特集記事「保全における AI活用に向けて」
公開日:特集記事「保全における AI活用に向けて」
株式会社三菱総合研究所セーフティ &インダストリー本部原子力システム安全グループ
江藤 淳二 Eto JUNJI 杉野 弘樹 Sugino HIROKI
1.目指すべき未来社会と AIの関わり
1.1 Society5.0と Connected Industries
平成 28年に閣議決定された第 5期科学技術基本計画において、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、我が国が目指すべき未来社会の姿として、「Society5.0」が提唱された。「Society5.0」は、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)とされる(図 1参照)。
経済産業省は平成 29年、第 4次産業革命による技術の革新を踏まえ、将来的に目指すべき未来社会である「Society5.0」を実現していくため、「Connected Industries」の概念を発表した。
この「 Connected Industries」とは、「モノとモノ」「人と機械」、「人と技術」、「企業と企業」、「人と人」、「生産者と消費者」など、国境や世代を超えたさまざまなつながりを、人工知能( AI)等によって新たな付加価値を生み出していく産業社会を指しているものであり、これらを通して産業競争力の強化、及び国民生活の向上・国民経済の健全な発展を意図している。「Connected Industries」においては、以下に示す 5つの重点分野が示されている [2]。
● 自動走行・モビリティサービス
● ものづくり・ロボティクス
● バイオ・素材
● プラント・インフラ保安
● スマートライフ
現在、あらゆる産業において、デジタル技術を活用した新たなビジネスモデルを展開する新規企業によるゲームチェンジが起こっている。
こうした中、既存企業は競争力維持・強化のため、デジタルトランスフォーメーション( DX:Digital Transformation)1をスピーディーに進めていくことが求められている。
図 1 Society5.0のしくみ [1]
1.2 AIとは何か
ここで、「Society5.0」や「Connected Industries」において活用が期待されている AIに着目する。「AI」という言葉については、明確な定義は難しいということが指摘されている。総務省が令和元年度に取りまとめた情報通信白書では、
「しかしながら、平成 28年版情報通信白書で述べたとおり、 AIに関する確立した定義はないのが現状である。あえていえば、「AI」とは、人間の思考プロセスと同じような形で動作するプログラム、あるいは人間が知的と感じる情報処理・技術といった広い概念で理解されている。」との記載がある。また同白書において、よく使われる「AI」、「機械学習」、「深層学習(ディープラーニング)」という言葉の関係性を図 2のように示している [3]。
また一般的に AIには、以下の役割が期待されている。
● 自動化:コストを極限まで下げることにより、生産性を向上すること
● 最適化:製品・サービス・人の最適化により、リスクの低減や稼働率を最大化すること
● ノウハウ再現:データ活用により、新たな価値を創出すること
図2 人工知能・機械学習・深層学習の関係(出典)総務省令和元年度情報通信白書」[3]をもとに MRI作成
(脚注1 平成 30年に経済産業省が取りまとめた「デジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するためのガイドライン」によると、 DXは、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義されている。)
1.3 AI活用の前提条件
AIを活用するにあたっては、以下に示す AI活用の前提条件を理解する必要がある。①業務がデジタル化されていること
AI活用にあたっては、業務がデジタル化していること、つまり、フィジカル空間ではなく、業務のすべてがサイバー空間上で完結されていることが前提となる。②ビックデータが利用可能であること
業務がデジタル化されていることを前提として、 AIによる分析が可能なビックデータがサイバー空間上に存在し、利用可能であることが前提となる。
このように、フィジカル空間に存在する設備のデータを収集・転送・保管・分析、および分析結果の活用を行う一連のプロセス(ワークフロー)がサイバー空間上に構築され、かつ実際のビックデータの取り扱いが可能となることで、初めて AIは利用可能となる。
