に依存 してきた。東北地方太平洋沖地震とその後の津波被害で 停止中の東海第二原子力発電所が再稼働しないだけでな く, 原子力研究開発機構の活動は福島支援が中心になっ ているし、全国の原子力発電所の停止で燃料加工会社の 経営も厳しい。それでも,再稼働反対の請願が出され、 多くの反対署名が集まり,村上達也村長が厳しい発言を 続けているのは、事故の根本原因を究明し,復興の道筋 をつけなくては、たとえ理解のあった地域社会ですら原子力利用のリスクを受け入れられる状況にないとい うことであろう。今後,様々な地域で多様な形でリスクコミュニケーシ ニョンが展開され、原子力利用のリスク問題を議論する素 地がつくられていくであろう。本稿では,2011 年度に行 われた東海村での NPO活動を紹介し, 信頼回復への第一 歩として、リスクに向き合おうとする市民に原子力事業 者がしっかり向き合うことの重要性を示す。
2.“知る”ことの必要性
2.1 悩んだ末の結論 * 特定非営利活動法人 HSE リスク・シーキューブは,2005 年に科学技術に関するリスクコミュニケーションの定着 を目指すNPOとして設立された団体である。各地域のリ スク問題に応じて支部が活動する形態を目指したが,残 念ながら現在活動している支部は東海村支部のみである。東海村支部は、JCO 臨界事故後に行われたリスクコミ ュニケーションの社会実験研究に参加した住民を中心に、 “原子力の安全と安心をいっしょに考えよう”を合言葉 に,原子力事業所の安全対策を学び、市民の視点で提案 を行う「視察プログラム」を行っている。研究プロジェ クトの詳細は文献1]~[4]を参照されたい。参加住民が「視 察プログラム」を考案した背景には、「JCO が何をやって いるかを知らなかった。 知らなければならない。」という 臨界事故に直面した住民の切実な思いがあった。そして, 数年をかけて発電所,再処理施設,燃料加工工場などを417視察する中で,いかに徹底した安全管理が行われている かを学び、“ずさんな作業を行っていた”JCO のイメージ は払しょくされ, 原子力関係者への信頼も高まっていた。その中で起きたのが福島第一原子力発電所の事故であ る。これまで説明を受けてきた何重もの安全対策,オフ サイトセンターを中心とした防災体制がことごとく失敗 する現実を突き付けられた。東海第二原子力発電所も津 波の影響で非常用発電機 1 台が止まったものの,住民は その状況を知らされず,後にあと数 10 センチ津波が高け れば、非常用発電機 3 台が止まる可能性のあったことが わかったのである。東海村支部のメンバーは、自身が被災者として不自由 な生活を経験しながら,今後の活動として何をすべきか を何度も議論した。住民が得られる情報はマスメディア からの断片的なもので,そのほとんどが原子力発電所関 係であった。5月中旬からは日本原子力発電自らが説明 会を開始した。しかし、東海村にある他の原子力事業所 の情報がほとんど得られていなかった。メンバーは、避 難所運営など村の防災体制に問題があったことについて も解明したいと考えていた。そこで、改めて主要な原子 力事業所の被災・復旧状況と今後の安全対策を“知る” こと,そしてその内容を住民に伝達することが必要であ るとの結論に至った。2.2 被災・復旧状況と安全対策調査の概要東海村支部が行った調査活動は以下のとおりである。 1日本原子力研究開発機構東海研究センター(原子力科 学研究所,J-PARC、核燃料サイクル工学研究所) 2011年8月31 日実施外部電源を2系統で受電していたが,同じ変電所から 来ていたため、約46時間にわたって停電。工業用水は約 85 時間,水道水は約 265 時間断水。主要な建物は岩盤上 に建設されていたが,周辺の地盤で陥没など多数の被害 が発生。高放射性廃液の冷却が最も懸念されたが,非常 用発電機7台が稼働、川からの取水による冷却水確保も 準備された。約30年前のフランスでの事故の教訓を生か した電源車の配備も行われていた。 2三菱原子燃料株式会社東海工場 2011年9月 19日実施 2月のトラブルで工場は停止中であった。ウランペレッ トの散乱や燃料集合体の傾きまたは転倒が発生。専用排 水管の損傷も 5 ヶ所見つかった。やはり外部電源を喪失 したが,非常用発電機が復旧まで運転できた。