中性子の利用1 研究炉 JRR-3における中性子応力測定
公開日:中性子の利用1 研究炉 JRR-3における中性子応力測定
日本原子力研究開発機構
鈴木 裕士 Hiroshi SUZUKI
1.はじめに
残留応力とは、読んで字のごとく、外力を負荷しない状況においても、物体内部に存在し続ける応力のことを言う。この残留応力は、例えば、工業製品の製造工程における、機械加工、塑性加工、接合、組み立てなどに起因して発生し、機械部品の寸法精度や、その疲労強度などに影響することが知られている。時に、疲労破壊を原因とした事故が報道されることがあるが、こういった疲労破壊の多くは、その破壊起点周辺の引張残留応力に起因するものが多い [1]。このように、人命にも関わる重大事故にも繋がりかねない残留応力は、「ものづくり」の分野において重要な力学パラメータの一つであり、残留応力を知ること、そしてそれを制御することは、信頼性の高い製品開発に重要である。しかし、残留応力は直接目に見ることはできないために、どこにどれだけの大きさの残留応力が発生しているかを把握することは難しい。そのため、何らかの方法により、その残留応力を定量化し可視化することが必要になる。
残留応力測定に対するニーズには、ものを壊すことなく非破壊で測定できること、実機そのもの、あるいは実機にできるだけ近い状態で測定できること、数 mm以下の高い空間分解能で応力分布の測定ができること、深さ方向に残留応力分布が測定できること、実機の使用環境を模した様々な環境で測定できることなどが挙げられる。残留応力測定技術には、ひずみゲージなどを利用した穴あけ法やそり変形法といった破壊的計測法の他に、 X線や中性子線などの回折現象を利用した物理的な非破壊計測法があるが、上述した残留応力測定ニーズを満足するのは、後者の X線や中性子回折法の他にはない。特に、中性子線は電荷を持たないため、電子との相互作用により散乱する X線に比べると、材料への侵入深さはけた違いに大きく、例えば、鉄鋼材料などの金属材料に対し、材料表面から数十 mm深さの領域の残留応力を非破壊で測定することができる [2,3]。
現在、日本国内で中性子回折法による残留応力測定が可能な施設は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構の研究炉 JRR-3にある中性子応力測定装置 RESA-1[4,5]と、大強度陽子加速器施設 J-PARCの物質・生命科学実験施設 MLFにある工学材料回折装置 TAKUMI[6]の 2台である。本稿では、中性子回折法による残留応力測定について、主に JRR-3の RESA-1を利用した残留応力測定技術を中心に、角度分散型中性子回折法による残留応力測定原理について簡単に解説するとともに、これまでの応用例の紹介と将来展望について述べる。
2.中性子回折法による応力測定原理
金属材料の多くは、多数の結晶粒が集まった多結晶体であり、さらに、その結晶粒内には、多くの原子が規則正しく整列している。ここに波の性質を持つ中性子線を照射すると、個々の原子核にあたった中性子線はあらゆる方向に散乱されるが、中性子線の波長の位相が揃うブラッグの回折条件を満足したとき、図1 (a)に示すように、相互に干渉して回折線を生じる。この回折条件は、次の「ブラッグの回折条件式」で表される。
(1)ここで、dは格子面(hkl)の格子面間隔、λは入射中性子線の波長、θは回折線の方向を示す角度を意味しており、 2θを回折角と称する。
ここで、図 1 (b)に示すように材料に引張負荷が作用すると、この格子面間隔 dは引張軸に沿ってΔ dだけ大きくなる。一方で、圧縮負荷が作用するとΔ dだけ小さくなる。このとき、hkl面の垂直ひずみ(格子ひずみ)εは格子面間隔 dの変化率として次式で表わされる。
(2)
特集記事「中性子の利用 1 研究炉 JRR-3における中性子応力測定」
図1 (a) 原子からの散乱と回折、および (b) 角度分散法によるひずみ測定原理の概略図
ここで、d0はひずみ算出の基準となる格子面間隔(通常、無ひずみ状態における格子面間隔)である。一方、格子ひずみεは、式( 1)をθで微分することにより、回折角 2θの変化に置き換えることが可能であり、次式のように、回折角 2θを用いて表わすこともできる。
(3)
すなわち、図 1 (b)に示すように、引張負荷により格子面間隔がΔ dだけ大きくなれば、無ひずみ状態の回折角 2 θ 0に対して回折角は小さくなり、圧縮負荷によりΔ dだけ小さくなれば、回折角は大きくなる。したがって、回折角 2θの変化を測定すれば、格子ひずみεを求めることができる。
次に、上述した方法により試料の直交三方向に測定した hkl面の格子ひずみε iiを式( 4)に代入することで、直交三方向の応力成分σ iiを求めることができる。