2.原子力の保全における AI等活用可能性
2.1 原子力を取り巻く環境変化
ここで、原子力事業における現状を確認する。
原子力を取り巻く外部環境を俯瞰すると、社会全体としては"少子高齢化"、電気事業環境としては"電力システム改革"、といった環境変化を無視できない。
また、原子力事業自体に着目すると、原子力発電所再稼働の停滞と事業運営に必要なリソース増大に伴う事業収支の悪化、今後の原子力事業見通しの不透明感からくる資金調達環境の悪化、さらに原子力事業を支える人材・サプライチェーンの衰退等が課題として顕在化しており、原子力事業の予見性確保が困難な状況が見えてくる(図 3参照)。
図3 原子力事業を取り巻く外部環境俯瞰
2.2 原子力の保全に求められているもの
原子力事業を取り巻く環境の変化を踏まえると、持続的かつ発展的な原子力事業の運営にあたっては、極めて限られたリソース(ヒト・モノ・カネ)を最大活用し、安全性と経済性の両立・最適化が求められるといえる。
現在、原子力発電所においては、新規制基準対応に伴い保全の対象範囲が増加し、新規制基準施行前と比較すると、保全に要するコストは増加する見込みである。即ち原子力の保全においては、保全の効率化を通した保全コストの低減と更なる安全性向上の両立・最適化が求められている。
一方、 2020年 4月より本格運用がはじまった原子力規制検査は、リスクインフォームド・パフォーマンスベースドの考え方を導入しており、リスク情報を活用することにより、安全上重要な事象に対してリソースを集中することが可能な環境が整った。
また、是正措置プログラム(CAP)運用と高度化を通して、是正措置中心から予防に重点を置いた活動に移行することが期待される。
2.3 保全分野への AI等の活用可能性
「Connected Industries」における重点分野の 1つに「プラント・インフラ保安」があるように、産業全体では、IT、 IoT、ビッグデータ、 AI 等デジタル技術の活用に向けた取り組みが進みつつある。
具体的に産業保安分野においては、第 4次産業革命による技術革新を踏まえ、デジタル技術の活用を通じた現場の保安力向上と企業の競争力向上を目指した検討・取り組みが進められている。
スマート保安先行事例集 [3]には、安全と収益性の両立に向けて、保全・保安業務にスマート化技術( ICTを駆使したインテリジェントなシステム)を活用することにより、点検や分析・予測業務および記録・管理業務の効率化・圧縮が進んでいることが示されている。また、従来の保全・保安業務が効率化・圧縮できたこと、それにより生まれた時間を活用して安全性の向上に資する高度な保全・保安業務が実施可能となった事例などが示されている(図 4)。
このような安全性と収益性の両立に向けた、原子力産業以外の産業における IT、IoT、ビッグデータ、AI 等デジタル技術を活用した取り組みは、原子力発電所においても、保全コストの低減と安全性向上の両立・最適化への一つの対応手段として、デジタル技術の活用が期待されるといえる。
図4 スマート化による従来の業務時間の圧縮とそれにより生まれた時間の活用イメージ [4]
3.デジタル技術の活用事例
ここでは、日本貿易振興機構(ジェトロ)の IoT活用事例調査 [5]の結果をもとに、原子力産業以外の産業におけるデジタル技術活用事例として、航空産業におけるデジタル技術活用による整備コストの低減と安全性向上の両立事例を紹介する。
3.1 航空機エンジンのモニタリングによる不具合の早期検知と整備コスト削減の両立
航空機エンジンは多数のセンサーが取り付けられており、飛行中に大量のデータが発生する。しかしこれら大量のデータのすべてを分析することは、航空会社(事業者)のリソースの問題から実質的に不可能である。
Rolls-Royce 社はマイクロソフト社の Azure IoT Suiteを採用し、クラウドベースの IoTと分析プラットフォーム「Total care」のサービスを開始した [6]。
航空機に搭載されるエンジンには数百のセンサーを取り付け、エンジンの性能、燃料使用に関するデータなどを収集し、常時接続されたデータセンターにリアルタイムで転送し、さらにエンジニアによるデータ分析を実施することで、エンジンの状況を把握している。なお、データは、世界中で飛行する航空機に搭載された多数のエンジンから収集・統合して分析を実施することで、飛行中のエンジンの異常や不具合が、他のエンジンにも広がる兆候や可能性を即座に診断できる。何らかの懸念がある場合には、飛行中の航空機に伝えることもできる。