3原子燃料工業株東海事業所 2011年9月 28 日実施 震災時操業中だったが,震度6弱の揺れを観測し,自 動停止。停電が発生し、非常用発電機7台が起動。2台が 不調に至るも外部電源復旧まで必要な電力を確保。構外 排水管に1か所損傷が見つかったが,製品への影響はな かった。熊取事業所が阪神淡路大震災を経験しており, それを踏まえた地震対策が取り組まれていた。 @茨城オフサイトセンター及び東海・大洗原子力保安検 査官事務所 2011年12月7日実施 地震発生時,複数の保安検査官が東海第二原子力発電 所内におり,そのまま冷温停止まで24時間体制で監視を 継続。東海村合同庁舎にあった東海・大洗原子力保安検 査官事務所は地震被害のため使用できなくなり,村対策 本部で情報収集・連絡を実施。茨城オフサイトセンター も室内が被災,非常用発電機が起動したものの約 2 時間 半後に停止し,約20 時間停電状態になった。 5東海村災害対策本部(原子力対策課) 2011年12月21日実施 役場も停電し,非常用発電機で対応。災害優先電話 2 台と衛星電話1回線で情報収集。庁舎5階の災害対策本 部室も照明のガラス落下により,すぐには使用できず。 原子力事業所からの連絡は入ったものの,住民広報は翌 12 日になってからになった。また,長期停電により,億 外放送のスピーカーのバッテリー切れで、情報伝達がで きない地域が発生。常磐線運休により多くの乗客が帰宅 困難者となって東海村内の避難所に集まり,村は避難者 対応に追われた。 6日本原子力発電株東海第二原子力発電所 2012年4月11日実施地震発生から約 2 分後,制御棒が自動挿入され,原子 炉が自動停止。同時に,変電所の被害で, 3回線あった外 部電源を喪失。非常用ディーゼル発電機 3 台が起動する が, 19時20分に津波による浸水により海水ポンプ1台が 停止し、非常用発電機も 2 台になり、外部電源復旧まで 冷却を継続。3. “市民の視点”の重要性1~5の調査結果は、広報誌「しーきゅうぶ東海村」 として村内に全戸配布している。1~3については,事 実を淡々と述べるものになっているが、4と5では質疑418応答を掲載し,市民の疑問点を明らかにした。また,6 では“しーきゅうぶ東海村の見解”として,安全対策へ の意見を提示した。1~3は事実のみとはいえ,そこには原子力事業所と は異なる東海村支部メンバーの視点,すなわち発電所以 外の事業所が震災によってどのようなリスクを抱えうる のかという点が含まれている。例えば、原子力科学研究 所の現地対策本部室が被災して使えなかったこと,再処 理施設にある高放射性廃液は全く冷却しなければ2日半 で沸騰する可能性があることである。また,三菱原子燃 料のウランペレット散乱や樹脂性配管からの溶液・廃液 漏れのように,以前の視察プログラムで指摘していた懸 念が現実になったことも示している。一方で,住民に安 心感を与える情報提供も加えている。核燃料サイクル工 学研究所で約50時間もの間電力を供給しつづけた非常用 発電機、フランスの事故の教訓から配備された移動式電 源車,阪神淡路大震災を教訓に取り組まれていた原子燃 料工業の地震対策である。このように、市民にとっては、 「万全です」と説明されるよりも,他事業所の事例から 教訓を学んでいることの方が“安心”できると受け取ら れるのである。質疑応答を掲載した4と5の調査では、東海村支部が 懸念していた原子力防災体制の不備を明らかにしている。 特に,茨城オフサイトセンターを立ち上げないとの決定 の後に、東海第二原子力発電所の非常用発電機 1 台が停 止したことが議論になった。東海村支部側は、オフサイ トセンターは事故に発展する可能性があるかぎり,機能 できるようにすべきだと考えている。しかし、オフサイ トセンター立ち上げ基準は,10 条通報後から手順が決め られており,それ以前の段階は県と協議することになっ ていた。これは,以前説明を受けた「事故の兆候がある 段階から立ち上げ準備をする」や,中越沖地震後に「原 子力施設に影響のある自然災害発生時も立ち上げる」と の情報と矛盾しており,説明会に参加したメンバーは保 安検査官事務所の説明になかなか納得しなかった。 -- 東海村支部メンバーは、自身が被災者として避難所の 問題を経験し,情報不足と格差に不安を感じたため,村 の体制不備にもいろいろな意見が出された。特に,避難 所の設営や対応に大きな差があった点,村からの情報入 手に大きな格差があった点が議論された。メンバーの一 人は、茨城県と村が作成した防災の手引きにある避難所 に行ったところ,「聞いていない」と言われ混乱した経験 をもっている。その質問に対して,村は「避難所は自動的に設置されるのではなく,村が避難勧告または指示を 出し,各施設に職員を派遣して避難所を開設する」との 手続きを説明した。しかし、震災当日,村対策本部は地 震・津波被害の把握に手一杯で,不安を感じた村民が各 施設に自発的に集まり,後追いで避難所を開設したので ある。その他にも,防災行政無線のバッテリー切れや帰 宅困難者の問題が明らかになった。村は、震災時の対応 を反省して改善計画をたてていたが,それはコミュニテ ィの共助を強化する内容であり,村民に問題点と改善の ための協力を明確に伝える必要があったと思われる。東海第二原子力発電所の状況については、何度も説明 会が開催されていたものの,被災状況と現在までの安全 対策の実施状況をていねいに説明する内容とした。特に 気をつかったのは、「発電機何台配備」だけではなく,そ れによって例えば何台で原子炉を冷やせるのか,何日く らい冷やせるのかなど、改善される内容を追記したこと である。また,福島第一原子力発電所とは異なる点もコ ラムの形で追記している。火災が続いて起こっているこ とも質問し,日本原子力発電株が真摯に対応を考えてい る姿勢も示した。“しーきゅうぶ東海村の見解”には、これまで説明さ れてこなかった原子力発電所の現実への驚きが示されて いる。それは、私たちがいかに何も知らされていなかっ たか,いかに問題を指摘できていなかったかという,リ スクコミュニケーション活動に対する2重の反省に基づ くものである。もし再び原子力利用のリスクとつきあう なら、住民は“本当のこと”を知らなければならない。 そのためには、原子力事業者はリスクについて語ってほ しいし,住民側もリスクの存在を指摘できるようになる 必要がある。2004 年 12 月,東海村支部の数名は JCO 臨界事故の現 場を見学し, 「もし事故前に見学していたら問題を指摘で きていたかもしれない」と後悔した。今年,海水ポンプ エリアを初めて見学し,同じ場所に同じタイプの施設が あることを懸念している。どこの地域の住民にも「もし」 との思いを二度と抱かせない取り組みが必要である。リ スクコミュニケーションは、“リスクを共に考える”関係 づくりと言われるが,今後はより積極的に“リスクをい っしょに発見する”リスクコミュニケーションが求めら れるのではないか。参考文献 1 [1] 土屋智子・谷口武俊:“リスクコミュニケーション社419 -会実験プログラムの開発-ファシリテーターの立場 から-”日本リスク研究学会第16回研究発表会講演論文集,pp.147-152 (2003) [2] 土屋智子・谷口武俊:“東海村におけるリスクコミュニケーション活動の評価~信頼形成要因と参加者の 変化~, 日本リスク研究学会第 18 回研究発表会講演論文集,pp.355-360 (2005). [3] 土屋智子・谷口武俊・小杉素子・小野寺節雄・竹村和久・帯刀治・中村博文・米澤理加・盛岡通:“市民と 専門家の原子力安全に対する視点の違い~東海村におけるリスクコミュニケーション活動の実践から~”社会技術論文集,Vol.6, pp.16-23 (2009) [4] 土屋智子・谷口武俊・盛岡通:“原子力リスク問題に関する住民参加手法の評価一参加住民は何を重視するのか”,社会経済研究No.57, pp.3-16(2009) [S] 特定非営利活動法人 HSE リスク・シーキューブhttp://www.hse-risk-c3.or.jp/420“ “福島事故後の立地地域住民とリスクコミュニケーション“ “土屋 智子,Tomoko TSUCHIYA