(4)
なお、弾性定数は結晶面方位依存性を示すため、ヤング率 Eとポアソン比νは回折面ごとに異なり、また、これらはマクロな機械的弾性定数とは異なる。一般に、最大主応力を求めることが強度評価上重要であるが、主軸方向があらかじめ決定できれば、その方向を含む直交三方向に格子ひずみを測定すれば、式( 4)より主応力成分が求められる。一方、主軸方向の推定が困難な場合には、異なる 6方向の( hkl)の垂直ひずみを測定して主応力を求める必要がある。
3.中性子応力測定装置 RESA-1
RESA-1に代表される角度分散型中性子回折装置は、図 2 (a)に示すように、ブラッグの回折条件式(1)により決定される回折角 2θを測定するための装置である。すなわち、研究用原子炉炉心における核分裂連鎖反応により連続して発生する白色の熱中性子(定常中性子)から、モノクロメータ結晶を介して単一波長λの中性子線のみを抽出し、測定試料の hkl面によって回折される中性子の個数と回折角 2θを検出器によって観測する装置である。この角度分散型中性子回折装置により測定した回折角 2θの変化から、式( 3)より格子ひずみεを求めることができる。
RESA-1は JRR-3ガイドホールの熱中性子導管の T2-1ポートに設置されている。図 2 (b)に RESA-1の外観を示す。 RESA-1では、 Si(311)の非対称湾曲モノクロメータから得られる単一波長(おおよそ 0.15 nm~ 0.20 nmの範囲で選択可能)の中性子線を試料に照射し、そこから
図2 (a) 角度分散型中性子回折装置の光学系、および (b) RESA-1の外観
回折する中性子線の回折角を一次元検出器により測定する。回折計には、試料台面積 550 mm × 550 mmの XYステージ、耐荷重約 700 kgfの Zステージが設置されており、水平面内(XY方向)に± 250 mm,垂直方向(Z方向)に約 300 mm移動できる。測定体積(ゲージボリューム)は、カドミウムスリットで成形した入射ビームサイズと検出器前に設置されるラジアルコリメータによって規定され、RESA-1では 0.5 × 0.5 × 0.5 mm3~ 10 × 10 × 10 mm3の範囲で選択可能である。また、環境装置として最大荷重 10kNの低温引張試験機( 5 K~ 300 K)や結晶集合組織測定用に二軸回転ステージ(オイラークレードル)が利用できる。
4.残留応力測定の応用例
中性子回折法による残留応力測定技術は、中性子産業利用促進に貢献する測定技術のひとつであり、自動車エンジンやロケットエンジンといった輸送機械部品、インフラ構造物や発電プラントを模擬した溶接構造物など、様々な機械・構造物の信頼性・健全性の確保や安全設計を目的とした残留応力評価に広く用いられている。本章では、 RESA-1で実施された溶接構造物の応力測定例を中心に簡単に紹介する。
4.1 突き合わせ溶接試験体の残留応力測定
突き合わせ溶接とは、二つの部材(母材)を同じ面内で突き合わせて溶接する技術であり、様々な構造物における主要な接合技術である。その接合部には強い残留応力が発生することが知られており、これが部材の強度に影響を及ぼす。そのため、この残留応力を正確に測定することが溶接構造物の信頼性向上に必要である。
石川らは、 RESA-1を用いて高強度溶接金属内部の残留応力を測定した結果を報告している [7]。一般的に、鉄鋼材料の高強度に伴い、水素吸収による遅れ破壊の感受性が高くなるが、特に溶接部においては、溶接に伴い発生する引張残留応力の影響が重畳して溶接割れの可能性が高くなる。そこで本研究では、中性子回折法により溶接部の残留応力を測定することで、低温割れの局所的な限界条件の検討を行った。用いた試験体は、図 3 (a)に示す板厚 25 mmの 980 MPa級鋼板の突合せ溶接試験体であり、中央の Y型のスリット部に 1パスの MIG溶接を行ったものである。図 3 (b)は、中性子回折法により測定した溶接線直交方向(T方向)のひずみ成分の分布を示したものであり、 Root部近傍に引張ひずみが集中している様子が確認できる。また、溶接表層部からRoot部までの残留応力分布を測定した結果、図 3 (c)に示すように、低温割れ発生位置である溶接金属の Root部には 1000 MPaを超える引張残留応力が存在することが確認できた。本研究では、この Root部における高い引張残留応力とそれに伴う拡散性水素の集積が、低温割れの発生の大きな要因である可能性を示した。
一方、 Shigaらは、低変態温度溶接による残留応力緩和レベルを定量的に評価するために、低変態温度溶接試験体に発生する残留応力分布を中性子回折法により測定した [8]。その結果、マルテンサイト変態温度の高い従来の溶接では溶接部近傍に強い引張残留応力が発生するが、低変態温度溶接試験体においては、図 4に示すように、溶接部に強い圧縮残留応力が発生することを明らかとした。これは、マルテンサイト変態開始温度が低いために、マルテンサイト変態に伴う体積膨張の途中で室温に落ち着くためである。
