特集「1F事故 10周年に当たって」(5)保全社会学から見た福島事故
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(公社)腐食防食学会腐食センター
服部 成雄 Shigeo HATTORI
(5)保全社会学から見た福島事故
1.はじめに
あの金曜日の昼過ぎまで、日本全国の人々も社会も週末前の慌ただしい普通の時間を過ごしていた。直後に、記憶の表層には無い歴史的大災害に見舞われるとはつゆ知らずに。
地震と津波の犠牲者が 2万人を超え、原子力発電所(原発)事故による放射性物質の拡散は広範な地域に及んだ。多少の不安を感じる人も含めて、地元を始め国民の大部分が堅牢な「5重の壁」に守られた国内の原発で、水素爆発や炉心が溶け落ちるという事態が現実のものとなるとは想像すらしていなかったであろう。
事故後 10年を経て地震、津波で損壊した各地では町村の復興が徐々に進んでいる。一方、放射性物質で汚染された広い地域は現在でも除染や復興の目途が立たず、多数の住民が未だに避難生活を続け、あるいは故郷への帰還を諦めて移住を余儀なくされたコミュニティも多く残されている。このように原発事故の傷跡は、周辺地域社会の崩壊あるいは大きい様変わりとして、長く深く刻まれている。本稿では事故後 10年を振り返り、その影響を保全社会学の観点から検討してみる。
2.原発事故による地域社会の変貌
原発の保全は社会学の目で見ると、原発自体の保全だけでなく、その社会的受容性、さらに大事故が生じた際に周辺住民の生命、健康、財産や地域社会を保全することも当然含まれると考える。福島第一原発事故では、事故そのものの早期収束が勿論、最優先事項であったが、同時に周辺住民への最善の避難誘導もなされるべきであった。しかしすでに開発されていた緊急時放射能影響予測システム (SPEEDI)を有効活用せず、不適切な誘導で余計な被曝や、避難指示に伴う犠牲者を増やしたという結果は重視せねばならない。復興庁は、地震災害またはその影響があった一都九県での災害関連死者数は2020年 9月 30日時点で、 3767名、その内、福島県が 2313名(6割以上)であったと公表している [1]。このことからも、原発事故と避難誘導の不手際という、初動対応での社会的問題が浮上する。
図 1は福島県双葉町の駅前繁華街にあった店舗の、災害から幾年も経た姿を示す例である [2]。いずれも地震、津波で損壊し、人の手が入らないまま朽ちてゆく佇まいで、住民の帰還、街の復興の兆しも見られない地域が残されている現実が分かる。図 2は 2020 年 9 月時点の、福島第一原発周辺の諸指示区域を示す [3]。先の双葉町、浪江町の大部分や大熊町の半分ほどは現在でも住民の帰還はおろか、立ち入りさえも制限されている。
一方で、除染など住民の暮らしの基盤が一定程度整備され、避難指示が解除された区域では復興の動きも見られる。図 3は大熊町の例 [3,4]で、2016年時点の復興拠点の状況 (a)[4]と、3年後、新庁舎竣工を祝う様子 (b) [3]である。大野駅周辺などの復興計画の進展や、汚染物中間貯蔵施設の建設も推進されており、復興への希望の光が小さくも灯りつつある。
図1 震災後 6年、9年の双葉駅前通りの光景
図2 原発周辺の諸区域(2020年 9月)[3]
図3 大熊町の復興への第一歩(2019年)[3]
3.原発事故と民意動向
3.1 帰還についての地元の民意
福島第一原発事故の後、各地に避難している地元住民が元の地へ帰還することへの考えを、大熊町がアンケート調査している [3]。図 4は事故直後の 2011年 6月の第 1回調査の結果を示す。この時点では帰還への思いが強く表れており、放射線被爆について国が安全を認めることを前提に、生活基盤やコミュニティの再生などを希望事項として、帰町したいと思う人々が 7割を超えていた。また戻らないとする約 1割の人たちは被曝への不安を理由としていた。町は 2012年以降も避難者の意識調査を継続しており、 2015年までのまとめ [3]では、「戻りたいと考えている」が上記から大きく低下して 10数 %で推移していた。「戻らないと決めている」が 2013年の内に 4割代から 6割前後に急増しているがその理由について町は何も述べていない。但し、「戻らない理由」としては、原発、放射線、中間貯蔵施設への不安や、生活インフラ、医療に関する不安を挙げている人が過半数(複数回答)であった。