大飯原子力発電所の再稼働が進められている。もし, 福島第一原子力発電所の事故がなければ、多くの立地地 域住民は、再稼働を歓迎し,電力会社との関係も徐々に 好転していったであろう。再稼働をめぐる国・関西圏・ 福井県とおおい町の様々な動きを外野からみていると, 事故が与えた影響がいかに広範囲に長期に及ぶかを考え ざるをえない。当NPO 法人の主要な活動地点である茨城県東海村は、 原子力開発発祥の地として,研究開発施設から燃料加工 工場,発電所,再処理施設など多様な施設がある場所で あり,地域の経済的発展の多くを原子力関連産業に依存 してきた。東北地方太平洋沖地震とその後の津波被害で 停止中の東海第二原子力発電所が再稼働しないだけでな く, 原子力研究開発機構の活動は福島支援が中心になっ ているし、全国の原子力発電所の停止で燃料加工会社の 経営も厳しい。それでも,再稼働反対の請願が出され、 多くの反対署名が集まり,村上達也村長が厳しい発言を 続けているのは、事故の根本原因を究明し,復興の道筋 をつけなくては、たとえ理解のあった地域社会ですら原子力利用のリスクを受け入れられる状況にないとい うことであろう。今後,様々な地域で多様な形でリスクコミュニケーシ ニョンが展開され、原子力利用のリスク問題を議論する素 地がつくられていくであろう。本稿では,2011 年度に行 われた東海村での NPO活動を紹介し, 信頼回復への第一 歩として、リスクに向き合おうとする市民に原子力事業 者がしっかり向き合うことの重要性を示す。
2.“知る”ことの必要性
2.1 悩んだ末の結論 * 特定非営利活動法人 HSE リスク・シーキューブは,2005 年に科学技術に関するリスクコミュニケーションの定着 を目指すNPOとして設立された団体である。各地域のリ スク問題に応じて支部が活動する形態を目指したが,残 念ながら現在活動している支部は東海村支部のみである。東海村支部は、JCO 臨界事故後に行われたリスクコミ ュニケーションの社会実験研究に参加した住民を中心に、 “原子力の安全と安心をいっしょに考えよう”を合言葉 に,原子力事業所の安全対策を学び、市民の視点で提案 を行う「視察プログラム」を行っている。研究プロジェ クトの詳細は文献1]~[4]を参照されたい。参加住民が「視 察プログラム」を考案した背景には、「JCO が何をやって いるかを知らなかった。 知らなければならない。」という 臨界事故に直面した住民の切実な思いがあった。そして, 数年をかけて発電所,再処理施設,燃料加工工場などを417視察する中で,いかに徹底した安全管理が行われている かを学び、“ずさんな作業を行っていた”JCO のイメージ は払しょくされ, 原子力関係者への信頼も高まっていた。その中で起きたのが福島第一原子力発電所の事故であ る。これまで説明を受けてきた何重もの安全対策,オフ サイトセンターを中心とした防災体制がことごとく失敗 する現実を突き付けられた。東海第二原子力発電所も津 波の影響で非常用発電機 1 台が止まったものの,住民は その状況を知らされず,後にあと数 10 センチ津波が高け れば、非常用発電機 3 台が止まる可能性のあったことが わかったのである。東海村支部のメンバーは、自身が被災者として不自由 な生活を経験しながら,今後の活動として何をすべきか を何度も議論した。住民が得られる情報はマスメディア からの断片的なもので,そのほとんどが原子力発電所関 係であった。5月中旬からは日本原子力発電自らが説明 会を開始した。しかし、東海村にある他の原子力事業所 の情報がほとんど得られていなかった。メンバーは、避 難所運営など村の防災体制に問題があったことについて も解明したいと考えていた。そこで、改めて主要な原子 力事業所の被災・復旧状況と今後の安全対策を“知る” こと,そしてその内容を住民に伝達することが必要であ るとの結論に至った。2.2 被災・復旧状況と安全対策調査の概要東海村支部が行った調査活動は以下のとおりである。 1日本原子力研究開発機構東海研究センター(原子力科 学研究所,J-PARC、核燃料サイクル工学研究所) 2011年8月31 日実施外部電源を2系統で受電していたが,同じ変電所から 来ていたため、約46時間にわたって停電。工業用水は約 85 時間,水道水は約 265 時間断水。主要な建物は岩盤上 に建設されていたが,周辺の地盤で陥没など多数の被害 が発生。高放射性廃液の冷却が最も懸念されたが,非常 用発電機7台が稼働、川からの取水による冷却水確保も 準備された。約30年前のフランスでの事故の教訓を生か した電源車の配備も行われていた。 