最近では、単に溶接後の残留応力を測定するだけでなく、温度変化に伴う残留応力変化や、外力負荷に伴う内部応力変化を実測するなど、部材の使用環境を模擬した環境で応力評価が行われている。このような結果は、シミュレーション技術の高度化や構造設計のための支援
図3 (a) 溶接試験体の概略図、(b) 溶接部の溶接線直交方向(T方向)の残留ひずみマップ、および (c)溶接部表面から root部までの残留応力分布。
特集記事「中性子の利用 1 研究炉 JRR-3における中性子応力測定」
図4 中性子回折法で測定した低温変態溶接と従来溶接の残留応力分布
データとして活用が期待されている [11]。
4.2 大型溶接構造物の残留応力測定
ここでは、RESA-1で実施した直径 500 mm、長さ 760 mm、肉厚 28 mmの大口径配管溶接部の残留応力分布測定の結果を紹介する 5)。この実験は、中性子回折法を用いた原子炉大型構造物の残留応力測定の可能性を検討する目的で実施されたものであり、溶接部の残留応力分布測定のほか、模擬き裂導入や模擬補修溶接による残留応力の変化を実測した。図 5 (a)は、溶接したままの状態における残留応力分布を示している。配管軸方向には、外表面側に強い引張残留応力、板厚内部に圧縮残留応力、内表面側に弱い引張残留応力を示すなど、これまでに計算機シミュレーションなどにより求められてきた典型的な残留応力分布傾向を示した。一方、配管溶接部近傍の内表面側に長さ 30 mm、深さ 10 mm、幅 0.5 mmの模擬き裂を導入すると、図 5 (b)に示すように、模擬き裂導入による軸方向応力の緩和が測定された。また、原子炉配管の補修溶接を模擬するため、溶接部の外表面の一部を削り取り、そこに肉盛溶接したあとに発生する残留応力分布を測定した結果、軸方向残留応力分布が全体的に引張方向にシフトする様子が観察された。
このように、中性子回折法を用いれば、大型構造物の残留応力測定が可能であるだけでなく、非破壊測定技術であるゆえに、き裂導入や補修溶接など、様々な事象や処理に伴う残留応力の変化をも測定することができる。最近では、オーストラリア原子核科学技術機構(ANSTO)の研究炉 OPALにある工学回折装置 KOWARIにおいて、直径 1 mを越えると思われる大口径溶接配管の残留応力測定に成功しており [9]、さらに、韓国原子力研究所 KAERIの Woo博士らのグループからは、板厚 80 mmの
図5 (a) 中性子回折法で測定した大口径配管溶接部の残留応力分布と (b) 模擬き裂導入前後および補修溶接施工前後の軸方向残留応力分布の変化
溶接構造物の残留応力測定に成功した成果が報告されている [10]。
5.将来展望
2020年 2月現在、 JRR-3は東日本大震災における福
島第一原子力発電所の事故の影響により、 2011年 3月
より約 9年にわたる停止を余儀なくされている。しかし、
2018年 11月には、 JRR-3の新規制基準適合性に係る原
子炉設置変更許可を取得するとともに、 2019年 3月末
には、 2021年 2月の運転再開に向けたロードマップが
示されるなど、 JRR-3の運転再開に向けた機運が高まり
つつある。この JRR-3の運転再開により、日本国内に
おける中性子応力測定装置は、約 10年ぶりに RESA-1
と TAKUMIの 2台体制となる。このような恵まれた実
験環境を活かし、世界をリードする数多くの研究成果を
創出するため、著者らは、以下に示す取り組みが必要不
可欠と考えている。(1)J-PARC MLFの TAKUMIを利用した材料強度関係の研究をさらに強力に推進するとともに、 RESA-1を残留応力測定専用装置として運用することで両施設の役割を明確化し、材料強度、残留応力の両分野において、学術、産業の両面より、研究成果の最大化を図る。(2)将来のデータ駆動型社会の潮流を考えれば、応力解
析シミュレーション技術の高度化は必要不可欠であ
り、そのための数多くの検証実験データの取得のため、ハイスループットな中性子応力測定技術の開発が必要である。
(3)国内外の大学や研究機関、産業界との連携を深めることでパワーユーザーを育成し、それをもって先端的な研究成果を持続的に創出する。さらに、産業利用にも広く展開し、ものづくりイノベーションの創出に積極的に貢献する。
これらの取り組みを実践することにより、日本国内より数多くの優れた研究成果を持続的に生み出すとともに、それによるイノベーション創出に貢献していくことが、これからの RESA-1の重要な役割である。
6.おわりに