図 5は直近の 2020年の調査結果を年齢層別に表示したものである [3]。全体では上述した 2012~ 2015年での割合とほぼ同様であった。帰町したい、あるいはすでに戻っている人は 10数 %で、戻らないと決めている人が約 6割となっている。年齢層で見ると「戻らないと決めている」が 30歳未満の若年層と 60歳以上の高齢者でやや多い。若年層は学業や仕事をする条件が整っていないこと、高齢者はさらなる移住が負担であることや、元の人付き合いの復活に希望が持てないことなどが要因になっているのであろう。このように地元住民については、原発に関連する不安感や、様変わりした故郷への愛着の喪失感があり、反面として、避難先のコミュニティとの融合や利便性などが、帰還に消極的となる方向で作用していると考えられる。
図 4 原発事故直後の避難町民の帰還意向(2011年 6月)
3.2 原発利用についての世論の動向
原子力安全システム研究所(INSS)は 26年以上、国民の原発利用についての世論調査を系統的に続けている [5]。図 6は 1993~ 2019年における、原発利用の肯定層と否定層の割合の変化を示す [5]。肯定層の割合は、「もんじゅ」事故、動燃アスファルト固化施設事故、 JCO臨界事故、美浜 3号機配管破裂事故など、センセーショナルな事故が生じても、大きい影響を受けることなく、 1993年から 2010年まで 60%程度から約 90%まで増加していた。これが 50%代への急激な落ち込みを示したのは、他でもない 2011年の福島事故の後であった。しかし、その後 10年ほどは大きい変化が無く小幅の変化を繰り返しながら、 60%程度を保っている。この期間は原子力規制委員会の審査に合格した PWRの数基だけが再稼働している。
福島事故を境に原発肯定層は明らかに低下しているが、あれほどの過酷事故と人的、地域社会的ダメージを経験し、その影響が事故炉の後始末も含めて、福島の住民と地域の復活という、重圧下にある割には、 6割ほどの受容を得ていることは、原発が日本の基幹電源選択肢の一つとしてかなり、深く根付いているのを表していると見られる。
一方、日本原子力文化財団では、今後の日本のエネルギー利用について調査している [6]。表 1は 2008年~ 2018年に継続実施したアンケート調査結果である。原子力については、図6と同様に福島原発事故の影響が大きく表れており、2011年末にそれまでの 30%代から半分以下の 16.7%に急落し、その後は 10%代で低迷している。化石資源については、石炭、石油火力が福島事故後少し増えて共に 10%前後になったが、その後は漸減傾向にあり、 LNG火力は事故後、 20~ 30%と堅調と言える。一方で太陽光、風力発電は非常に期待が大きいようで、福島事故の顕著な影響もなく、太陽光は 8割前後、風力は 6~ 8割の間と高いレベルで推移している。
近年、エネルギー、電力についての議論で必ず話題に上るのが、CO2ゼロ・エミッション論である。人為的 CO2放散が地球規模の温暖化の原因かどうかは科学的検証の余地を残しているが、いつの間にか社会通念のように扱われているのは事実である。そして原発推進の重要な論拠の一つとして、 CO2発生が少ないという点が挙げられている。北田はこの点についての一般的認識をアンケート調査・分析している [5]。図 7はその分析の一部を示す。先ず (a)の CO2排出低減の全般的な方策としては、運輸分野 28%、発電法・燃料 20%、節電 13%が主なところである。この内、発電方法・燃料に分類されるものの内訳 (b)は、自然エネルギー・再生可能エネルギーが 7%、化石燃料使用削減・電化 4%、原発利用と火力発電の低減を挙げる人がそれぞれ 2%となっている。
北田の結果は意外な実態を示すもので、原発の活用が CO2排出削減に有効と、あまり認識されていないことである。現在の政府が、 2050年 CO2ゼロ・エミッション政策を世界に宣言し、その基礎ともなる資源エネルギー庁のエネルギー基本計画では、 2030年段階で原子力発電を 20~ 22%としている。しかし先に示した調査での民意は国の政策と整合していないと見られる。国が政策を変更せず、上記目標を達成するには、現在停止中の原発を全て再稼働させても不足で、新規建設なども視野に入れる必要があると思われる。