2三菱原子燃料株式会社東海工場 2011年9月 19日実施 2月のトラブルで工場は停止中であった。ウランペレッ トの散乱や燃料集合体の傾きまたは転倒が発生。専用排 水管の損傷も 5 ヶ所見つかった。やはり外部電源を喪失 したが,非常用発電機が復旧まで運転できた。3原子燃料工業株東海事業所 2011年9月 28 日実施 震災時操業中だったが,震度6弱の揺れを観測し,自 動停止。停電が発生し、非常用発電機7台が起動。2台が 不調に至るも外部電源復旧まで必要な電力を確保。構外 排水管に1か所損傷が見つかったが,製品への影響はな かった。熊取事業所が阪神淡路大震災を経験しており, それを踏まえた地震対策が取り組まれていた。 @茨城オフサイトセンター及び東海・大洗原子力保安検 査官事務所 2011年12月7日実施 地震発生時,複数の保安検査官が東海第二原子力発電 所内におり,そのまま冷温停止まで24時間体制で監視を 継続。東海村合同庁舎にあった東海・大洗原子力保安検 査官事務所は地震被害のため使用できなくなり,村対策 本部で情報収集・連絡を実施。茨城オフサイトセンター も室内が被災,非常用発電機が起動したものの約 2 時間 半後に停止し,約20 時間停電状態になった。 5東海村災害対策本部(原子力対策課) 2011年12月21日実施 役場も停電し,非常用発電機で対応。災害優先電話 2 台と衛星電話1回線で情報収集。庁舎5階の災害対策本 部室も照明のガラス落下により,すぐには使用できず。 原子力事業所からの連絡は入ったものの,住民広報は翌 12 日になってからになった。また,長期停電により,億 外放送のスピーカーのバッテリー切れで、情報伝達がで きない地域が発生。常磐線運休により多くの乗客が帰宅 困難者となって東海村内の避難所に集まり,村は避難者 対応に追われた。 6日本原子力発電株東海第二原子力発電所 2012年4月11日実施地震発生から約 2 分後,制御棒が自動挿入され,原子 炉が自動停止。同時に,変電所の被害で, 3回線あった外 部電源を喪失。非常用ディーゼル発電機 3 台が起動する が, 19時20分に津波による浸水により海水ポンプ1台が 停止し、非常用発電機も 2 台になり、外部電源復旧まで 冷却を継続。3. “市民の視点”の重要性1~5の調査結果は、広報誌「しーきゅうぶ東海村」 として村内に全戸配布している。1~3については,事 実を淡々と述べるものになっているが、4と5では質疑418応答を掲載し,市民の疑問点を明らかにした。また,6 では“しーきゅうぶ東海村の見解”として,安全対策へ の意見を提示した。1~3は事実のみとはいえ,そこには原子力事業所と は異なる東海村支部メンバーの視点,すなわち発電所以 外の事業所が震災によってどのようなリスクを抱えうる のかという点が含まれている。例えば、原子力科学研究 所の現地対策本部室が被災して使えなかったこと,再処 理施設にある高放射性廃液は全く冷却しなければ2日半 で沸騰する可能性があることである。また,三菱原子燃 料のウランペレット散乱や樹脂性配管からの溶液・廃液 漏れのように,以前の視察プログラムで指摘していた懸 念が現実になったことも示している。一方で,住民に安 心感を与える情報提供も加えている。核燃料サイクル工 学研究所で約50時間もの間電力を供給しつづけた非常用 発電機、フランスの事故の教訓から配備された移動式電 源車,阪神淡路大震災を教訓に取り組まれていた原子燃 料工業の地震対策である。このように、市民にとっては、 「万全です」と説明されるよりも,他事業所の事例から 教訓を学んでいることの方が“安心”できると受け取ら れるのである。質疑応答を掲載した4と5の調査では、東海村支部が 懸念していた原子力防災体制の不備を明らかにしている。 特に,茨城オフサイトセンターを立ち上げないとの決定 の後に、東海第二原子力発電所の非常用発電機 1 台が停 止したことが議論になった。東海村支部側は、オフサイ トセンターは事故に発展する可能性があるかぎり,機能 できるようにすべきだと考えている。しかし、オフサイ トセンター立ち上げ基準は,10 条通報後から手順が決め られており,それ以前の段階は県と協議することになっ ていた。