フライト時のリアルタイムデータ取得により、不具合の早期検知を実現し、時間基準保全( TBM)から状態基準保全( CBM)へ転換し、整備期間やコストを最小限に抑制している。また、運行情報とモニタリングデータから、燃料効率化を実現している。
3.2 スマート・ツール等による作業の信頼性向上
自動車工場が多数のロボットを導入しているのに比べ、航空機の組立工程は部品点数が膨大であり、かつ特注仕様が多く、人間の手作業に依存するところが大きい。このためヒューマンエラーのリスクが存在するうえに、多くの部品を取り付けて機体に組み立てていくプロセスの中で、たった 1か所の部品の位置ズレや不十分な作業結果が、故障や不具合、重大事故につながる可能性があり、品質確保が極めて重要なものとなっている。エアバス社はこの対策として、米国の測定機器メーカー NI(National Instruments Corporation)社の開発したシステム「システム・モジュール・ソリューションズ (NI SOM)」を採用し、製造工程を統括する「製造実行システム(MES:Manufacturing Execution System)」と連動する「スマート・ツール(Smart Tool)」を開発・導入した [7]。
「スマート・ツール」のシステムは、本ツールを使う作業者の動作を画像センサーで把握しながら、次に実施する作業を理解し、拡張現実( AR:Augmented Reality)を通じて、自動的にツールの設定を実行する(あらかじめ設定されたトルクに変更するなど)。また作業が正しく行われているかを常に検証し、作業記録も残すことで、作業者の負担を軽減するとともにヒューマンエラーの防止に寄与し、作業の信頼性向上につながっている。本事例は、職人技や暗黙知に基づく"現場力"を"デジタル化"している事例であるといえる。
図6 拡張現実を活用した作業イメージ
4.デジタル技術普及にあたっての課題
このように、徐々に IT、IoT、ビッグデータ、AI 等デジタル技術が活用されつつあるが、デジタル技術の普及・活用にあたって、いくつか課題が指摘されている。
経済産業研究所による、 IT、IoT、ビッグデータ、 AI 等デジタル技術の普及動向に係るアンケート調査の結果によると、 IoT導入、活用上の課題としては、全体では
「人材の確保」、「設備投資・資金」との回答が多い(表 1参照)。特に IoTサービス導入、提供等に多く取り組まれている大企業( 3,001 人以上)において、この回答割合が高く、課題が顕在化しているといえる [8]。
表1 IoTの導入、活用上の課題(出典)経済産業研究所,「日本の第 4次産業革命におけるIT、IoT、ビックデータ、AI等デジタル技術の普及動向」[8]をもとに MRI作成
このような回答の背景には、既存システムのレガシーシステム化(技術的老朽化、システムの肥大化・複雑化・ブラックボックス化等)が影響している可能性がある。レガシー化した既存システムの維持管理に資金・人材が割かれてしまうことで、デジタル技術の普及に係る戦略的投資に資金・人材を割くことが困難となるためである [9]。
また、「人材の確保」、「設備投資・資金」に次いで、「組織・体制の変革」の回答数が多い。これは従業員規模に比例して課題認識が高まっている傾向が認められる。即ち、技術面だけではなく組織面の対策も重要な要素である。
5.原子力発電所保全への AI導入に向けて
5.1 AI導入にあたってのポイント
一般論として、データ分析・ AI導入時においては、以下に示す事項に留意すべきであるとされる。
● AI活用は手段の一つである。何のためにデータ取得して分析するのか、目的・目標(ゴールと解決したい課題)を設定することが重要(構想・計画段階の検討が AI活用の成否のポイント)
● AI活用においては、仮説検証を繰り返し、 AIの価値に対する理解を深めながら、展開していくことが一般的
5.2 AI等の技術開発の方法
AI等の導入を念頭に技術開発を実施する場合のポイントを以下に示す。
●データ分析には仮説が不可欠
仮説や課題設定もなくデータ分析を行っても、望ましい結果は得られない。仮説を設定して試行錯誤が必要。
●データ取得に対する費用対効果全てを見える化することが必須ではなく、いかに賢く、データ種類を選定し、目的を達成するのかが重要。特徴量の特定が有効。
●分析ソリューションの創出データサイエンティストだけで実現することは難しく、現場・業務経験者の協力が重要。定量データ(数字)だけでなく、定性データ(CAPデータ)の組み合わせも有効。