図 5 避難町民の最近の帰還意向(2020年 9~10月)[3]
図 6 原発利用に対する考え方の比率の推移【北田(2020)より転載】
図 7 最も効果があると思う CO 2削減方法(自由記述)の分類結果」【北田(2020)より転載】
4.事故からの社会学的教訓(纏めに替えて)
以上、福島第一原発事故が住民の生活、コミュニティに対して直接的に、間接的に及ぼした影響とその後の復興への動きを概観した。また、他地域への避難者の帰郷への思い、条件、さらにはあのような惨事をもたらした原発への向き合い方などを、将来像も含めて検討してきた。ここでは、過酷事故によって引き裂かれた地域社会の治療、また原発事業者と被害者との関係修復可能性について考えてみる。
事業者に求められる基本は、すでに言い古されているが、やはり「 S + 3E」(Safety + Energy security, Economical e.ciency, Environment)の観点からの漏れの無いチェックであろう。これら要素のいずれもが事業者と立地地域との信頼醸成の上でも重要である。原発の周りには、それが建設されるより前から営まれてきた住民の共同体としての暮らしと、私的、公的社会活動があり、原発の「S + 3E」と密着している。そして「 S + 3E」の確認は、企業の機微事項を除いて、ステークホルダーである地域住民と共有されるべき性格のものと考えられる。
さらに、真の「リスク・コミュニケーション(リスコミ)」は、無益で不毛な原発賛否の底無し沼に落ち込むことから、互いを救い出す有効な一手段と考える。福島原発事故は自然災害がトリガーとなって生じたものとは言え、多分野の専門家を関連会社やプラントメーカも含めて多く抱える事業者なら、想定内の事象であるべきであった。地震や津波に限れば、専門家の知識や見識だけに頼るのでなく、自らの最大想定、最悪シナリオを地元住民にも伝え、場合によっては古老の知恵や地史からも学びつつ、資産投入の優先順位づけに反映することも可能であったと思われる。こういう場合、経営上の機密情報までをさらけ出さずとも、リスクの認識とそれへの対応での合意を図るコミュニケーションは成り立つはずである。相互の中にある不信感と警戒感がそれを阻んでいる一要因と考え、今後に活かすべきではないか。
福島原発事故に関するもう一つの社会学的な側面として、2つの「風」がある。放射能を広くまき散らした物理的な風ではない。「風評」と「風化」である。風評は悪意の有無によらず、根拠の無い噂の独り歩きで事業者も生産者もが受ける経済的ダメージであったり、偏見や差別にもつながる社会現象である。現下の問題で言えば、炉心溶融に至った炉の冷却水や汚染地下水の ALPS処理水を貯蔵する 1000基ものタンク保管問題がある。風評被害を恐れてただ立ち尽くしているのでは、処理水タンクは増え続けるだけで、底板腐食による漏えいや、大地震の再来によるタンク破損で、希釈放水よりはるかに深刻な海洋、大気汚染となるリスクが大きい。これこそ事業者、専門家、行政と地元住民の間での綿密なリスコミが必要な例である。時間の余裕は無いのであるから。
事故から 10年、地震、津波も含めてあの甚大な災害が既に風化し始めているという怖れがある。現在も事故炉の廃炉に取り組んでいる多くの技術者や作業員、そして直接の被害者や長年月の避難生活を続けている元、住民を除けば、遠く離れた都会の人々や若い世代の意識から事故の記憶や教訓が薄れつつあるのではないかと懸念を抱いている。約 10年を経た最近でも震度 6強の大きい余震が生じているのである。
参考文献
[1] 復興庁ホームページ:「東日本大震災における震災関連死の死者数」, 令和 2 年 12 月 25 日
[2] 泉幸雄:「 3.11...福島東日本大震災 10年」写真集 , 2020年 10月
[3] 大熊町ホームページ
[4] 大熊町企画調整課:"大熊町震災記録誌福島第一原発、立地町から", 平成 29年 3月
[5] 北田淳子 :"温暖化対策として原子力発電の受容が高まらない要因", INSS JOURNAL Vol. 27, pp.43-57, 2020.
[6] 日本原子力文化財団ホームページ(2021年 2月 23日)
著者紹介
著者:服部成雄
所属:(公社)腐食防食学会腐食センター
専門分野:金属、腐食、溶接