残留応力は、社会生活を支える「ものづくり」の世界においては、安全・安心かつ持続可能な社会の実現に関わる重要な力学パラメータの一つである。本稿では、その残留応力を測定する技術として「中性子回折法による残留応力測定技術」を紹介した。中性子線と聞くと、危険なイメージを持たれる方も多いと思うが、その使い方を工夫すれば、オンリーワンの力学データを提供できる唯一の材料分析技術として、非常に有効な測定プローブになる。約 1年後の JRR-3の運転再開により、 RESA-1と TAKUMIによる共創の時代が幕を開ける。学術利用だけでなく、産業利用の多くのユーザーに本測定技術を利用していただき、安全・安心かつ、持続可能な社会の実現に向けた「ものづくり」に役立てて頂きたい。なお、本稿を読まれて中性子回折法による残留応力測定技術に興味を持たれた方におかれましては、著者宛にご連絡頂けると幸いである。
参考文献
[1]鉄道重大インシデント調査報告書(RI2019-1),運輸安全委員会,2019年 3月 11日 .[2[ A.J. Allen, M.T. Hutchings, C.G. Windsor: "Neutron diffraction methods for the study of residual stress
fields",Adv. inPhysics,Vol.34,pp.445-473(1985)[3[ "Non-destructive testing - Standard test method for
determining residual stresses by neutron diffraction",
ISO/TS 21432 (2005) International Organization for Strandardization.
[4]林眞琴 , 大城戸忍 , 皆川宣明 , 森井幸生 :"中性子回折による残留応力測定装置の開発と炭素鋼曲げ塑性変形材の残留応力分布の測定", 材料 , Vol.47, pp.420-425 (1998)
[5]鈴木裕士 , 勝山仁哉、飛田徹、森井幸生 :"中性子回折法による大口径配管溶接部の残留応力測定", 溶接学会論文集 , Vol.29, pp.294-304 (2011)
[6]S. Harjo, T. Ito, K. Aizawa, H. Arima, J. Abe, A. Moriai,
T. Iwahashi and T. Kamiyama: "KamiyamaCurrent status
of engineering materials diffractometer at J-PARC",
Materials Science Forum, Vol.681, pp.443-448 (2011)
[7]石川信行,末吉仁,鈴木裕士,秋田貢一 ,"水素侵入による 980MPa級溶接金属の低温割れ限界条件", 溶接学会論文集", Vol.29, pp.218-224 (2011).
[8]C. Shiga, H. Yasuda, K. Hiraoka, H. Suzuki: "Effect of Ms Temperature on Residual Stress in Welded Joints of High-Strength Steels", Welding in The World, Vol.54,
pp.R71-R79 (2010)[9]K. Akita,M. Shibahara,K. Ikushima,S. Nishikawa,
T. Furukawa,H. Suzuki,S. Harjo,T. Kawasak,L. Vladimir: "In-situ residual stress analysis during thermal
cycle of a dissimilar weld joint using neutron diffraction and IEFEM",Yosetsu Gakkai Rombunshu (Internet), Vol.35, pp.112s-116s (2017).
[10]Bragg Peaks, Issue 23, Bragg Institute, ANSTO (2012).
[11]W. Woo, G.B. An, V.T. Em, A.T. De Wald, M.R. Hill, "Through-thickness distributions of residual stresses in an 80 mm thick weld using neutron diffraction and contourmethod",JMater Sci,Vol.50,pp.784-793 (2015)
(2020年 2月 10日)
著者紹介
著者:鈴木 裕士ご所属:日本原子力研究開発機構専門分野:材料強度学