即ち、データ分析・ AI導入においては、継続的改善を念頭に、目的・目標を中心に、少ない設備投資で小規模テストから大規模化していく、アジャイル型開発が必要であろう(図 7)。また、 AI等の導入コストは低減しているものの、 AI等活用による財政的なメリットが不明瞭な中で、大規模な設備投資の判断は難しく、また、 AI等の技術は日々進歩していることもあり、アジャイル型開発による実装が課題解決に有効となりうる。
図 7ウォーターフォール型からアジャイル型開発への転換
5.3原子力発電所に AI等の技術を導入するにあたっての留意事項
原子力産業において AI等の技術導入を検討する場合、先行している原子力産業以外の産業の導入事例は参考になるものであるため、他産業で実績が認められ、かつ導入可能な技術の積極的な活用があり得る。
ただし、他産業において実績のある技術をそのまま導入できる範囲と、できない範囲があることを念頭に置かなければならない。例えば原子力特有の技術は新たに技術開発が必要であるし、核セキュリティ等に関する考慮事項も検討する必要がある。
一方、本稿で紹介した航空産業の事例において、 IoT技術の導入・活用にあたって異なる産業と連携している事例があったように、デジタル技術の導入においては、データ連携を念頭に置いた他企業との連携が重要である可能性が高い。原子力発電所において収集されたデータを、セキュリティを確保しつつ連携できる枠組みの構築も求められているといえる。
6.さいごに~デジタル化時代の保全現場力~
サプライチェーン・原子力人財枯渇が進む中、暗黙知や職人技を駆使しながら、問題を発見し、企業や部門を超えて「連携・協力」しながら「課題解決」のための「道筋を見いだせる」力 (長年の経験で培われた確かな技術力 )に基づく、従来の「保全現場力」の維持には限界がある可能性が高く、時代や社会の要請に沿った「保全現場力」の再構築がもとめられているのではないだろうか(図 8)。
質の高い現場検査の記録・データを取得し、さらに職人技を技術化・体系化、暗黙的を形式化し、デジタルデータとして蓄積・保管し、それらのデジタルデータを AI等により分析・評価することで、保全コストの低減と安全性の向上の両立を実現しうる「デジタル化時代の保全現場力の構築」を実現していきたい。
図8 デジタル化時代の保全の現場力
参考文献
[1] 内閣府 , Society 5.0 Society 5.0のしくみ , https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/(2020年 11月)
[2] 経済産業省 , Connected Industries 重点 5分野の取組 , https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/connected_ industries/index.html(2020年 11月)
[3] 総務省 , 令和元年度情報通信白書第一部特集進化するデジタル経済とその先にある Society 5.0(令和元年 7月)
[4] 経済産業省保安課 , スマート保安先行事例集~安全性と収益性の両立に向けて~(平成 29年 4月)
[5] 日本貿易振興機構 , 欧州企業の IoT活用事例調査(2017年 12月)
[6] Microsoft, Microsoft and Rolls-Royce collaborate to o.er
advanced operational intelligence to airlines (April 24 2016)
[7] Intelligent Aerospace, Airbus uses IoT to fuel 'Factory of the Future' (Apr 11th, 2016)
[8] 経済産業研究所 , 日本の第 4次産業革命における IT、 IoT、ビックデータ、 AI等デジタル技術の普及動向(2018年 12月) [9]一般社団法人電子情報技術産業協会 , 2017年国内企業の「 IT経営」に関する調査
[10] 経済産業省商務情報政策局情報経済課 , AI・データ利活用に関する政策の動向 , https://jane.or.jp/app/wp-content/uploads/2019/12/87563e98a 5d9ccc1ef251f972eec9ecd.pdf
(2020年 11月 10日)
著者紹介
著者:江藤 淳二
所属:株式会社三菱総合研究所セーフティ &インダストリー本部 原子力システム安全グループ
専門分野:原子力工学、保全工学、高経年化対策、リスク評価
著者:杉野 弘樹
所属:株式会社三菱総合研究所セーフティ &インダストリー本部 原子力システム安全グループ
専門分野:機械工学、エネルギー科学、高経年化対策、リスク情報活用