これは,以前説明を受けた「事故の兆候がある 段階から立ち上げ準備をする」や,中越沖地震後に「原 子力施設に影響のある自然災害発生時も立ち上げる」と の情報と矛盾しており,説明会に参加したメンバーは保 安検査官事務所の説明になかなか納得しなかった。 -- 東海村支部メンバーは、自身が被災者として避難所の 問題を経験し,情報不足と格差に不安を感じたため,村 の体制不備にもいろいろな意見が出された。特に,避難 所の設営や対応に大きな差があった点,村からの情報入 手に大きな格差があった点が議論された。メンバーの一 人は、茨城県と村が作成した防災の手引きにある避難所 に行ったところ,「聞いていない」と言われ混乱した経験 をもっている。その質問に対して,村は「避難所は自動的に設置されるのではなく,村が避難勧告または指示を 出し,各施設に職員を派遣して避難所を開設する」との 手続きを説明した。しかし、震災当日,村対策本部は地 震・津波被害の把握に手一杯で,不安を感じた村民が各 施設に自発的に集まり,後追いで避難所を開設したので ある。その他にも,防災行政無線のバッテリー切れや帰 宅困難者の問題が明らかになった。村は、震災時の対応 を反省して改善計画をたてていたが,それはコミュニテ ィの共助を強化する内容であり,村民に問題点と改善の ための協力を明確に伝える必要があったと思われる。東海第二原子力発電所の状況については、何度も説明 会が開催されていたものの,被災状況と現在までの安全 対策の実施状況をていねいに説明する内容とした。特に 気をつかったのは、「発電機何台配備」だけではなく,そ れによって例えば何台で原子炉を冷やせるのか,何日く らい冷やせるのかなど、改善される内容を追記したこと である。また,福島第一原子力発電所とは異なる点もコ ラムの形で追記している。火災が続いて起こっているこ とも質問し,日本原子力発電株が真摯に対応を考えてい る姿勢も示した。“しーきゅうぶ東海村の見解”には、これまで説明さ れてこなかった原子力発電所の現実への驚きが示されて いる。それは、私たちがいかに何も知らされていなかっ たか,いかに問題を指摘できていなかったかという,リ スクコミュニケーション活動に対する2重の反省に基づ くものである。もし再び原子力利用のリスクとつきあう なら、住民は“本当のこと”を知らなければならない。 そのためには、原子力事業者はリスクについて語ってほ しいし,住民側もリスクの存在を指摘できるようになる 必要がある。2004 年 12 月,東海村支部の数名は JCO 臨界事故の現 場を見学し, 「もし事故前に見学していたら問題を指摘で きていたかもしれない」と後悔した。今年,海水ポンプ エリアを初めて見学し,同じ場所に同じタイプの施設が あることを懸念している。どこの地域の住民にも「もし」 との思いを二度と抱かせない取り組みが必要である。リ スクコミュニケーションは、“リスクを共に考える”関係 づくりと言われるが,今後はより積極的に“リスクをい っしょに発見する”リスクコミュニケーションが求めら れるのではないか。参考文献 1 [1] 土屋智子・谷口武俊:“リスクコミュニケーション社419 -会実験プログラムの開発-ファシリテーターの立場 から-”日本リスク研究学会第16回研究発表会講演論文集,pp.147-152 (2003) [2] 土屋智子・谷口武俊:“東海村におけるリスクコミュニケーション活動の評価~信頼形成要因と参加者の 変化~, 日本リスク研究学会第 18 回研究発表会講演論文集,pp.355-360 (2005). [3] 土屋智子・谷口武俊・小杉素子・小野寺節雄・竹村和久・帯刀治・中村博文・米澤理加・盛岡通:“市民と 専門家の原子力安全に対する視点の違い~東海村におけるリスクコミュニケーション活動の実践から~”社会技術論文集,Vol.6, pp.16-23 (2009) [4] 土屋智子・谷口武俊・盛岡通:“原子力リスク問題に関する住民参加手法の評価一参加住民は何を重視するのか”,社会経済研究No.57, pp.3-16(2009) [S] 特定非営利活動法人 HSE リスク・シーキューブhttp://www.hse-risk-c3.or.jp/420“ “福島事故後の立地地域住民とリスクコミュニケーション“ “土屋 智子,Tomoko TSUCHIYA